【主日礼拝・メッセージ要約】                2003年11月2日                      
主の慈しみ

詩編 30編1〜4節

メッセージ 高橋淑郎牧師

 

 この詩編はその1節に記されているように、詩編30編は本来神殿を奉献する礼拝で歌われるようにと作られたものです。しかし、詩編全体の流れから、この詩人は本当の神殿とは何かをわたしたちに教えています。すなわち詩人が言う神殿とは目に見える建物としての神殿ではなく、神を自分の心のうちに受け入れることによって、詩人の内に神の宮が建ち上がったのです。この詩編は内なる神殿としての自分自身を献げる信仰の告白であり、また同時に世の人々に対するメッセージの歌ということができます。詩人はかつて重い病に苦しみ、一度は死を覚悟しましたが、癒されました。この体験は彼の心の目を開かせるに十分でした。生きるも死ぬも全ては天と地を創造された神の御心のままだという気付きを与えられたのです。しかも4節に言うように、彼にとって生死はただ肉体の問題ではなく、魂にかかわる問題です。多くの人は墓を以て人生の終着点と考えますが、詩人は違います。死後の世界を信じているからです。彼にとって死後は無ではありません。不安と孤独の未来でも、神から切り離された暗闇と絶望の世界でもありません。それゆえに今生きるは神の恵みという感謝を忘れない人です。これが「主の慈しみに生きる」人の生き方なのです。

 モーセはその祈りの中で、 「地上の命は長くて80年、その日々は悲しみと苦しみに満ちている。 しかし、人には帰るべきところがある。それは神の懐である」と言っています。

 今朝、わたしたちの教会では先に天の父である神の主権の御手に移された15名の信仰の先立を心に留め、神の栄光をほめ讃える記念礼拝を捧げています。彼らもまたこの地上にある間の70年、あるいは80年を振り返るとき、その大半は涙を流す日々、苦悩の日々であったことで小。しかし、今は髪の懐に抱かれて慰められています。そして、遺されたわたしたちに対して、「天と地の創造主である神の慈しみに生きよ」と語りかけているのです。

 
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【主日礼拝・メッセージ】                2003年11月2日                      

主の慈しみ

詩編 30編1〜4節

メッセージ 高橋淑郎牧師

 

 今朝、わたしたちの教会では先に天の父である神の主権の御手に移された15名の信仰の先立を心に留め、神の栄光をほめ讃える記念礼拝を捧げようとしています。

 この詩編はその1節に記されているように、詩編30編は本来神殿を奉献する礼拝で歌われるようにと作られたものです。しかし、詩編全体の流れから、この詩人は本当の神殿とは何かをわたしたちに教えています。即ち詩人が言う神殿とは目に見える建物としての神殿ではなく、神を自分の心のうちに受け入れることによって、詩人の内に神の宮が建ち上がったのです。この詩編は内なる神殿としての自分自身を献げる信仰の告白であり、また同時に世の人々に対するメッセージの歌ということができます。詩人はかつて重い病に苦しみ、一度は死を覚悟しましたが、癒されました。この体験は彼の心の目を開かせるに十分でした。生きるも死ぬも全ては天と地を創造された神の御心のままだという気付きを与えられたのです。しかも4節に言うように、彼にとって生死はただ肉体の問題ではなく、魂にかかわる問題です。多くの人は墓を以て人生の終着点と考えますが、詩人は違います。死後の世界を信じているからです。彼にとって死後は無ではありません。不安と孤独の未来でも、神から切り離された暗闇と絶望の世界でもありません。それゆえに今生きるは神の恵みという感謝を忘れない人です。これが「主の慈しみに生きる」人の生き方なのです。モーセもまた詩編90編の中で、「地上の命は長くて80年、その日々は悲しみと苦しみに満ちている。 しかし、人には帰るべきところがある。それは神の懐である」と言っています。

 テーブルの上に神の御許に召された15名の教会員の写真があります。1995年11月5日付け執事会報告によりますと、1993年11月7日に「永眠者名簿」の原本を作成する際の申し合せ事項として次のように確認した記録があります。 「逝去された初年度は名簿に記載せず、特別の記念式を行い、次年度から名簿に記載する」とあるからです。但し、今野高子姉については例外をお許し願いたいのです。それというのも、姉妹については残念ながら教会で葬りの礼拝、葬式を執り行うことができなかったからです。それで本日ここに彼女の在りし日の写真を添えさせていただき、14名の方々と共に彼女を心に留めてご一緒に礼拝を捧げたいのです。

