【主日礼拝メッセ−ジ要約】                       2002年6月30日

「思いがけない日に」(神学校週間)
マタイによる福音書24章32−44節
メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 最近ごく親しい2人の方々が60歳前後の若さで急死しました。 人の生き死には私たちの都合を待ってはくれないと言う厳粛な事実を目の当たりにしました。

マタイによる福音書24−25章は特にこの世の終わりとその直ぐ後に行われる神の審判について記されています。私たちはこのような箇所を読むと、その日がまだ先のこと、或いはおとぎ話のようで、現実味を感じません。果たしてそうでしょうか。終わりの日、主の再臨の日はまだ先のことと聞き流して良いのでしょうか。よしんば主の再臨がもう少し先のことであるとしても、あなたの人生そのものは永遠ではありません。Aさん、Bさんの出来事を例に挙げてお話しした通りです。

A姉妹のように、召される前日まで教会が計画していた伝道集会の準備をして、じゃあまた明日ね、と教会の門を出たその夜が、彼女の人生の終わりとは誰が予想できたでしょう。Bさんのように定年後の第二の人生設計を立てて、その日を楽しみにしながら会議の真っ直中に倒れて、数週間意識が戻らぬまま人生にピリオドを打つことになるとは誰が予想できたでしょうか。

  「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される」という40節のみ言葉が、 どう言う意味かお分かりでしょうか。これは2分の1を指す言葉ではありません。 主なる神さまの御前に人は二種に分けられると言う意味です。救われる者と滅びる者が厳選される瞬間、それが終わりの日なのです。

あなたはいつこの世の人生を閉じることになってもよい心の準備ができていますか。 あなたはあなたの死後神さまの御前に出る備えができていますか。告白すべき罪を告白しましたか。 主イエス・キリストの御前に救われているという確信が今ありますか。 主はあなたが真実な心で神さまの御前に出てその罪を悔い改めて告白するならどんな罪でも赦して下さいます。しかし罪の悔い改めと救いを受け入れる決心を一日のばしにしていると、永遠に悔いを残すことになります。あなたの人生は今日閉じられるかも知れないのですから。

 

 

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【主日礼拝メッセ−ジ】                    2002年6月30日

 

「思いがけない日に」(神学校週間)

マタイによる福音書24章32−44節
メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 私たち日本バプテスト連盟では先週から今日まで、「神学校」を覚えて祈る日々を過ごして参りました。その主旨については先程壮年会がアピールした通りです。神学校週間はそこで教鞭をとっておられる先生方や職員さん、何よりも神学生の学びと生活が支えられるようにと祈り、またささげる必要を確認する時であります。

 私たちの団体には、西南学院大学神学部を初めとして、色々な神学校を卒業した所謂「教役者(きょうえきしゃ)」と呼ばれる人がいます。 大抵の場合、牧師・伝道者として諸教会に仕えていますが、その数は約480人です。一方日本バプテスト連盟にある教会・伝道所の数は330です。単純に1つの教会に1人の牧者が遣わされたとしたら、152名余る計算になるのですが、実際には30ほどの教会・伝道所は無牧師の状態です。その理由は夫婦が一つの教会で働いている場合、神学校の教授、宣教師として働いておられる牧師、日本人教会の牧師として外国で働いている場合、留学中の人たち。その他協力牧師、複数の牧師を擁している教会などが考えられます。一方で定年を迎えた年金牧師約70人が殆ど牧師謝礼をお支払いできない教会・伝道所で働いて下さっています。しかしこの先生方も、10年以上働き続けることは体力的に無理です。その10年の間に現役牧師の中からも定年を迎える人が出てくることは必至です。すると10年後に無牧師の教会は更に増えるのです。 この現実を思うと、胸が痛みます。複数牧会している教会から無牧師の教会に散らされて行く教役者が与えられることと、一層多くの献身者が待たれます。

 使徒パウロは、「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことが出来よう。 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。」(・コリント10:14−15)と言います。国内伝道を考えるだけでも、日本には47の都道府県があります。幸い現在1都道府県に1教会はあります。しかしそれで十分だ等と考える人はいないでしょう。各市や郡部にまで教会をとなると、330の教会・480名の働き人で十分とはとても言えません。  札幌、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡などの都市には数多くの教会があり、牧師も大勢います。 しかし1つの県に教会が3箇所以下と言う地方が沢山ある事実を忘れないで下さい。 多くの教会は経済的に力も弱く、従って牧師に十分な謝儀を差し上げられないでいるのです。 牧師たちはそれを補うために1週間、世の仕事をしながら生計を立て、主日礼拝や祈祷会のためにクタクタの体でメッセ−ジの準備をし、精一杯の牧会をしている現実を忘れないで下さい。それでも牧師とその貧しい教会は唯一つの目標を目指して力を合わせています。 それは沢山の信者を集めて、経済的に豊かな教会になろう等という邪な目標ではありません。 彼らの目指しているものはただ一つ、 圧倒的な数のキリストを知らない人々に、昨日も今日もまた明日もキリストを宣べ伝えているのだと言うことを忘れないで下さい。在学している神学生の数では、定年で引退する牧師の数を埋めることは出来ません。 日本全国津々浦々に福音を伝えるためにもっと多くの教会と、もっと多くの信徒が主の召命に答えて献身する働き人が必要です。更に今、このメッセ−ジを読んでいる人に申し上げたいのです。神学校を覚えると言うことは、神学生が遣わされる諸教会を覚えて祈ると言うことです。 諸教会を覚えて祈るということは、それぞれの教会の地域にある人々が一人でも多くイエス・キリストの救いに与ることが出来るようにと祈ることです。つまりあなたの救いのために祈っていると言うことなのです。

