【主日礼拝メッセ−ジ要約】−新年礼拝−                 2005年1月2日

 目を上げる 
詩121編1―8節
 メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 この詩人にとってシオンの山は特別です。はるかシオンの山に向かって目を上げて主なる神の助けを祈ります。そこには天と地を創造された永遠の神を礼拝する都があるからです。

 新しい年、2005年、どのような事態がわたしたちを待ち受けているかしれません。昨年まで世界中に起こった数々の悲劇を思うと、わたしたちの足はすくみます。前進する勇気が萎えそうです。しかし主なる神はわたしたちを礼拝へと呼び戻し、約束が確かなものであったことを思い起こさせてくださいます。全能の神はみ言葉を伝える足、隣人に仕える奉仕の足がよろめくことのないように、常に守り導いて下さいます。巡礼者の旅にも似た信仰者の地上の生活は決して平穏なものではありません。昼は焼け付くような太陽の熱に体の水分を吸い取られます。皓々(こうこう)と冴えわたる月明かりは、不気味に地表の熱をすべて奪い取るように、寒さが体を突き刺します。この世の生活はこの太陽の熱よりも凍えるような月明かりよりももっと巧みなサタンの罠によって、わたしたちの霊性を衰弱させようとするでしょう。しかし神は、主イエス・キリストにより頼む信仰者に対して、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって、すなわちあらゆる罪の力に対して、時に応じた大いなる御手でわたしたちを保護してくださるのです。

 そこでわたしたちは感謝のうちにメッセージに応答することができます。それが7−8節です。主は常にわたしたちの魂に目を留めてくださるお方です。だから私たちもシオンの山ならぬこの会堂にきて、主なる神を仰ぎ見る者であり続けましょう。永遠の主なるイエス・キリスト以外にわたしたちの信仰生活に勝利を与えてくださる方はいないからです。

  
福音メッセージ一覧へ戻る


【主日礼拝メッセ−ジ】−新年礼拝−                 2005年1月2日

 目を上げる 
詩121編1―8節
 メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 わたしたち夫婦が結婚して3年目から福岡市内にある有田バプテスト教会に通うようになりました。当時はまだ伝道所で10分ほど手前にある幼稚園の一室を借りて細々と礼拝を守っている程度でした。その伝道所にMさんご一家がおられました。夫人は若いころ台湾で学校の先生をなさっていたことがあり、機会あるごとにいろいろな思い出話を聞かせて下さいました。今も覚えている興味深い話があります。戦後教え子の招待で香港に旅行したときのことです。彼女はそのころクリスチャンになっていたので、教会関係者の案内で「東風山」という小高い丘に登って行きました。その頂には神学校と六角形の会堂があります。地元のキリスト者たちはその山を「聖山」と呼んでいたそうです。会堂の脇に人ひとりがやっと通れるくらいの小さな横穴があり、中へ入ると石室に突き当たります。薄暗い小さな部屋は祈祷室として用いられていました。正面の壁に文語訳で読めば、「われ山に向かひて目を挙ぐ」という詩121編1節を四文字で「向山挙目」と書かれた文字を見ながら、石畳の上に腹ばいになって祈るのですが、しばし豊かな神との対話の時を持つことができたということです。

 詩120編から134編まで15の歌の各1節に、「都に上る歌」というタイトルが付けられています。特にエズラ、ネヘミヤの時代には捕囚の地から解放されたイスラエルの民が、これらの詩編歌を喜び歌いつつエルサレムの都を目指して帰還したことでしょう。126編にそのときの感激が伝わってきます。

 さて、今朝与えられた詩121編はどのような歌でしょう。この詩人は山に特別の思いを持っています。彼にとって山というとき、ひとつにはシナイ山が思い出されたことでしょう。あの山で、イスラエル民族はモーセを通して永遠の契約といわれる十誡が与えられました。シナイの山に向って目を上げるとき、彼の心にインマヌエル(神われらと共にいます)の信仰が確かなものにされます。あの山で、神はモーセに約束されました。「わたしは決してあなたを見捨てず、あなたと共にあって、この民を導く」(出エジプト記33:14)と。

 詩人がその心に思い浮かぶもうひとつの山があります。それはシオンの山です。その昔、ダビデはこの山に都を設け、その子ソロモンは民族の信仰の証として神殿を建立し、これを献堂しました。詩人がこの歌をうたったとき、おそらくその身はバビロンに囚われの身となり、この都も、そこに建てられた神殿も既に廃墟と化していたかもしれません。「国敗れて山河あり」と言います。国と国が相争い、人が人を殺めても、動じることなく山も川もただ悠然として、自然の営みを変えることはありません。また人の心は状況によって変化しますが、シオンの山は変わりなくそこにあります。一昨晩から元旦にかけて多くの人々はその雄大な山々に神秘なものを感じて「霊山」と呼んではその頂に登り、初日の出に手を合わせたことでしょうが、その山も永遠ではありません。いつかは形を変え、その姿を止めることがなくなるかもしれません。

