【クリスマスイヴ礼拝メッセージの要約】                             2007年1224

余地のない所に」 

ルカによる福音書2章1−14節

 

高橋淑郎牧師

 
 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(10−12節)
何という力に満ちた御言葉、何という慰め深い御言葉、何と広い範囲の人々に届けられている御言葉でしょうか。


 けれども、この世は神の独り子を受け入れるために、十分な余地を与えることをしませんでした。誰も彼も自分の生活が第一ですから、イエス・キリストのお生まれを聞いても不思議に思うだけで、喜び迎えて共に祝うなどという心はありませんでした。心の中はこの世のことで一杯です。そして人は言います。「だから、今は教会どころではない。聖書の話を聴いている時間はない。」と。本当にそうでしょうか。問題はそのように思い込んで心の戸を固く閉ざしているあなた自身にあるのではないでしょうか。
イエス・キリストは、あなたの心から恐れと、重荷を取り除くために、あなたを清めて大きな喜びを与える救い主としておいでになったのです。そのために、今日あなたはこのクリスマスに導かれたのです。


 聖書にはこう書かれています。「諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。」(黙示録21:25)


 天の御国に通じる門は閉ざされることはないというのです。人は朝に昼に夕方に、時には真夜中にこの世に生まれてきますし、また息を引き取るのです。しかし、全ての人が十分な準備の内に信仰を抱いて天のみ国に入れるとは限りません。特に、この世のさまざまな思い煩いや罪の生活に浸っている人の場合は、何の準備もないまま滅びの国へと落とされて行くことになるのです。しかし、天のみ国は臨終間際でも、罪の生活を悔改めて、救い主を心に受け入れるなら、その人は生まれて初めてクリスマスを体験できるのです。そして、その人は本当に喜びに満たされて天の御国に入ることができるのです。「都の門は、一日中決して閉ざされない。」と書いてあるではありませんか。どうか、あなたも今夜本当のクリスマスの喜びを受けて、ここから新しい人生をはじめてください。

 

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【クリスマスイヴ礼拝メッセージ】                          2007年1224

余地のない所に」 

ルカによる福音書2章1−14節

高橋淑郎牧師


 皆さんにとって、今日で何回目のクリスマス礼拝をささげることになりますか。わたしはこの教会で皆さんと共に11回目のクリスマス礼拝をささげています。クリスチャンになってから数えると、49回目になります。何回クリスマス礼拝をささげ、また祝っても、その年、その年、感慨一入(ひとしお)のものがあります。
聖書は言います。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)と。


 天使もまたわたしたちに告げて言います。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(10−12節)
クリスマスメッセージとして、これ以上のものはありません。何という力に満ちたメッセージでしょうか。何という慰め深いメッセージでしょうか。そして、何と広い範囲の人々に届けられているメッセージでしょうか。


 羊飼いたちはこの天使の告げるメッセージに続いて天の軍勢の、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と讃美する大合唱に大いに慰められました。感動しました。すぐに立ち上がって飼い葉桶に眠る幼子を探し当て、あの天の軍勢に倣って彼らも神を崇め、また讃美しました(20節)。クリスマスの意味を改めて学ぶことができます。
この羊飼いたちから学ぶことがもう一つあります。彼らは自分たちだけでクリスマスの喜びを独り占めしませんでした。天使の告げた通り、民全体に与えられるこの大きな喜びを、彼らのできる範囲で、羊の待つ野原ではなく、町へと出かけて行って、出会う全ての人々に、「今日、ダビデの町に、わたしたちの救い主がお生まれになった。」と、クリスマスへの呼びかけをしました(17節)。
けれども、この世は神の独り子を受け入れるために、十分な余地を与えることをしませんでした。ただ部屋を提供しなかっただけではありません。誰も彼も自分の生活が第一でしたから、イエス・キリストのお生まれを聞いても不思議に思うだけで、喜び迎えて共に祝うなどという心はありませんでした。
今日多くの人の心を占めているもの、それはこの世のことで一杯です。その心に満ちているものと言えば、平安、希望、喜びとは全くかけ離れたもの、すなわち「みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別」などです(マルコによる福音書7:21−22)。更に自己中心的な楽しみ事、或いは思い煩い、悩み、苦痛、死への恐怖などといったことも詰まっています。そして人は言います。「だから、今は教会どころではない。聖書の話を聴いている時間はない。」と。あなたもその一人ではありませんか。本当にそうでしょうか。救い主のために心を開く余地は全くないのでしょうか。問題はそのように思い込んで、心の戸を固く閉ざしている、あなた自身にあるのではないでしょうか。


 イエス・キリストは、あなたの心から一切の恐れを取り除くために降誕して下さったのです。あなたの心の重荷を全て取り除くために、あなたを清めてあなたに大きな喜びを与えるために、あなたの救い主としておいでになったのです。そのために、今日あなたはこのクリスマスに導かれたのです。 聖書にこう書かれています。
「諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。」(黙示録21:25)

 天の御国に通じる門は全ての人のために閉ざされることはないというのです。人は朝に、昼に、夕方に、時には真夜中にこの世に生まれてきますし、また息を引き取るのです。しかし、全ての人が十分な準備の内に信仰を抱いて天のみ国に入れるとは限りません。特に、この世のさまざまな思い煩いや罪の生活に浸っている人の場合は、何の準備もないままに天のみ国とは全く反対のところに落とされて行くことになるのです。しかし、天のみ国はそういう人のためにこそ四六時中開かれています。臨終間際でも神から離れていた罪の生活を悔改めて、救い主をその心に受け入れるなら、その人はその時、生まれて初めてクリスマスを体験できるのです。そして、その人は本当に喜びに満たされて天の御国に入ることができるのです。「都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。」と書いてあるではありませんか。
どうか、あなたも今夜本当のクリスマスの喜びを頂いて、ここから新しい人生をはじめてください。 祈りましょう。
 

天の父なる神様、あなたの御名を崇め、讃美します。
あなたはあの夜、ベツレヘムの郊外で羊の番をしている人たちに目を留め、誰よりも先に彼らを救い主の下へと招いて下さいました。この世で蔑まれていると見えた彼らをあなたは引き上げて下さいました。どうぞ、今日あなたのみ前にある人々の中に、希望を失いかけている人がいましたら、あなたの愛でその心を引き上げてあげてください。わたし達の救い主イエス・キリストのお名前でこの祈りをおささげします。ア−メン


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