 

 高木鎭一・美津子ご夫妻は、時折礼拝に出席される昭之兄のご両親です。召天日はそれぞれ、1954年10月15日と1982年11月13日です。とりわけ美津子姉は教会のメンバーの一人として、懐かしく思い出されます。ご夫妻ともイエスさま第一の生涯を貫かれたと聞いています。

 

 関野九郎・はるの ご夫妻は、私たちの教会のメンバーである岡本綾子姉のご両親です。召天日はそれぞれ、1971年7月25日と1989年3月12日です。はるの姉は教会員の一人として、礼拝を大切にしながら、同時にお互いの交わりを通して、今も信仰の足跡を認めることが出来ます。

 沢田アキ姉と鈴木洋男兄は鈴木菊枝姉の母上とお連れ合いであり、また鈴木美子姉のご祖母とお父上です。召天日はそれぞれ1977年8月9日、2001年7月13日です。洋男兄は長くこの教会のメンバーとして、教会員の信望も厚く、学ぶところの多い兄弟でした。菊枝姉はどんぐり山ホームで母上を思いつつ、祈りを合わせておられることでしょう。

 立川孔弘・田鶴子ご夫妻と孔次さんは國田光恵姉妹のご両親と御夫君です。召天日はそれぞれ1945年8月17日、1985年5月15日、1976年11月11日です。

 白石伍郎・せつご夫妻は、吉野純子姉のご両親です。召天日はそれぞれ、1980年7月28日、 1979年10月20日です。 生活協同組合を創設して社会の底辺に取り残された人々の救済に熱心であった賀川豊彦牧師と共に、その活動に参加された敬虔なクリスチャン夫妻です。また聖公会の教会で信仰の養いを受けながら、良く信仰の道を全うされたと言うことです。

 角柄登喜雄兄はタツ子姉の御夫君で、召天日は1999年4月29日です。寡黙な人ですが、ユーモアのセンスに富んでいる人でもありました。まさに一粒の麦となって地に落ちて死にましたが、その死は空しく終わらず、タツ子姉がこの教会に導かれる機会となり、ご自身もまた主の御手に受け入れられました。

 服部貞子姉は幸太郎兄の夫人です。 召天日は1999年10月13日です。小さな身体で時折強い風に押し戻されそうになりながら、しかし何よりも教会を愛し、礼拝と木曜祈祷会に出席なさっていました。

 高橋シン姉はわたしの母です。 彼女についてはすでにお話したことがありますのですので、多くを語りません。ただ、82歳で天に召される3ヶ月前に救われたことだけを申し上げておきます。

 今野高子姉は若い頃、今では数少ない刀工と結ばれましたが、やっと手に入れた幸せも束の間、30代の若さでその配偶者に先立たれました。 その後50年の紆余曲折を経て新川の団地に住み、 茶道の師範として身を立てておられました。そんなある日、一枚のチラシがきっかけでわたしたちの教会に来られるようになり、1年後の2000年4月23日、イースターの日に旧会堂でバプテスマを受けました。 あれから3年後の2003年2月25日早朝、 神奈川県厚木市戸室町にある有料老人ホーム、「みどりの丘」で急逝されました。85歳でした。

以上15名の人々もみな神を信じ、死後の世界を信じ、そして神の主権の御手に移されていきました。 そして詩人と共にわたしたちに「主の慈しみに生きよ」と語っているのです。   祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を崇めます。

 わたしたちは今あなたの主権の御手に移された15名の兄弟姉妹を記念してここにあります。モーセはその祈りの中で、 「地上の命は長くて80年、その日々は悲しみと苦しみに満ちている。 しかし、人には帰るべきところがある。それは神の懐である」と言っています。 確かに地上に残されている多くの人々はこの世ではいつ果てるともない悲しみと苦しみの日々の中にあります。しかしわたしたちには帰るべきところがあります。それはあなたの懐です。 どうか、この世にあって苦しみと孤独の中に取り残されている全ての人々に、「主の慈しみの中に生きる」道を教えてください。

私たちの主イエス・キリストの御名によってお願いします。アーメン。


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