【主日礼拝メッセ−ジ要約】                        2005年4月17日

 「約束を待つ」 

使徒言行録1章1−5節

 メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 VIPという文字をよく耳にすることがあります。「要人」とか、「大物」とか、「有力者」のためにある文字だということは知っていましたが、最近ある人から、それはイザヤ書43:4(旧約聖書 p.1130)に由来していると教えてもらい、驚きました。そこにはこのように書かれています。「わたしの目にあなたは価高く、貴い。」と。これがVIPの由来だというのです。

 ところでこの書の献呈の辞に「テオフィロ」という名前が見られますが、「神に愛された人」、「神の友」という意味だそうです。とても身分の高い人で、政府高官でしょう。彼こそこの世で言うVIPの一人でした。何かのきっかけでルカと出会い、キリストによる救いの道を求める人となりました。今では本物のVIP、霊的に「神の目に価高く、貴い」キリスト者となっているのです。同時にこうも言えます。全ての人はテオフィロです。神は、全てのテオフィロに読んでもらいたいという願いをもって、名もなき平凡な私たちをVIP扱いして、この書をわたしたちの手に委ねてくださいました。これが福音です。

 この福音を伝えるに必要なのは、人間の知恵や技術ではありません。聖霊の助けが必要です。復活の主は言われます。「前にわたしから聞いた、父の約束を待ちなさい」と。約束とは何でしょうか。「聖霊によるバプテスマ」(ヨハネ14:15−31)です。

 聖霊によるバプテスマとは、聖霊ご自身がキリストの弟子とされた群れの内に住み、キリストを告白し、宣教する言葉を与えてくださることです。もう一つ言うなら、水のバプテスマは個人を救いに導き、聖霊によるバプテスマは、キリストを頭としたキリストのからだなる教会へと人々を導くことであります。これはあのペンテコステの日に実現しますが、ここではその約束を待つようにと命ぜられているのです。わたしたちももう少し先の楽しみにして、少しずつ聖書を読み進めてゆくことにしましょう。

   
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【主日礼拝メッセ−ジ】                         2005年4月17日

 「約束を待つ」 

使徒言行録1章1−5節

 メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 今日から使徒言行録を一緒に読み、そこから主イエス・キリストの父である神のメッセージに耳を傾けたいと思います。これまでマタイ、マルコと福音書を続けて読みましたので、次はルカによる福音書を読んでも良いのですが、同時にこの福音書によって培われてきたキリストの教会が、いつどのような経緯でこの地上に出現し、成長してきたか、その歴史を学ぶことも大切ではないかと思い、教会のルーツである使徒言行録を選ばせて頂きました。

 さて、この書の冒頭1−2節に、献呈の辞が書き記されています。それによると、この書物は「テオフィロ」という人物にまず読んでもらいたいという動機から書かれていることが分かります。しかも、この書の著者はテオフィロのために、既にもう一つの書を著しています。初めて聖書を手にする方の為にお伝えしますと、それはルカによる福音書です。その書物の1章3節(新約聖書 P.99頁)に「テオフィロ」の名が出てきます。これが使徒言行録1:1に言われている第一巻です。

 VIPという文字をよく耳にすることがあります。「要人」とか、「大物」のためにある文字だということは知っていましたが、最近ある人から、それはイザヤ書43:4(旧約聖書 p.1130)に由来していると教えてもらい、驚きました。そこにはこのように書かれています。「わたしの目にあなたは価高く、貴い。」と。これがVIPの由来だというのです。神がイザヤを通して、「価高く、尊い」と言われている人とはどんな人でしょうか。この世的に見れば、おおよそ要人とか、大物という言葉に縁遠い、ごくごく平凡な人々であっても、神に望みを置く人、神のみ前に謙っている人に対して神は言われます、「わたしの目にあなたは価高く、貴い。」と。

 ところで「テオフィロ」という名前ですが、「神に愛された人」、「神の友」という意味だそうです。とてもよい名前です。こういう名前を親から貰って悪いことはできませんね。身分の高い人で、たぶん政府高官でしょう。彼こそこの世で言うVIPの一人でした。何かのきっかけでルカと出会い、キリストによる救いの道を求める人となりました。今では本物のVIP、霊的に「神の目に価高く、貴い」キリスト者となっているのです。

