【主日礼拝メッセ−ジ要約】                            2002年4月28日

「蝮(まむし)の子らよ」

マタイによる福音書23章13-33節 

メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 主イエスは誤った聖書教育をしているファリサイ派や律法学者を指して、「蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」と言われました。「サタン」(神の敵)は、人類の始祖アダムとエバの時代に蛇の姿で忍び寄り、彼らを罠にかけました。彼らはまんまとその罠にかかり、神の戒めに背いてしまいました。その結果罪がこの世に入り込み、その子孫全てが生まれながらに罪人とされてしまったのです。主イエスが今ファリサイ派の人々、また律法学者たちを指して蝮の子と言われたのはサタン、悪魔の子という意味です。サタンは人の心の隙間に忍び寄り、言葉の罠にかけ、魅力を振りまきます。そして「この世に神はいない」と人間に思い込ませるのです。

 神はこの世の全ての人々が罪を重ねて各々自分勝手な人生を歩んでいる姿。またそうした人々に真の神を示す者として選ばれたはずの指導者たちが聖書を正しく読みとらないで自分勝手に解釈しているばかりか、間違った解釈を人に押しつけているのをご覧になって御心を痛め、今から2千年前に蛇の姿ではなく、人間の姿でこの世に来て下さいました。主イエス・キリストです。しかしサタンにとって最も目障りなのは神です。その独り子イエス・キリストです。「先祖が始めた悪事の仕上げ」とは、主イエスを十字架につけて殺すと言うことです。神に仕えるはずの人々が今悪魔の手下として神の子を手にかけようとしているのです。しかし不思議なことに、神はご自身の独り子を十字架につけ、死に至らしめるというサタンの陰謀を却って救いの手段として下さいました。十字架によって全ての罪を贖いとって下さったのです。この十字架の出来事を神の愛の御業と受け入れ、自分の罪を言い表す人を全て救って下さるのです。その時人は主イエスの僕とされ、来る日には神の愛する子としての身分さえ与えると約束して下さいました。人は神の子とも、悪魔の子ともなり得ると言うことです。もし、あなたが今自分の罪を認めて告白するなら救われます。そして新生の証としてのバプテスマを受けるなら、あなたの前に永遠の生命に至る門は開かれます。あなたも今日神の子と呼ばれます。最早あなたは蝮の子ではないのです。

 

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【主日礼拝メッセ−ジ】                               2002年4月28日

「蝮(まむし)の子らよ」

マタイによる福音書23章13-33節 

メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 先週、仙川駅前の街角を歩いていると、日本キリスト教団仙川教会の案内看板が立っていました。そこには今日、4月28日の礼拝のメッセ−ジ主題と聖書の箇所が掲示されていました。それによると、今朝のメッセ−ジ主題は「わたしを愛するか」となっています。聴いてみたくなる主題です。それに引き比べて私が今朝のために用意した主題は一寸薄気味悪いです。でも、どちらも私たちの愛する主イエスのお言葉から頂いたものには違いありません。そこで二つのメッセ−ジ主題を続けてみると、「まむしの子らよ、わたしを愛するか」と言うことになります。どうか気持ち悪がらずに聴いて下さい。

 

 さて、先週私たちはイエスさまがファリサイ派の人々や律法学者たちの言行不一致に対して警告なさった問題について学びました。今朝は彼らの教えの内容についての警告を学ぶことになります。先週の話をもう少し続けたいのですが、律法学者たちやファリサイ派の人々は聖書の理解を助けるためにタルムードというものを、またその聖書を生活の中で実践する助けとしてミシュナーというものを民衆に与えました。民衆はこれによって聖書が身近になり、日々神さまと対話しながら生活できるようになりました。しかしこの便利なものもイエスさまの目から見て思わぬ落とし穴があることが分かります。イエスさまによると彼らの教えの向こうに天国が見えてこないのです。彼らの教えによっては彼ら自身も民衆も天の国が閉ざされてしまうのです。彼らが海と陸を巡り歩いて人々をユダヤ教に改宗させたとしても、その人を自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうと言うのです。何と言うことでしょう。どこに問題があると言うのでしょうか。

