【主日礼拝メッセージ】                           2001年7月15日

よ く 注 意 せ よ

  マタイによる福音書16:5〜12

メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 旨】                                 

 新約聖書に登場するサドカイ派、ファリサイ派はこの世の宗教団体の中で最も天国に近い団体と言うことが出来ます。今日のキリスト教会は彼らほど聖書を熱心に読んでいるとは言えません。今日のクリスチャンは彼らのようには忠実に聖書の一字一句を実践しようと言う熱意に欠けていることを認めざる得ません。恥ずかしいことです。

 宗教の目的は人を神と結びつけることにあります。天国の子、神の子へと新生させることにあるはずです。しかし最も天国に近いところにいたサドカイ派やファリサイ派がもたらすパン種、即ち教えは実際には神の御心から大きく外れていました。彼らの教えは天の父なる神から遣わされた独り子イエス・キリストを拒み、否定することにあったからです。目の前におられるイエスを救い主と認め、受け入れることが出来ない故に、彼らは天国を目指しながら、結局滅びの道を進むことになるのです。大いなる罪は美しく装った偽善から生じると言います。神の救いのご計画を人為的に成就しようとすることが「偽善」と言われる所以なのです。

 天国に近いだけではなく、実際に天国の門をくぐり抜ける者となりたいものです。そのために私たちの為すべき事は第一に聖書を神の言葉、救い主に出会う唯一の書物として信じて読むことです。第二に聖書が証言している通り、イエス・キリストが十字架に死んで私たちの罪を贖いとって下さったことを感謝すると共に、犯した罪を心から悔い改め、それを告白することです。またイエス・キリストは3日目に復活して彼を信じる者に永遠の命を与えて神の子、天の国籍を持つ者として下さった事実を信じることです。第三に私たちは神の定められた終わりの日の近いことを思い、良い行いをして日を過ごすようにと造られた神の作品として神の御心に沿った生活をすることです。良い行いとは勿論清い生活のことですが、それだけではありません。一人でも多くの人がイエス・キリストによって救われるようにと祈りながら、全ての造られた者の所に出て行って福音を伝えることです。

 私たちは神の子としての身分を与えられたものです。偽善に流されることのないように、サドカイ派やファリサイ派のパン種には良く注意しましょう。

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【主日礼拝メッセージ・本文】     

よ く 注 意 せ よ

  マタイによる福音書16:5〜12

 

 弟子たちは主イエスとファリサイ派やサドカイ派の人々との間で大変緊張した議論に参加しているうちに、夕食の準備を忘れました。舟に乗り込んで間もなく主から、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に良く注意しなさい」と話しかけられた時、弟子たちはてっきり「夕食のパンはどうなっているのか」と言われたのかと思い込んで、或いはユダヤ人は異邦人の作るパンは汚れたものと理解していましたから、これから行く異邦人の町で食べる為に、ユダヤ人の手で焼いた清いパンを持ってきたかと言われたと思ったのでしょうか、今日の食事当番は誰か、パンの用意を忘れたのは誰かというような議論を始めたのだと思います。でも、主イエスが言われたのはそう言う意味ではありません。命の主は「5千人以上の人に、また4千人以上の人にパンを分け与えたとき、パン屑をいくかご集めたのか思い出しなさい」(マタイ14:13〜21,15:32〜39、ヨハネ6:12)とお叱りになり、もう一度「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい」と言われました。ここまで言われて弟子たちはようやく主の言葉の意味を悟ったということです。

 私たちはマタイによる福音書13章33節でパン種の持つ浸透力と膨張力を学びました。主イエスが言われたファリサイ派とサドカイ派のパン種とはこの二大派閥がユダヤ社会にどれほど大きな影響力を指しています。サドカイ派は祭司、貴族階級によって構成されていましたから、神殿礼拝を司って政治的にも宗教的にも指導的立場にありました。一方ファリサイ派は主に律法学者で占められていました。彼らは会堂礼拝を司っていましたが、日常的にも会堂を中心に活動し、律法を解釈しながら生活の細かい点に至るまで民衆を指導していました。まさに「イスラエルの教師」(ヨハネ3:10)と呼ばれていました。だからこそ彼らが一般のユダヤ人に与えるパン種、即ち教えの内実を思うとき、主はそれを看過できませんでした。ここでは「良く注意しなさい」と言われているだけですが、他の箇所では「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である」(ルカ12:1)とはっきり言っておられます。またその外の箇所でも「律法学者とファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分よりも倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ」(マタイ23:15)と言われました。このようなパン種がユダヤ社会の中に浸透し、膨張し、とんでもない影響を与えていたのです。その一例が15:1〜14です。