 考えてみてください。テオフィロという名は、もちろん彼個人に与えられた名前ですが、聖書をよくよく読み返すと、全ての人は神の目に価高く、貴く、愛されていることがわかります。ですから、全ての人はテオフィロということができるのです。著者は、いや何よりも神ご自身、全てのテオフィロに読んでもらいたいという願いをもって、名もなき平凡な私たちをVIP扱いして、この書をわたしたちの手に委ねておられるのです。喜び、感謝のうちに読み進めてまいりましょう。

 

 「イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」

 著者ルカは新たな書、使徒言行録を著すにあたって、おさらいの意味で福音書の要約を書いています。それが3節です。主イエスの地上における最も重要な出来事は、「十字架と復活」です。イエスは十字架の上で贖いの死を遂げ、三日目に死人の中から復活されました。これによって、永遠の命の基が置かれました。これが伝えられた福音です。そして、この福音を更に多くの人々に運び込む宅配人が必要です。

 聖書に、「聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことがあろう。」(ローマ10:14)と言われているように、十字架と復活による救いのメッセージを伝える人が必要なのです。使徒たちはこれから多くの見ず知らずの人のところに出て行ってこの福音を伝えるわけですが、しかし、それは人間の知恵や技術によってできるわけではありません。聖霊の助けが必要です。復活の主は言われます。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束を待ちなさい」と。天の父はどういう約束をイエス・キリストを通して語られたのでしょうか。「聖霊によるバプテスマ」(ヨハネ14:15−31)です。

 水のバプテスマとは、古い罪人のわたしが、十字架のキリストと共に死んで、復活のキリスト共に、永遠の命に新しく生まれることですが、聖霊によるバプテスマとは、救われた者を聖霊によって清め、信じる者に内住して下さることです。水によるバプテスマは父と子と聖霊の内に浸められること、即ち神の命の内に生きる者とされることですが、聖霊によるバプテスマとは、聖霊ご自身がキリストの弟子とされた共同体に内住し、キリストを告白し、証し、宣教する言葉を与えてくださることです。もう一つ言うなら、水のバプテスマは個人を救いに導き、聖霊によるバプテスマは、キリストを頭としたキリストのからだなる教会へと人々を導くことであります。これはあのペンテコステの日に実現しますが、ここではその約束を待つようにと命ぜられているのです。わたしたちももう少し先の楽しみにして、少しずつ聖書を読み進めてゆくことにしましょう。

 終わりに、わたしたちはこの書物の名前について心に留めておきたいもう一つのこと、それは聖書の表題です。わたしたちが今手にしている聖書は、「使徒言行録」とあります。他の訳の聖書によると、「使徒行伝」とか、「使徒たちの働き」、或いは「使徒伝道」というのもありました。どれも「使徒」が中心になっているという印象を拭えません。一面その通りです。かつて主を裏切った使徒たちが、今は聖霊によって変えられて、困難な中で迫害に身をさらしながら、大胆に福音を伝え、教会を建て上げている姿は真に尊敬に値します。しかし、わたしたちがこの書を読むにあたって、そういう側面に気をとられてしまうと、どんどん使徒たちと私たちの距離が遠くなってしまいます。彼らがあまりにも立派過ぎて、わたしのような者には、とても真似のできないこと、と尻込みしてしまうでしょう。主イエスは、わたしたちがそういう誤った先入観でこの書を読むことのないように、1:5で次のように言っておられます。

 「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである」と。

使徒たちを用いて救われる魂を起こすのも、各地に教会を建て挙げるのも、すべては聖霊の働きによるものであると言われるのです。この書物に正しい表題をつけるとすれば、「聖霊行伝」と呼ぶべきでしょう。私たちを救い、私たちを神の救いのご計画のために用いるのも全て聖霊の御業による以外、何ものでもないのです。   

 祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を心から崇めます。

 今朝もあなたの御言を感謝します。「あなたはわたしの目に価高く、貴い」と言ってくださいました。罪を犯すことしか知らなかったわたしたちがイエスに出会わせてくださり、十字架と復活によって救ってくださったのみか、私たちの内なる全てを清めて神の宮と造り変えてくださいますから感謝します。わたしたちがいくばくかあなたの喜びとなる奉仕ができるとすれば、それはわたしの功績ではなく、うちにいます御霊なるキリスト・イエスの恵み深い御業以外の何者でもありません。

この上は、この使徒言行録をしっかり学び取り、約束の賜物である聖霊による清めと救いの恵みを多くの人に語り伝える証人として私たちをお用いくださいますよう、

救い主イエス・キリストの尊い御名によってお願いします。アーメン。


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