 それは本来聖書の補助的な役割にすぎないタルムードとミシュナーを、「昔の人の言い伝えだから」と権威付けて聖書よりも重んじるようになったことです。彼らはそれをもって聖書に忠実であると自負していますが、人間の言い伝えというタルムードとミシュナーを武器にして民衆に教える聖書解釈は飛んでもない間違いを犯していることに気が付いていません。その一例が16節以下です。話は少し横道に逸れますが、ユダヤ教の会堂では一年がかりでモーセ五書を通読します。イスラエルにおいて12歳以上の子どもの大半は少なくとも申命記全書を暗誦できると言われています。いわんや律法学者は聖書全巻のどこに何が書いてあるかを容易に言い当てることができるのです。しかし主イエスは時に彼らに問いかけます。「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」(ルカ10:26)と。彼らは私たち生半可なクリスチャンよりも聖書に書いてあることを一字一句正確に語ることは出来ます。しかし、それをどう読むかとなると、一寸怪しくなります。彼らはタルムードには何と書いてあるか、ミシュナーはどう言っているかと、そちらの方に関心が行くのです。神さまのみ言葉に聴いているつもりが、いつの間にか人間の教えを優先させてしまっています。その上で聖書を結局は自己流に解釈しますから、本末転倒した聖書の読み方になってしまうわけです。目に見えない神よりも人の言葉に権威を置く人の内面の生活は、その結果強欲と放縦に満ちた杯やお皿、また白く塗った墓と少しも変わらない汚れ果てたものになっていると主イエスは言われます。

 

 そのような人々を指して、「蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」と断罪しました。しかしイエスさまは蛇そのものを悪の代表のように言われたわけではありません。これには歴史的な事情があるのです。神の敵という意味を持つ「サタン」は、人類の始祖アダムとエバの時代に蛇の姿で忍び寄り、彼らを罠にかけました。彼らはまんまとその罠にかかり、神の戒めに背いてしまいました。その結果罪がこの世に入り込み、その子孫全てが生まれながらに罪人とされてしまったのです。主イエスが今ファリサイ派の人々、また律法学者たちを指して、蝮の子と言われたのは、文字通り蝮の子という意味ではなく、サタン、悪魔の子よ、と呼ばれたのです。サタンはいつも私たちの心の隙間に忍び寄り、言葉の罠にかけ、魅力を振りまきます。悪魔の常套手段は「この世に神はいない」と私たちに思い込ませることです。そのようにして私たちの一番弱いところ、急所を探り当ててそこを押さえます。そして私たちを取り返しのつかない地獄の道連れにしようとするのです。

 神はこの世の全ての人々が神を求めることも知らずに罪に罪を重ねて各々自分勝手な人生を歩んでいるのをご覧になり、またそのような人々に真の神を示す者として神に選ばれたはずの指導者たちが神のみ言葉、聖書を正しく読みとらないで自分勝手に解釈しているばかりか、間違った解釈を人にまで押しつけているのをご覧になって御心を痛め、今から2千年前に蛇の姿ではなく、人間の姿でこの世に来て下さいました。それが私たちの主イエス・キリストです。しかしサタンにとって最も目障りなのは神ご自身です。神がこの世にお遣わしになったその独り子イエス・キリストです。「先祖が始めた悪事の仕上げ」とは、主イエスを十字架につけて殺すと言うことです。よりにもよって神に仕えるはずの人々が悪魔の手下として神の子をさえ手にかけようとしているのです。しかし不思議なことに、神はご自身の独り子を十字架につけ、死に至らしめるというサタンの陰謀を却って救いの手段として下さいました。十字架のキリストによって全ての罪を清め、贖いとって下さったのです。この十字架の出来事を神の愛の御業と受け入れ、自分の罪を言い表す人を全て救って下さるのです。その時人はイエスさまの僕と呼ばれ、来る日には神の愛する子としての身分さえ与えて下さると聖書には約束されているのです。人は神の子とも、悪魔の子ともなり得ると言うことです。もし、今あなたが自分を罪人と認めることが出来るなら、サタンが始めた悪事の仕上げとしての十字架こそ私たちを救うために神が開いて下さった永遠の生命の世界へと開かれた門と信じてバプテスマを受けるなら、あなたも今日神の子と呼ばれます。最早あなたは蝮の子ではないのです。祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を崇めます。

 今日私たちに与えて下さったあなたの独り子、救い主イエス・キリストのみ言葉を感謝します。私たちは昨日まで蝮の子であったかも知れません。サタンの巧妙な誘いに乗せられて聖書の言葉を都合よく読み込み、私たちは自分勝手な生き方をしていました。心の中であなたが邪魔に思うときがありました。長い人生の日々、これまで何度あなたを心の中で殺してきたことでしょうか。しかし、あなたは私たちをお見捨てになりませんでした。十字架の上から、「わたしはあなたを贖った。あなたはわたしのものだ」と呼んで下さいました。私たちは今その愛の御声が聞こえます。今あなたに感謝します。今あなたを救い主と信じます。どうか、私たちの罪を赦し、清め、あなたの僕の一人に加えて下さい。

私たちの主イエス・キリストの御名によってお願いします。アーメン


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