【 主日礼拝メッセ−ジ要約】                        2006年5月28日   
 「迫害者がキリスト者に」
 使徒言行録9章19b-25節
高橋淑郎牧師

 

サウロは救われた後、アナニヤの仲介でダマスコにいる主イエスの弟子たちの仲間入りを許されると、直ちにイエスのことを宣べ伝える働きに加わりました。数日前まで主イエスの弟子たちを迫害していた者が、今は反対に、「この人こそ神の子である」と教えるようになったのですから、周囲の驚きは大変なものでした。中でもイエスを信じないユダヤ人たちは、裏切り者サウロを殺そうと陰謀をめぐらしたのですが、教会の仲間が城壁伝いに籠でつり下ろして彼を逃亡させました(气Rリント11:32−33)。

 先週の水曜日、ミャンマー(ビルマ)からサライ・トゥンタンという伝道者が来られました。78歳の高齢を押して、アメリカ、日本、韓国、タイなどを訪ねてミャンマーの民主化が実現するよう、祈りを共にしてほしいと訴えて回っています。帰国後、平和的な手段で現在の軍事政府が悔い改めるための具体的な計画について話して下さいました。それは命がけの抵抗手段ですが、暴力に訴えようというのではありません。火中に栗を拾うが如く、キリストの敵が十重二十重と取り囲む中に入り込んで信仰の戦いを繰り広げようというのです。その運動が成功する可能性はきわめて低いのですが、だからこそ祈ってほしいと言っておられます。いかに国内世論を踏み潰すことに長けている軍事政府も、国際的な世論を無視できないであろうから、日本のメディアを通して自分たちの運動を支えてほしい、そして個人的には祈ってほしいと繰り返し訴えておられました。敢えてもう一つ牧師の言葉を紹介します。彼の運動は政治的なものではないということです。ましてや軍事クーデターを期待しているのでもありません。ただひたすら聖霊の働きによる愛の革命を祈って、運動を展開していくと証しておられました。

 
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【 主日礼拝メッセ−ジ】                  2006年5月28日   

 「迫害者がキリスト者に」
 使徒言行録9章19b-25節
高橋淑郎牧師

 

 サウロは救われた後、アナニヤの仲介でダマスコにいる主イエスの弟子たちの仲間入りを許されると、直ちにイエスのことを宣べ伝える働きに加わりました。つい数日前まで主イエスの弟子たちを迫害していた者が、今は反対に、「この人こそ神の子である」と教えるようになったのですから、ユダヤ人の驚きは大変なものでした。しかし、サウロは周囲の驚きをよそに、ますます上からの力を得て、イエスがメシア(キリスト)であることを論証して、ユダヤ人をうろたえさせました。この「論証して」(スンビバゾー)とは、「結び合わす、(比較して)結論を結ぶ」などの意味から来た言葉です。どういうことかというと、旧約聖書の各書から、メシアに関する預言を引用して、イエスこそそのメシア(キリスト)であると説き明かしたと読むことができます。

 ところで、サウロが回心した頃の彼の行動については、サウロ自身の言葉でガラテヤの信徒への手紙1章11節以下でも証していますが、合わせて読みますと、使徒言行録9章22節と23節の間に、3年の間アラビアで主との深い交わりの時を持っていたことが分かります。しかし、その3年の間に、イエスを信じないユダヤ人たちは、巻き返しを図っていました。裏切り者サウロをどうしてくれよう。あのような男をこれ以上生かしておくべきではないと、見張りを厳重にしていました。ナバタイ王国の領主アレタの手を借りて、サウロを殺そうと陰謀をめぐらしたのです。しかし、教会の仲間が城壁伝いに籠でつり下ろして彼を逃亡させました(コリント11:32−33)。

 先週の水曜日、ビルマからサライ・トゥンタンという伝道者が来られました。78歳の高齢を押して、アメリカ、日本、韓国、タイなどを訪ねてビルマの民主化が実現するよう、祈りを共にしてほしいと訴えて回っています。明日(29日)まで滞在して、帰国の途に着く予定ですが、帰国した後には平和的な手段で現在の軍事政府が悔い改めるための具体的な計画について話してくださいました。それは暴力に訴えようというのではありません。しかし、命がけの抵抗手段です。サウロの場合は信仰の仲間が彼を国外に逃亡させました。トゥンタン牧師の場合は、その反対で火中に栗を拾うが如く、キリストの敵が十重二十重と取り囲む中に入り込んで信仰の戦いを繰り広げようというのです。その運動が成功する可能性はきわめて低いのですが、だからこそ祈ってほしいと言っておられます。いかに国内世論を踏み潰すことに長けている軍事政府も、国際的な世論を無視できないであろうから、日本のメディアを通して自分たちの運動を支えてほしい、そして個人的には祈ってほしいと繰り返し訴えておられました。敢えてもう一つ牧師の言葉を紹介します。彼の運動は政治的なものではないということです。ましてや軍事クーデターを期待しているのでもありません。ただひたすら聖霊の働きによる愛の革命を祈って、運動を展開していくと証しておられました。