 主イエス・キリストは、「いちじくの木から教えを学びなさい。 …それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい」と言われました。また「人の子は思いがけないときに来るからである」と警告しておられるのです。終わりの時が近づいています。 ノアの洪水物語を心に留めましょう。ノアが方舟に入るその日まで、人々はそれぞれ自分の生活に没頭していました。神の審きが下るなど誰一人信じなかったのです。いつの時代もそうです。毎週、毎週、人々はこの教会堂の前を行き交います。そしてたまには足を止めて次の主日礼拝の説教題やみ言葉を読んで行きます。しかし教会に足を踏み入れようとはしません。みな自分の生活が忙しいのです。人は皆それぞれ関わっている仕事や問題の解決に没頭しています。礼拝に来るひまがないのかも知れません。教会の側でも、「暇が出来たら来てください」と遠慮がちな誘い方をしますから、人々の心の優先順位はこの世のことで一杯になってしまうのです。聖書を通して繰り返し主が仰っているように終わりの日は思いがけないかたちで到来することでしょう。

 最近私のごく親しい2人の方が60歳前後の若さで急死したという知らせを受けました。このことを通して人の生き死には私たちの都合を待ってはくれないと言う厳粛な事実を目の当たりにしました。Aさんは召される前日まで教会が計画していた伝道集会の準備をして、じゃあまた明日ね、と教会の門を出たその夜が、彼女の人生の終わりとは誰が予想できたでしょう。Bさんは定年後の第二の人生設計をして、その日を楽しみにしながら会議の真っ直中に倒れて数週間意識が戻らぬまま人生にピリオドを打つことになるとは誰が予想できたでしょうか。

 マタイ24−25章は特にこの世の終わりとその直ぐ後に行われる神の審判について記されています。私たちはこのような箇所を読むと、その日がまだ先のこと、或いはおとぎ話のようで、現実味を感じません。果たしてそうでしょうか。終わりの日、主の再臨の日はまだ先のことと聞き流して良いのでしょうか。よしんば主の再臨がもう少し先のことであるとしても、あなたの人生そのものは永遠ではありません。Aさん、Bさんの出来事を例に挙げてお話しした通りです。

 「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される」という40節のみ言葉がどう言う意味かお分かりでしょうか。これは2分の1の確率を指す言葉ではありません。 主なる神さまの御前に人は二種に分けられると言う意味です。救われる者と滅びる者が厳選される瞬間、それが終わりの日なのです。

 あなたはいつこの世の人生を閉じることになってもよい心の準備ができていますか。あなたはあなたの死後神さまの御前に出る備えができていますか。 悔い改めるべき罪の告白が出来ていますか。主イエス・キリストの御前に救われているという確信が今ありますか。主はあなたが真実な心で神さまの御前に出てその罪を悔い改めて告白するならどんな罪でも赦して下さいます。しかし罪の悔い改めと救いを受け入れる決心を一日延ばしにしていると、永遠に悔いを残すことになります。あなたの人生は今日閉じられるかも知れないのですから。   祈りましょう。

天の父なる神さま、あなたの御名を崇めます。

 ノアの時代の人々は方舟が閉じられるまで自分の生活に忙しく、ノアを通して語られるあなたの警告に耳を傾けませんでした。今の時代も同じです。私たちはこの世に生かされている者として、果たすべき責任の重さを自覚しています。それでついそれに没頭する余り、あなたのことを忘れがちになっていました。自分に与えられた人生が果てしなく続くように錯覚して、最も大事なことを後回しにしていました。主イエス・キリストの再臨がいつか分かりません。しかし、その日は必ず来るのです。あなたが約束されたのですから、間違いのない事実です。しかも私たちの命はその日がまだ来ない内に取り上げられるかも知れません。思いがけない日、思いがけないときにあなたは「人の子よ、帰れ」と、あなたの御許に私たちを召し上げます。その日、私たちはあなたの御前に申し開きしなければなりません。どうか罪の問題を未解決なままにあなたに召し上げられることのないように私たちを憐れんでください。主イエス・キリストが一度(ひとたび)この世に来て私たちの罪を贖いとって下さった事実を信じる者とならせて下さい。私たちの固く閉ざされた心の扉を今あなたの呼びかけに従って開く者とならせて下さい。この世にはまだあなたを知らず、自分の人生のことだけに没頭している人が多くいます。どうか、この国の津々浦々に主イエス・キリストの教会が誕生しますように、その教会で牧師として働く若者をもっと多く神学校へ送り込んで下さいますように。

私たちの主イエス・キリストの御名によってお願いします。アーメン

 


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