【クリスマス礼拝メッセージの要約】                             2007年1225

主を呼び求めよ」 

イザヤ書55章6−7節

 

高橋淑郎牧師

 「天(複数形)は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す」(詩編19:1)と歌われています。この詩編を読んでいると、悠久の世界は決して沈黙しているのではなく、雄弁に神の栄光を讃美している。このちっぽけな人間が、どうして神無しに生きて行けようか。神を認めずにおられようかと思わずにいられません。素直な心に導かれます。
この詩編にあるように、あの果てしない天をはるかに凌ぐ、更に高きにいます方が、今から2千年前に、この地球の一角であるユダヤのベツレヘムに、人として降誕して下さいました。わたしたちの主は、こんなに近くに来てくださいました。神がこんなにへりくだって、わたしたちのすぐそばに来てくださいました。しかし、わたしたちの自己中心で傲慢な心、悪い生活習慣が神を遠ざけてしまいました。わたしたちの罪がこの方を拒み、この方を十字架につけてしまったのです。


 しかし、神はあの十字架を栄光の器に変え、御子イエス・キリストが十字架に死んでくださったことによって、わたしたちの罪を贖ってくださいました。そして、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と招いてくださっています。わたし達の傲慢と罪が神を退け、遠ざけてしまいました。しかし、あの方は今日も「わたしを尋ね求めよ。わたしを呼び求めよ」とみ声をかけて、わたし達の人生の旅路の道連れとなろうと言っておられるのです。
しかし、神はいつまでも待っては下さいません。やがて、神のお定めになる終りの日、最後の審判の日が来ます。その時、イエス・キリストに信仰と希望と愛を貫いた人は永遠の命に与り、不信仰な者は、永遠の滅びに定められる日が来ます。だから聖書は、「主を見出しうるときに、主が近くにいますうちに、神を尋ね求め、呼び求めよ。不信仰な者はその道を離れ、悪のたくらみを捨て去り、主なる神に立ち返れ。悔い改めよ」と警告しています。


 クリスマス、この日は神の愛と寛容を心に留めて、自分自身の罪と向き合う日です。クリスマスは、今日も神がわたしを見捨てないで、主に立ち返るチャンスを与えてくださったことを想い起こす日です。クリスマス、この日はわたし達の真の友となり、わたしたちの人生の旅路の道連れとなって、帰るべき天の故郷へと導いてくださるイエス・キリストを救い主と信じて、この方に従う決断をすべき日です。あなたはどうしますか。人の助けはいらない、と頑張り通して滅びの国を選びますか。それとも、この方なしにわたしの人生に平安も勝利もないと素直に従って行きますか。

 

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【クリスマス礼拝メッセージ】                                      2007年1225

主を呼び求めよ」 

イザヤ書55章6−7節

高橋淑郎牧師

 

数週間前に読んだ新聞のコラム欄に、旧ソ連が打ち上げた有人宇宙ロケットのひとつにスプ−トニクという名前がありましたが、「旅の道連れ」という意味だと紹介されていました。素敵な名前だと思いませんか。そのロケットに何人の乗組員がいたのか分かりませんが、この光と緑豊かな地球を離れて、はるかかなたの宇宙へ、漆黒の世界に旅立ったあの人たちは正直心細い思いであったことでしょう。だからこそ乗り合わせた仲間を、「旅の道連れ」として、助け合いながら、使命を果たすことができたのでしょう。


 考えてみれば、宇宙ロケットの中だけでなく、わたしたちの人生に隣り合わせた人もまた、本当は心強い友であり、「旅の道連れ」となれるはずです。しかし、現実はなかなかそういう関係になれないことがあります。友と思って心許していた人から裏切られることがあります。また、自分の何気ない一言が相手の心を傷つけて、関係が壊れてしまうこともあります。この世でただ一人の味方と思っていた親が子を、反対に子が親を手にかけ、命のやり取りをする悲しい事件を耳にするとき、やりきれない思いをさせられます。宇宙にあって助け合える人生の旅の道連れが、この地球上では助け合えないのでしょうか。それは、わたしたちがまだ、わたしたちにとって本当の友、信頼できる旅の道連れに出会っていないからです。それはいったい誰でしょうか。

 「天(複数形)は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す」(詩編19:1)と歌われています。この詩編を読んでいると、この悠久の世界は決して沈黙しているのではなく、雄弁に神の栄光を讃美している。このちっぽけな人間が、どうして神無しに生きて行けようか。神を認めずにおられようかと素直な心に導かれます。
この詩編にあるように、あの果てしない天をはるかに凌ぐ、更に高きにいます方が、今から2千年前に、この地球の一角であるユダヤのベツレヘムに、人として降誕して下さいました。わたしたちの主は、こんなに近くに来てくださいました。神がこんなにへりくだって、わたしたちのすぐそばに来てくださいました。しかし、わたしたちの自己中心で傲慢な心、悪い生活習慣が神を遠ざけてしまいました。わたしたちの罪がこの方を拒み、この方を十字架につけてしまったのです。
しかし、神はあの十字架を栄光の器に変え、御子イエス・キリストがあの十字架に死んでくださったことによって、わたしたちの罪を贖ってくださいました。そして、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と招いてくださっています。わたし達の傲慢と罪が神を退け、遠ざけてしまいました。しかし、あの方は、今日も「わたしを尋ね求めよ。わたしを呼び求めよ」とみ声をかけてわたし達の人生の旅路の道連れとなろうと言っておられるのです。

 しかし、神はいつまでも待っていては下さいません。やがて、神のお定めになる終りの日、最後の審判の日が来ます。その時、イエス・キリストに信仰と希望と愛を貫いた人は永遠の命に与り、不信仰な者は、永遠の滅びに定められる日が来ます。だから聖書は、「主を見出しうるときに、主が近くにいますうちに、神を尋ね求め、呼び求めよ。不信仰な者はその道を離れ、悪のたくらみを捨て去り、主なる神に立ち返れ。悔い改めよ」と警告しています。

 クリスマス、この日は神の愛と寛容を心に留めて、自分自身の罪と向き合う日です。クリスマスは、今日も神がわたしを見捨てないで、主に立ち返るチャンスを与えてくださったこと想い起こす日です。クリスマス、この日はわたし達の真の友となり、わたしたちの人生の旅路の道連れとなって、帰るべき天の故郷へと導いてくださるイエス・キリストを救い主と信じて、この方に従う決断をすべき日です。あなたはどうしますか。人の助けはいらない、と頑張り通して滅びの国を選びますか。それとも、この方なしにわたしの人生に平安も勝利もないと素直に従って行きますか。
祈りましょう。

天の父なる神さま。あなたのお名前を心より讃美します。
今日、あなたが御子イエス・キリストをこの世に与えてくださった大いなる御心が分かりました。私たちは決して孤独な人生であってはならなかったのです。あなたがわたしの道連れになってくださらなかったら、怖くてこの定めなき人生の旅路を一歩も進めないのです。
神、クリスマスを心から感謝します。あなたがこの世に来てくださらなかったら、あなたを見出すことも、あなたを尋ね求めることも知らないままに終りの日を迎えなければなりませんでした。
あなたのお名前を心から讃美し、この祈りをわたしたちの救い主イエス・キリストの御名によって御前におささげします。
アーメン。


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