 これこそパウロを初め、ペトロやヨハネ、ヤコブなど、初代の使徒たちが展開した伝道戦略です。これは主なる神が預言者ゼカリヤに与えたイスラエル救済のための御言葉に合致します。

 「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる。これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」(ゼカリヤ書4:6。口語訳聖書)

 わたしたちが手にしている新共同訳聖書はもっと分かりやすく書いてくれています。

 「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。」

 ゼルバベルというのは捕囚時代にバビロンで生まれたイスラエル人で、エズラとほぼ同時代にエルサレムに派遣された政治家ですが、ハガイやゼカリヤといった預言者に励まされながら、ただ信仰一筋にさまざまな妨害を受けながらも屈することなく、神殿の再建を成功させ、イスラエルの民に信仰の覚醒を促した人です。

 わたしはトゥンタン牧師のお話を聞きながら、ゼカリヤ書に見るゼルバベルを思い出していました。彼は言いました。「わたしはだれも憎まない。あの軍事政権の座にある人も神に愛された人たちです。もし、神さまがビルマに再び民主主義の政府を実現させてくださっても、現在の軍事政権の座にある人々に報復しようなどとは考えていません。願わくは彼らが自分のしていることに目覚めて悔い改めに至ることを祈るばかりです。」と。

 私たちの国も、決して安定した民主主義の国、平和国家ではなくなりつつあります。治安維持のために、或いはテロを防ぐという名目で、また家庭の回復、学校教育の正常化をという振れ込みで、何やらきな臭い法案が次から次へと政府与党の手で国会に上程されています。何か1920年代から30年代を思わせる空気が漂い始めているような気がしてなりません。わたしたち国民が、気付いたときにはもう手遅れで、一切の言論が封殺され、あらゆる自由が奪われているという時代がまた来るのではないかという危機感があります。

 今こそ、わたしたちはこの国が誤った道を再び歩むことのないように祈らなければなりません。今こそ、わたしたちは全ての人が目を覚まして、イエスの福音に耳を傾けるようにと命の御言を、命をかけて伝えていかなければなりません。

 サウロがどうして命を狙われたのか。それは、これまでイエスを否定し、教会を迫害していたのに、今ではこのイエスをメシア、キリストと信じているからです。ただ個人的に信じているだけではなく、その信仰を人々に語り伝えていたからです。

 愛する皆さん、皆さんにとっても何かと試練の続く日々かも知れません。それはあなたがかつては心に思い浮かびもしなかった神を今では愛し、かつては知らなかったイエスを今では救い主と信じているからです。しかし、それを悔やむことはありません。だからこそ今の時を生かして用いてください。あなたの足下から愛の革命運動の一歩を踏み出してください。 祈りましょう。

 

天の父なる神さま。あなたの御名を崇め、讃美します。

 かつてはイエスをメシアと認めないばかりか、つい先ごろまで教会を荒らしまわっていたサウロが、イエスにとらえられてその日から全く逆に、イエスこそメシア、救い主、キリストだと宣べ伝える者へと変えられました。そしてその日から彼の苦難の日々が始まりました。しかし、この苦難の日々こそ彼を本当の平安、幸いな人生へと導くことになったと聖書は証しています。

 ミャンマーを愛し、国民に本物の自由と幸福をもたらすために身を挺して働いているトゥンタン牧師とその仲間のことを思います。彼にとってもこれからの日々は今まで以上に苦難の日々、命がけの日々です。しかし、彼は愛の革命運動のためにその生涯をあなたに献げています。

 あなたのみ前にある、この教会の愛する兄弟姉妹もまた、あなたを信じてあなたに従っているゆえに苦難の日々を送っているのです。しかし、この兄弟姉妹たちこそあなたがこの国を救うためにこの世から選ばれた愛の革命戦士です。どうか、あなたの御腕の中にこの一人びとりをお守りください。この人々を用いてあなたのみ国がなりますように。

私たちの救い主イエス・キリストの御名にお願いします。アーメン。

 


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