クリスマス礼拝メッセ−ジ要約】                         2001年12月23日

人となった神

ヨハネによる福音書1章14-18節

メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 約】                  

 幼子イエスをテーマにした宗教画の多くは母マリアの胸に抱かれています。それはそれで一見の価値があります。しかし今日の聖書によると、幼子イエスを懐に抱いているのは母マリアではなく、父なる神です。このような記事を私たちは外の福音書に見ることができません。この福音書の著者は主イエスの12弟子の1人で漁師ヨハネです。彼はある日、主のみ胸に寄りかかったことがあります。この経験を通して、父なる神の懐からこの世界を見つめておられるイエスさまを見出すことができたのです。

 彼は主イエスの懐に寄りかかったとき、一つの発見をしました。それは今まで他の弟子仲間と同じように、外側からイエスさまを見ていましたが、イエスさまの胸に寄りかかってみて初めて主の側から仲間の弟子たちが、そこから広がる世界が見えてきたのです。これは素晴らしい発見です。それで彼もまた他の弟子仲間と同じように主イエス・キリストの物語である福音書を書くにあたって、他の福音書と違う書き方ができました。他の弟子たちは皆正面から、或いは側面からと言うように外側から見える主イエス・キリストを書きました。しかしヨハネだけは主イエスの胸に寄りかかって、主イエスの瞳の内側から見える世界を書きました。それがこのヨハネによる福音書です。私たちはこの福音書を通して初めて主イエスを知ることができるのです。主イエスを知って初めて神を知ることができるのです。著者ヨハネはこの福音書の巻末で主イエスを十字架につけたピラトの口を通して私たちに力強く呼びかけています。「この人を見よ」と。人間の姿を以てこの世界に来て下さった神はイエス・キリストをおいて他にないと言う意味です。

 どうぞ今、あなたもヨハネのようにイエスさまのみ胸に寄りかかって下さい。そうすれば、あなたもあなたのために人の姿をとって救いを成し遂げて下さったイエスさまを必ずや信じる者となるでしょう。

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クリスマス礼拝メッセ−ジ】                         2001年12月23日

人となった神

ヨハネによる福音書1章14-18節

メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 幼子イエスをテーマにした宗教画の多くは母マリアの胸に抱かれています。それはそれで一見の価値があります。しかし今日の聖書によると、幼子イエスを懐に抱いているのは母マリアではなく、父なる神です。このような記事を私たちは外の福音書に見ることができません。この福音書の著者は主イエスの12弟子の一人で漁師ヨハネです。彼はある日、主のみ胸に寄りかかったことがあります。この経験を通して、父なる神の懐からこの世界を見つめておられるイエスさまを見出すことができたのです。もう少し詳しく言うなら、主イエスは地上で最後の晩餐の席で弟子たちに向かって、「わたしと一緒に食事をしている者の中にわたしを裏切ろうとしている者がある」と言われました。弟子たちの中に一瞬緊張が走りました。その時、弟子の一人ヨハネは主の胸に寄りかかって、「それは誰のことですか」と尋ねました。彼は主のみ胸に寄りかかったとき、一つの発見をしました。それは今まで他の弟子仲間と同じように、外側からイエスさまを見ていましたが、イエスさまのみ胸に寄りかかってみて初めて主の側から仲間の弟子たちが、そこから広がる世界が見えてきたのです。これは素晴らしい発見です。これは素晴らしい発見です。この経験から彼は主イエス・キリストの瞳を通して何が見えたのでしょうか。それは争いと差別と抑圧の世界です。偶像礼拝と性の乱れです。家庭は崩壊し、高齢者と幼子が冷たい世間から弾き出されている、要するに罪に満ちた世界です。多くの心ある人でさえ、口をついて出る言葉は「神は何をしておられるのか」という呟きにも似た祈りです。

 しかし、彼は主の御胸に寄りかかってみて分かりました。それは神の無力の勢ではなく、この世界の傲慢から出た罪であることを。それで彼もまた他の弟子仲間と同じように主イエス・キリストの物語である福音書を書くに当たって、他の福音書と違う書き方ができました。他の弟子たちは皆正面から、或いは側面からと言うように外側から見える主イエス・キリストを書きました。しかしヨハネだけは主イエスの胸に寄りかかって、主の側から見える世界を書きました。それがこのヨハネによる福音書です。私たちはこの福音書を通して初めてイエスを知ることができるのです。神はこの罪に染まった世界をただ呆然と眺めているのではなく、このような世界だから元通りの聖い世界に引き戻すために、御子をこの世に遣わして下さったのです。これがクリスマスの意味です。イエスを知って初めて神を知ることができるのです。この福音書の最後の方でイエスを十字架につけたピラトの口を通してヨハネは私たちに力強く呼びかけています。「この人を見よ」と。人間の姿を以てこの世界に来て下さった神はイエス・キリストをおいて他にないと言う意味です。

 今教会の総力を挙げてイエス・キリストの物語を演じたのは、教会一同が皆さんに「この人を見よ」とイエス・キリストを指さしたかったからに他なりません。どうぞ今、あなたもヨハネのようにイエスさまのみ胸に寄りかかって下さい。そうすれば、あなたもあなたのために人の姿をとって救いを成し遂げて下さったイエスさまを必ずや信じる者となるでしょう。祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を崇めます。

 「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示された」と言うみ言葉を感謝します。私たちはこれまで毎年クリスマスを祝っていました。しかしそれは自分の想像を交えて自分の楽しみのためにイエスさまを出しにしてお祝いしていたに過ぎませんでした。はっきり言って、イエスさまなどどうでも良かったのです。ただ世間並みにリースを家の前に取り付け、またツリーを飾り、美味しい料理とケーキを食べ、プレゼントを交換してそれで何となくクリスマスを祝ったつもりでした。しかし今日、本当のクリスマスは自分がまずイエスさまの胸に寄りかかってイエスさまの目線でこの世界を見つめ直すことだと言うことを知りました。そうすることでイエスさまがこの世界に来て下さったわけを知るのです。この世界は汚れきっています。私たちもその一人です。この世界を救うために人の姿でこの世に降り、十字架への道をひたすら前進して下さった神の愛を知ることを今信じます。

私たちの主イエス・キリストの御名によって。アーメン

 


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