「平和を覚える礼拝」での証

        2008年8月10日(主)

                              吉野純子


 私達家族は7月21日から30日まで、チェコのプラハとドイツ3カ所、各2泊ずつの忙しい、しかし密度の濃い旅行をしました。ドイツはドレスデン、ベルリンから電車で約1時間の、ユネスコ認定の生物圏保護地域であるシュプレーヴァルトと、2000年から2001年にかけて1年間滞在していたハンブルクです。それぞれにお話したいことは沢山ありますが、今日は「平和を覚える礼拝」をささげる日ですので、ドレスデンの町の中心に位置するルター派の聖母教会(フラウエン・キルヒェ)の再建について証しをさせていただきます。
 プラハとドレスデンは特急列車で2時間の距離です。両方とも非常に美しい、文化と芸術の都で、いずれもユネスコの世界文化遺産に登録されています。しかしプラハは第二次世界大戦による建物の損傷はほとんどなく、一方ドレスデンはヨーロッパで最大と言われている都市空襲を受けた都です。私と輝雄はドレスデンには、ハンブルク滞在中の2001年、雪が降っていたイースターに訪れておりますので、今回は2度目です。
 これからお話する聖母教会は1743年(265年前)に完成した、壮大な釣り鐘型のドームを持った、高さ95メートルのバロック教会でした。しかし、これといった目立った軍事施設もなく、「エルベ河畔のフィレンツェ」の別名の通りドイツ最高のバロック様式の美しい街並みと数多くの文化財が知られており、人々は“ドレスデンだけは空襲に逢うことはない”と信じていたそのドレスデンが、第二次大戦末期の1945年2月、連合軍による大空襲をうけました。この爆撃はドレスデンの街の85%を破壊し、美しきエルベの古都はたったの一夜にして瓦礫と化し、3万5千人もの一般市民の命が奪われたのです。この空襲によって聖母教会も大きく損傷を受け、さらに内部の火災で支柱が燃え、建物の膨大な重量を支えきれなくなり、2日後に大勢の市民の目の前で、東側と北西部の壁の一部を残してほぼ全体が崩れ落ちてしまいました。
 再建の動きは戦後間もない時期からありましたが、政治的・資金的問題から実現には至らず、東西ドイツの統合で初めてこの歴史的遺産の再建の実現性が高まり、1989年の秋、聖母教会再建の声が、ドレスデン市民の意識ある人々の間から起こりました。1991年、一人の牧師カール・ルードビヒ・ホッホさんの、「私は願います、戦争の加害者と被害者が共に再建に取り組むことで、聖母教会が新しいヨーロッパの平和の家となることを。」という「ドレスデンからの呼びかけ」が、ドイツにとどまらず、世界各国の政治家や教会関係者に送られたのです。ドレスデンから運動はまたたく間に世界中に広がってゆき、再建に必要な費用はおよそ1億3,200万ユーロで、そのうち1億ユーロが、ドイツを初め、世界各国からの寄付によるものでした。そして1993年に復旧工事が開始されました。