 しかし、詩人にとってシオンの山は特別です。詩人ははるかシオンの山に向かって目を上げて主なる神の助けを祈ります。そこには天と地を創造された永遠の神を礼拝する都があるからです。ソロモン王は献堂の祈りの中で、「子孫がどこに散らされてもこのシオンの山と都エルサレムを思い、あなたに祈りを捧げるとき、その祈りを聞いて、罪を赦してください」と神にとりなしましたが、この詩人もまたシオンの山を思い、この山に向かって目を上げ、山ではなく、天と地の創造主である神に祈るのです。この神こそ、昨日も今日もまたいつまでも変わりなく生きておられます。この永遠の神だけが、あらゆる苦難から救いの御手を伸べて下さるのです。

 続く3節から6節ではもう一人が、恐らくそれは祭司、或いは会堂司かもしれません。この祈りに呼応するように、神の約束のみ言葉を取り次ぎます。皆さん、これが礼拝の中で「交読する」ことの意味なのです。会衆は神への信仰を言い表し、司式者は神のみ言葉を代弁し、こうして交読しながら神への願い、信仰の告白、その祈りに対する神の約束のみ言葉を交唱し、会衆も司式者も共に天地の創造主を讃美するのです。

 わたしたちが礼拝の中で交読するとき、印刷された交読文をただ棒読みするのではなく、会衆も司式者も、一人ひとりが心込めて神への祈りと信仰の告白として、神から与えられた約束のメッセージに心に受け止めながら交読して下さい。告白して下さい。証して下さい。讃美して下さい。本当は新鮮な思いに導かれるために、交読するみ言葉を毎週変えた方が良いのかもしれませんが、一ヶ月同じみ言葉を交読することで、未信者の方も子どもさんも交読箇所を少しは記憶にとどめやすいのではないかと思うからです。

 メッセージを続けましょう。新しい年、2005年、どのような事態がわたしたちを、この教会を待ち受けているかもしれません。昨年まで世界中に起こった数々の悲劇を思うと、わたしたちの足はすくみます。前進する勇気が萎えそうです。しかし主なる神はわたしたちを毎主日、この会堂に呼び戻し、約束が確かなものであったことを思い起こさせてくださいます。昨日までそうであったように、明日もその次の日も全能の神はわたしたちのみ言葉を伝える足、隣人に仕える奉仕の足がよろめくことのないように、まどろむことなく守り導いて下さいます。巡礼者の旅にも似た信仰者の地上の生活は決して平穏なものではありません。昼は焼け付くような太陽の熱に体の水分を吸い取られます。皓々(こうこう)と冴えわたる月明かりは、不気味に地表の熱をすべて奪い取るように、寒さが体を突き刺します。この世の生活はこの太陽の熱よりも凍えるような月明かりよりももっと巧みなサタンの罠によって、わたしたちの霊性を衰弱させようとするでしょう。しかし主は、主により頼む信仰者に対して、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって、すなわちあらゆる罪の力に対してその大いなる御手でわたしたちを保護してくださるのです。

 そこでわたしたちは感謝のうちにメッセージに応答することができます。それが7−8節です。主は常にわたしたちの魂に目を留めてくださるお方です。だから私たちもシオンの山ならぬこの会堂にきて、主なる神を仰ぎ見る者であり続けましょう。永遠の主なるイエス・キリスト以外にわたしたちの信仰に勝利を与えてくださる方はいないからです。

 昨年はいろいろな災害によって多くの人が難に遭い、今も苦しみの中に置かれています。特に年末にはインドネシアのスマトラ島でマグニチュード9という驚くべき規模の地震と、それによる津波被害の為に、多くの人々が家族の生命を奪われ、或いは行方が分からず、生き残った人々の多くも負傷し、家を失い、財産を失いました。更に忍び寄る恐ろしい伝染病と戦わなければなりません。この人々の現状を思うと、単純に新年おめでとうと言えない心境です。このような時、わたしたちが最も憂えるべきはサタンがこの機に乗じて人々の心から神への信仰を奪い取ろうとすることです。神が独り子を世に遣わし、十字架の上に成し遂げてくださった救いの恵みを空しくさせようとすることです。しかし、人間には神から与えられた知恵があります。それぞれに自分のできることは何かと祈る心と、被災された隣人に奉仕する愛が与えられています。物心両面の支援もさることながら、このようなときにこそ人は神のみ前に心低くすること、全能の神にゆだねる心を失わないように諸教会を用いてくださるようにと祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を心から崇めます。

 2005年の最初の主の日、わたしたちをこの会堂に導いて頂き、あなたに礼拝をささげることを赦して下さったことを感謝します。しかし、昨年は数知れない人々が苦難に遭遇し、悲しみが地球を覆っています。これに呼応するように世界中の人々が救援に立ち上がっています。この人々の愛と勇気に敬意を表します。同時にわたしたち教会に与えられた使命と御業が何であるかを理解させ、そのために全世界の教会を用いてください。主よ、どうかすべての傷ついた人々の霊と心とからだを癒してください。  イエス・キリストの尊い御名によって。アーメン。

 

                    


福音メッセージ一覧

集会案内

質問・メール

キリスト教イロハ

聖書を読む