【主日礼拝メッセ−ジ要約】                            2002年5月26日

「終わりの日」
マタイによる福音書24章1−14節
メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 主イエスは将来起こる神殿の破壊だけでなく、この世の終わりの日が確かに来ると言われました。その日が近づくに従って、この世の状況は益々悪くなっていくのです。偽キリスト、偽預言者が起こり、宗教の名で人々の心を惑わします。ここ10年ほどの間でも、地域紛争を含む大規模、小規模の戦争は絶えません。第四次世界戦争を本気で想定する国さえあるほどです。また強い地震が諸外国や日本各地を襲っています。地下鉄サリン事件、エイズ薬害問題、O−157事件、BSEの問題は未だ解決の見通しが立っていません。世界中で80%以上の子どもたちが栄養失調に悩まされ、性的虐待を受け、労働力として一家を支え、武器を持って戦場に駆り出され、教育を受けられず、その他様々な苦しみを強いられているそうです。「多くの人の愛が冷え」ているのです。年若い者が年長者に平気で威張った物言いをしています。自転車は歩行者が邪魔だと呼び鈴を鳴らし、そこどけと言わんばかりに走り去って行きます。お陰で歩行者は進路を妨げられるばかりでなく、命の危険さえ感じ始めています。

 公共の乗り物にシルバーシートがあります。これこそ愛が冷えている証と言わなければなりません。これではシルバーシート以外の所は高齢者、肢体不自由者、妊婦、病弱者は優先的に座れないことになるのです。このような時代に主の愛を伝えることは困難です。教会は苦しみを受けます。あらゆる人々に憎まれ、迫害されます。教会に通うクリスチャンもつまずき、主と教会を裏切って信仰を捨てます。双方の間で憎悪が激しくなり、不法がはびこります。

 確かにこうした現象は終わりの日が近いと感じさせます。しかし私たちの考える終わりの日はまさにその先には何もない絶望的終末ですが、主イエスが言われる終わりの日は何かが生み出されるための産みの苦しみなのです。悪も不正も、憎しみも偽りも、裏切りも、不幸と言われる一切のものを終わらせるための陣痛です。そしてその先には今まで見ることも聴くことも出来なかったとても美しい世界が用意されているのです。だから教会はその日を確信し、希望を持ってさまざまな苦しみに耐えるのです。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と言う約束を信じて。

 

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【主日礼拝メッセ−ジ】                           2002年5月26日

「終わりの日」
マタイによる福音書24章1−14節
メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 今日の聖書テキストをルカ21章と並行して読むと、意外なことが分かります。と言うのはマタイ23章での律法学者、ファリサイ派に対する警告に続いて、24章の終わりの日についての警告の間に一つのエピソードが挿入されています。それは金額にすれば、ほんの僅かなのですが、その人にとっては精一杯の献金をしたやもめの物語です。主イエスは彼女について、「外の人は皆、有り余る中から献金したが、この人は持っている生活費の全てを献げた」と弟子たちの注意を喚起なさったのです。しかし、肝心の弟子たちは別の所に目と心が引き寄せられていました。見事なばかりの神殿を見て、反対に主イエスの注意をそちらの方に向けさせようとしているのです。当時神殿の石垣はその1つだけでも長さ約20m、幅約2.5m、高さ約2mあり、100トンもの荷重に耐えられるものだったそうです。弟子たちの目には実に美しく、また頼もしく見えました。「ああ、ユダヤ人に生まれてきて良かった」という感慨に浸っていたのではないでしょうか。しかし主イエスは弟子たちが指さす神殿を主もまた指さして、この神殿もやがて粉みじんになる日が来ると言われるのでした。マタイ23:38はそう言う意味だったのです。事実紀元70年、圧倒的な力を誇るローマの大軍は反旗を翻したユダヤ軍の前線を撃ち破り、更にその首都エルサレムに猛攻を加えたので、神殿は跡形もなくなってしまいました。

 弟子たちは主イエスのこの一言に緊張しましたから、「そのことはいつ起こるのですか」と尋ねました。それはローマ軍によってエルサレムが壊滅する40年も前のことですから、神殿が破壊されるなどと言うことはあり得ないことです。そんなことになったら、それはもう世の終わりとしか言えません。

 

 私たちは今会堂建築に向けて祈っています。その実現のためにどれくらい献金できるかと言うことも、皆さん一人ひとりの祈りとなっていることでしょう。しかしどんなに立派な会堂を建てることが出来たとしても、それはいつか壊れること、朽ち果てるときが来ると言うことを心しておかなければなりません。実は紀元70年にあの立派な神殿がローマ軍によって破壊する以前に、ユダヤ人は既にその内面において信仰そのものが崩壊していたのです。信仰の崩壊が神殿の破壊を促したと言えます。主イエスの御声は私たちにも厳かに聞こえてきます。私たちがどれほど立派な会堂を建てようとも、もし真に主の弟子として見るべきものを見ず、聴くべき声に聴かず、ただ建物のことに心が釘付けになっているなら、この教会にもいつか偽キリスト、偽預言者が忍び込み、争いの果て分裂・分派、破壊の時を迎えなければならないのです。