 普通の復旧ではなく、可能な限り元の石材を生かそうと、まず瓦礫の山に埋もれた10万個に及ぶ石材のピースを拾い出して、その一つ一つの寸法をはかり、形状を確認し、分類して整理保管することから始まりました。コンピューターを活用して、元あった位置に戻すという気の遠くなるような作業だったのです。「ヨーロッパ最大のジグソーパズル」と評されました。前回私達が行った時には、教会の脇の空き地に、一つ一つ番号の着いた膨大な数の石が、幾重にも並んだ棚にきちんと整理、保管されていましたが、これらがどう組み込まれてゆくかは想像できませんでした。またその脇に、教会堂の上に取り付けられる予定の黄金の十字架が置いてありました。
 この黄金の十字架は、ドレスデンを爆撃したイギリスの市民から送られました。その細工は爆撃したイギリス軍航空機のパイロットの息子によるものだそうです(2000年に行われた贈呈式にはイギリスを代表してエリザベス女王ご夫妻が出席しました)。ドームのまわりを飾る彫刻は、ドイツから最も大きな被害を受けた、ポーランド市民から送られました。ドレスデン爆撃を経験し、そのことが人生の大きな傷となっているドイツ人、加害者のイギリス、ドイツのナチに痛めつけられたポーランド、とそれぞれが戦争の傷を抱えながら、教会の再建という一点で出会いました。12年に及ぶ再建作業は戦争の愚かさを改めて問いかけるものとなったのです。
 聖母教会の再建については、当初多くのドレスデン市民が反対だった、ということです。半世紀近く瓦礫のままに残っていた聖母教会は、東ドイツ時代に市民にとって平和運動のシンボルとなっていました。そのため瓦礫はそのまま残して、戦争の無残さを告発していこうと言う意見が多数を占めたのです(広島の原爆ドームのように)。しかし、各国の協力を得て再建が始まると、人々の意見が変わってきました。過去の告発も大事だが、未来に向けたポジティブな運動のなかで平和を語ることの大きな効果に気付き始めたのです。実際、爆撃をした側のイギリス、またドイツにひどい目に会わされたポーランドが再建に協力するに及んで、人々は過去の憎しみから「和解」に至るプロセスを体感していったそうです。加害者や被害者を越えたところで再建に加担するというのは、本当の意味での平和を願う再建であったと言えるでしょう。
 2005年10月30日にドレスデン聖母教会の落成式典が執り行われましたが、世界中のメディアが、この「ドレスデンの奇跡」を感激をもって報道し、その映像は何万もの家庭に届けられました。落成礼拝のおごそかな式典は、この再建が第二次世界大戦後の民族和解の感銘的シンボルであることを、改めて、高らかに宣言しました。
 カナレットという画家の風景画でしか見たことのない、半世紀も瓦礫の中に埋もれていた教会が、今回の訪問ではすっかり完成し、文化の中心として栄えたドレスデンの再興を象徴する建造物となっていました。新しい石材と黒く煤けた瓦礫との組み合わせによって建てられたこのモザイク模様の建造物は、見る者に戦争の悲惨さを強く印象付けています。また再建に使われなかった石材が、崩れ落ちたままの姿で今も置かれています。この黒く煤けた壁の残骸は、戦争の愚かさを語っています。


 私達の健康が守られ、まさか再びこのドレスデンを訪れ、姿をあらわした聖母教会で、再現されたパイプオルガンの演奏をともなう礼拝に出席できるとは想像もしておりませんでした。メッセージの言葉も、演奏された曲目もわかりませんでしたが、内部の壁画までも忠実に再現された、大きな美しい礼拝堂の中で、感動で心が震えていました。そして人は憎しみを超えていかにしたら和解に至ることが出来るのかを考えさせられました。その難しい業は、神様の助けと多くの人々の真剣な祈りなくしては、決して成し遂げることはできなかった事を思った時、神様に感謝しました。
 現在イラク戦争などをみても、「憎しみの連鎖をいかに断ち切ることが出来るのか」というのが、最も難しい、最大のテーマではないでしょうか。勿論、戦争で儲かる人達がいる、そのことが世界中から戦争を無くすことができない大きな要因の一つでもあるとも考えますが・・・。しかし、「ドレスデンの奇跡」を目の当たりにした時、主を畏れることから始めれば、決して不可能ではないのではないかと思えるようになりました。

 以上旅行での証に加え、皆様に是非お祈りしていただきたいことがあります。
 8月24日に主日礼拝メッセージをして下さる元蓮根教会牧師(現協力牧師)の天野五郎先生のご夫人、天野文子姉のことです。
 14才の時に広島で被爆された姉は、1978年、国連の第1回軍縮特別総会に広島の証言者として参加されて以来、ピースボート等で各国を訪れ、戦争の愚かさと核廃絶を訴え続けておられ、数年前に私たちの教会でも「平和を覚える礼拝」と分級でお話して下さいました。ホームページ(アーカイブ)に姉の体験記の紙芝居「ひかりのたね」が載っております。
 その姉が今年3月に、自転車で転んで大腿骨骨折の大怪我をされ、手術のために入院した病院で、もう一方の大腿骨に悪性リンパ腫が発見されました。ケガの治療は順調に進み、大分良くなったとのことですが、8月に第2回目の抗ガン剤治療を行うと聞いております。最適な治療がなされ、一日も早く快復なさいますよう、そして副作用の辛さが少しでも和らぎますよう、どうぞ皆さん祈ってください。お願いいたします。

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