【主日礼拝メッセージ】                           2001年9月9日

「長寿を満たす」

イザヤ65章17〜20

メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 旨】                                 

「わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない」という神のメッセ−ジが聞こえてきます。

 21世紀の日本は世界で最も長寿国です。しかし現実は長寿が人々の幸せにつながるとは、とても言えません。勿論健康で長生きが出来るならそれにこしたことはありませんが、多くの人は医療機関の支えなしに生きておれないのが現状です。若いときに一生懸命働いたら、老後は安泰だ等と言われて勤勉に働いたもののそれは幻想でしかありませんでした。今の高齢者を待っていたのは、とても暮らして行けない小額の年金と低金利政策です。追い打ちをかけるように年ごとに高騰して行く医療費、一方病院へ行こうと外へ出ると道は狭く、横断歩道の青信号はすぐに赤色に変わってしまいます。乗り物に乗るにも自動券売機が複雑で切符を買うのに一苦労です。一人で生活がし辛くなって施設を頼ろうとすると誰かが死ぬのをせかせるような順番待ちです。これでは100歳まで生きることにどのような意味があるのかと悲鳴が聞こえてきます。この世でどんなに永く生きることが出来ても、社会の厳しい現実と向き合うだけの人生なら、むしろ若死にした方が幸いだと言いたくなります。

 聖書の時代も今も共通する生きることの困難さの中で、しかし預言者の告げる神のメッセ−ジは、幸いなる長寿社会を約束しているのです。神と向き合う者だけが、生きる意味を見出すことができるからです。長寿世界一のこの国にあって、高齢者の一人ひとりがこの厳しい社会の中でも全能の神、今も生きておられる創造主と向き合って信仰に生きる限り、復活の主イエス・キリストにあって「永遠の命」という長寿を満たすことができるのです。

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【主日礼拝メッセージ・本文】     

「長寿を満たす」

イザヤ65章17〜20

 

イザヤ書は三つの時代に区分して読むことが出来ます。

@1〜39章はイザヤ自筆の預言書で、第一イザヤと言います。

A40〜55章は無名の作による書でこれを第二イザヤといいます。時代はユダ王国滅亡(紀元前585年)からバビロン、ペルシャ捕囚末期の頃です。

B56〜66章も無名の作による書でこれを第三イザヤと言います。時代はエルサレム帰還後です。

 ユダ王国が滅亡すると、約15,000人がバビロン帝国に捕囚の民として引かれて行きました。当時ユダ国内の人口は約25万人を擁していたので、捕囚民の数としては少数でした。 しかし彼らは王族、祭司、ラビ(律法学者)と言った政治的、宗教的支配階級や技術者、教育者などユダの中核をなす人々であったため、残されたユダヤ人では国を統率することが出来ません。ヤハウェ礼拝は捧げられていましたが、徐々に異教の慣習に呑み込まれて行きました(イザヤ書57:3〜13,65:1〜5,11節以下、エゼキエル33:24〜29)。イスラエルの宗教を正しく継承していた人々は結局バビロン、ペルシャへと引かれていった捕囚民でした。エジプト国境までの西アジア全域を支配するに至ったペルシャ帝国のクロス王はアッシリア、バビロン時代にはない寛大さで、紀元前538年に各地から捕囚民に故国帰還を許しました。しかし捕囚の地から喜び勇んで帰国した帰還民は近隣諸国のみならず、残留のユダヤ人にとっても招かれざる客でした。その辺の事情はネヘミヤ記やゼカリヤ書などその時代に書かれた歴史書や小預言書を読むと詳しく分かります。200年ぶりに異国の地から帰ってきた人々を待っていたものは、それほどに変わり果てた状況だったのです。

 預言者ハガイの目に映ったエルサレムの住民は神の宮を廃墟のままにしておいて、自分たちだけ立派な家に住んでいました。今日で言えば、自分の家には新しい立派な物を揃えて、教会にはお古を持ってくる信者のような状況です。

 預言者マラキが見たエルサレムの住民は自分の生活を優先して、十一献金も感謝献金も忘れていました。

 ネヘミヤが見たエルサレムの住民は、「最早宗教はヤハウェ宗教に限定するなど心の狭いことを言うな。いろんな宗教人が力を合わせて国造りをするのだ」と大言壮語しては、偶像宗教へと誘惑する人で満ちていました。

預言者ゼカリヤが見たエルサレムは指導者自ら神が民のために立てた契約(律法)を破棄しようとしていました。

 

 そしてイザヤ書65:1〜5へと続きます。これは後に使徒パウロがローマの信徒への手紙(10:20)の中で引用し、異邦人伝道の必要を熱っぽく語っていますが、これは元々異邦人のために書かれたものではなく、イスラエル国内の、ヤハウェを求めようとも、尋ねようともしなくなっていたユダ残留民の為に告げられたメッセ−ジなのです。