 宗教の目的は、「宗教」(religion)という文字が意味するとおり、人を神と結びつけることにあります。天国の子、神の子へと新生させることにあるはずです。しかしサドカイ派やファリサイ派がもたらすパン種はそれを受け入れる者を永遠の神から引き離して悪魔の子、地獄の子、滅びの子にしてしまう恐ろしいものでした。では彼らの教えのどこが偽善であり、人を地獄に引きずり下ろすことになるのでしょうか。彼らは初めからユダヤ人の民衆を地獄に導こうとは考えていなかったはずです。サドカイ派はこの世の権力と結びつきながらもモーセ五書を熟読し、神の権威を恐れていました。異教の国の貴族と違って、全ての権威の拠り所は神にあることを認めていました。ファリサイ派に至っては旧約聖書39巻全てを正典と認めて、そこから神がメシア、キリスト、救い主を下されるという約束を読みとり、また終わりの日の審判とからだの甦りを堅く信じて、人々にその備えをするようにと教えていました。安息日礼拝を遵守します。また一週間に二度断食し、文字通り十分の一の献げものを実行し、貧しい者への施しを忘れません。これらのどこが偽善でしょうか。

 彼らの誠実さに比べると、現代のクリスチャンこそ矛盾だらけ、偽りに満ちた教会生活、信仰生活になってはいないでしょうか。それでも私たちが天国を目指し、彼らが地獄に落ち行こうとしていると言えるとしたら、その分岐点はいったいどこにあるのでしょうか。答えは一つです。彼らの教えは天の父なる神から遣わされた独り子イエス・キリストを拒み、否定することにあるからです。目の前におられるイエスを救い主と認め、受け入れることが出来ない故に、彼らは天国を目指しながら、結局滅びの道を進むことになるのです。大いなる罪は美しく装った偽善から生じると言います。神の救いのご計画を人為的に成就しようとすることが「偽善」と言われる所以なのです。この16章で、私たちはイエス・キリスト、このお方は何者であるかを問われるのです。

 サドカイ派、ファリサイ派はこの世の宗教団体の中で最も天国に近い団体と言うことが出来ます。今日のキリスト教会は彼らほど聖書を熱心に読んでいるとは言えません。今日のクリスチャンは彼らほど忠実に聖書の一字一句を実践しようと言う熱意に欠けていることを認めざる得ません。恥ずかしいことです。実際ある律法学者は主イエスから「あなたは、神の国から遠くない」(マルコ12:34)とお褒めの言葉を受けています。こんなお褒めの言葉を私たちも頂きたいものです。そして天国に近いだけではなく、実際に天国の門をくぐり抜ける者となりたいものです。そのために私たちの為すべき事は何かと申しますと、

 第一に聖書を神の言葉、救い主に出会う唯一の書物として信じて読むことです。

 第二に聖書が証言している通り、イエス・キリストが十字架に死んで私たちの罪を贖いとって下さったことを感謝すると共に、犯した罪を心から悔い改め、それを告白することです。またイエス・キリストは3日目に復活して彼を信じる者に永遠の命を与えて神の子、天の国籍を持つ者として下さったことを信じることです。

 第三に私たちは神の定められた終わりの日の近いことを思い、良い行いをして日を過ごすようにと造られた神の作品として神の御心に沿った生活をすることです。良い行いとは勿論清い生活のことですが、それだけではありません。一人でも多くの人がイエス・キリストの救いに与ることが出来るようにと祈りながら、全ての造られた者の所に出て行って福音を伝えることです。

 たちは神の子としての身分を与えられたものです。ゆめゆめ偽善に流されることのないように、サドカイ派やファリサイ派のパン種には良く注意しましょう。  祈ります。

 

天の父なる神様、あなたの御名を崇め、讃美します。

主はサドカイ派やファリサイ派のパン種、偽りの教えに注意せよと仰せになりました。かつて私たちは偽りの教えに耳を傾け、神ならぬ者を神として崇めたり、偽りの教えが忍び寄ってきていのに、私たちの心は鈍感で、日常のパンを得ることに追い回され、教会生活を疎かにしたこともありました。或いはイエス・キリストを信じるだけでは不十分なような誘惑を感じたりしていたことを思い起こします。これらの偽りに良く注意して、ただあなたの語られる教えにだけ耳を傾けて、あなただけを信じて従う者とならせて下さい。

私たちの主イエスの御名によってお願い致します。アーメン。


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