 

 主イエスは将来起こる神殿の破壊だけでなく、この世の終わりの日が確かに来ると言われました。その日が近づくに従って、この世の状況は益々悪くなっていくのです。先ず偽りのメシア(ギリシャ語ではキリストと言います)、偽預言者が起こり、宗教の名で人々の心を惑わします。ここ10年ほどの間だけを考えても、地域紛争を含む大規模、小規模の戦争は絶えません。今や第四次世界戦争を本気で想定する国さえあるほどです。また予想を遙かに超える強い地震が諸外国や日本各地を襲っています。オーム真理教によるサリン事件、エイズ薬害問題、O−157事件、BSEの問題は未だ解決の見通しが立っていません。又聞きですが、ユニセフでご活躍の黒柳徹子さんによると、世界中で80%以上の子どもたちが栄養失調に悩まされ、性的虐待を受け、労働力として一家を支え、武器を持って戦場に駆り出され、教育を受けられず、その他様々な苦しみを強いられているのです。

 確かに終わりの日の近いことを感じます。その徴は、「多くの人の愛が冷える」ことです。年若い者が年長者に平気で威張った物言いをしています。車が増えて自転車の走る道がなくなったので、やむを得ず歩道も走って良いと言うことになったのは今から30年ほど前のことでしょうか。但し、それには一つの条件がありました。歩行者の進路を妨げてはならないと言う約束になっていたはずです。しかし今頃は歩行者が邪魔だと呼び鈴を鳴らして、そこどけと言わんばかりに走り去って行きます。お陰で歩行者は進路を妨げられるばかりでなく、命の危険さえ感じ始めています。

 公共の乗り物にシルバーシートがあります。これこそ愛が冷えている証と言わなければなりません。これではシルバーシート以外の所は高齢者、肢体不自由者、妊婦、病弱者は優先的に座れないことになるのです。これではどこであっても座席を譲るのが当然という風潮は培われません。いやもっと悲しいのはそのシルバーシートさえ若者や元気な人に奪われているのです。このような時代に主の愛を伝えることは困難です。教会は苦しみを受けます。あらゆる人々に憎まれ、迫害されます。教会に通うクリスチャンでさえ信仰が分からなくなってつまずき、主イエス・キリストを裏切って信仰を捨てます。双方の間で憎悪が激しくなり、不法がはびこります。

 確かにこうした現象は終わりの日が近いと感じさせます。しかしこれをもって終わりと言うのではないと主イエスは言われます。それは「終わりの日に向かう産みの苦しみだ」と言われるのです。主なる神が聖書を通して言われる終わりの日は私たちの予想する終わりの日とは少し違っていることに気が付きます。私たちの考える終わりの日はまさにその先には何もない絶望的終末でした。しかし主イエス・キリストが言われる終わりの日は何かが生み出されるための産みの苦しみなのです。悪も不正も、憎しみも偽りも、裏切りも、不幸と言われる一切のものを終わらせるための陣痛です。そしてその先には今まで見ることも聴くことも出来なかったとても美しい世界が用意されているのです。だから教会はその日を確信し、希望を持って多くの苦しみに耐えるのです。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と言う約束を信じましょう。

 イエス・キリストは2000年も昔に世界の終わりについてこのようにお話しになりました。神がお造りになったこの世界はいつか終わりを迎えるのです。これは神のご計画ですから私たちにはどうしようもありません。しかし恐れてはなりません。見える世界は終わりますが、見えない世界は永遠です。主はそれを天国と言われます。天の国とは神と顔と顔を合わせてみることの出来る世界です。私たちは今は罪のために神を見るとが出来ませんが、その日には神の御前に出ることが許されるのです。14節を見て下さい。「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証として、全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る。」と主イエスはこの説教を締め括られました。24:1−13までの話は絶望的な終わりを語って、恐怖を植え付けることが目的ではありません。「福音」なのです。福音とは人々を本当の幸福へと導く知らせのことです。世の中がどんなに悪くなっても、愛が冷えても、この福音は全世界に必ず宣べ伝えられ、行き渡るのです。誰が宣べ伝えるのでしょうか。教会です。教会だけがそうする特権を与えられているのです。神は今なおそれほどの忍耐と愛をもって一人でも多くの人が救われるようにと待って下さっているのです。  祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を崇めます。

 私たちはこの世が日に日に悪くなっているのを見て、ただ悲しいんでいるばかりでした。しかし、あなたはあなた御自身この罪深い世界に人の姿をとっておいで下さり、ひたすら忍耐して人々が悔い改めるのを待ち、救いを与えて下さいました。私たちこそあなたの憐れみによって救われました。今日あなたから頂いたみ言葉をもって、この罪深い世界に出て行きます。罪に苦しむ人々の所に出かけてまいります。終わりの日の近いことを、けれども悔い改める者にはあなたの独り子イエス・キリストの十字架がその者を救う力のあることを精一杯証して参ります。どうか人を愛することと、語る言葉をお与え下さい。

私たちの主イエス・キリストの御名によってお願いします。アーメン


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