 

 帰還民はこんなに変わり果てた残留エルサレムの住民を前にして強いショックを受けました。落胆しました。しかしまさにその時預言の霊の耳に、「わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない」という神のメッセ−ジが聞こえてきました。

 使徒ヨハネは新約聖書の中で、迫害に苦しむキリスト者の為に世の終わりに実現する希望のメッセ−ジとしてこれを引用しています(ヨハネの黙示録21:1)。勿論使徒ヨハネが理解していたように、終末の日には紛れもなく新天新地を見ることが出来ます。しかし第三イザヤはいつか分からない世の終わりを待つまでもなく、ユダヤに住む人々の目の前でそれは実現する日が来ると言います。それはいつのことでしょうか。キリストご降誕の日です。神は7日間で天地創造の業を終えられたのではなく、クリスマスをもってこの世界を再創造し、終末の日に真の世界を見せて下さるのです。

 エルサレムのどこを見ても不義と不正と罪悪に満ちていました。その為に多くの民は苦しみ呻いています。この民を救う神の新しい創造の御業が待たれていました。そしてその祈りが間もなく成就するのです。神の独り子がこの世に降臨なさることで、この世は神の支配に服し、永遠の平和を回復することができるのです。預言者は言います。神のご支配が回復するとき、人々は長寿を全うすると。確かに国民の平均寿命が著しく低下していたこの時代、「100歳」はとてつもなく長寿です。当時の誰もが憧れる寿命でした。

 

 21世紀の日本は反対に世界で最も長寿社会です。しかし現実は長寿が人々の幸せにつながるとは言い難いです。勿論健康で長生きが出来るならそれにこしたことはありませんが、多くの人は医療機関の支えなしに生きておれないのが現状です。若いときに「一生懸命働いたら、老後は安泰だ」と言われて勤勉に働いたものの、今となってはそれは幻想でしかありませんでした。彼らを待っていたのは、とても暮らして行けない小額の年金と低金利政策です。追い打ちをかけるように年ごとに高騰して行く医療費も彼らを一層苦しめます。一方病院へ行こうと外へ出ると道は狭く、横断歩道の青信号はすぐに赤色に変わってしまいます。乗り物に乗るにも自動券売機が複雑で切符を買うのに一苦労です。一人で生活がし辛くなって施設を頼ろうとすると誰かが死ぬのをせかせるような順番待ちです。これでは100歳まで生きることにどのような意味があるのかと悲鳴が聞こえてきます。

 先程私は第三イザヤの時代100歳まで生きることは誰もが憧れる年齢であったと申し上げましたが、当時それが実現できたとして本当に幸せなことと言えたのでしょうか。今と大差ない現実が待っていたと言うほかないでしょう。歴史の現実がそれを証明しています。ではどうして預言者は100歳をもってて祝福された長寿の証と言えたのでしょうか。この世でどんなに永く生きることが出来ても、社会の厳しい現実と向き合うだけの人生であるなら、むしろ若死にした方が幸いだと言いたくなります。ヨブ記の主人公ヨブに至っては打ち続く身の不幸の為、遂に音を上げて、「なぜ、わたしは母の胎にいるうちに 死んでしまわなかったのか。せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。なぜ、膝があってわたしを抱き 乳房があって乳を飲ませたのか。それさえなければ、今は黙して伏し 憩いを得て眠りについていたであろうに」と生の現実を呪っています。

 聖書の時代も今も共通する生きることの困難さの中で、しかし預言者の告げる神のメッセ−ジは、幸いなる長寿社会を約束しているのです。神と向き合う者だけが、生きる意味を見出すことができるからです。長寿世界一のこの国にあって、高齢者の一人ひとりがこの厳しい社会の中でも全能の神、今も生きておられる創造主と向き合って信仰に生きる限り、復活の主イエス・キリストにあって「永遠の命」という長寿を満たすことができるのです。  祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたのみ名を崇めます。

私たちはあなたに出会うまでは弱者に冷たく厳しいこの国に生きていて何の意味があるのかと首うなだれるばかりの人生でしたが、今日このイザヤ書を通して私たちに生きることの尊さを教えて下さいました。罪に満ちた冷たい社会の中に埋没しがちな私たちですが、今あなたは先ず私たちの内なるものを新しくして下さいました。新天新地は外にあるのではなく、イエス・キリストを受け入れる私たちの心の内に創造されるものであることを知りました。あなたを主と信じ従い、あなたと向き合う生活においてこそ満たされた長寿が実現しうることを今信じます。感謝して

私たちの救主イエス・キリストのお名前によってこの祈りをおささげします。アーメン。


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