【 主日礼拝メッセ−ジ要約】                            2006年8月20日   
 「 仕 事 に つ く」
 使徒言行録13章1-3節
高橋淑郎牧師
 

 彼らは主に礼拝をささげていると、聖霊が、「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」とお命じになりました。

 この世界は天地創造の神によって造られたのに、人間はこの神を知らず、自分勝手に、人生の意味も目的も知らずに罪深い生活をしています。このままでは終わりの日、神に裁かれて地獄に堕(お)ちて行かなければなりません。しかし、神は人間が罪を犯したまま死んで滅びることのないように、独り子イエス・キリストを救い主としてこの世に与え、十字架の上に一切の罪を解決して下さったので、わたしたちはただこの事実を信じて犯した罪の数々を悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じてバプテスマを受けるなら救われます。そして誰でも神の子とされたしるしとして永遠の命を与えられるのです。これを福音と言います。もっと多くの人がイエス・キリストの救いに与ることができるように、この世に「教会」というものを形成させるのが神の御心です。教会といっても建物のことではありません。イエスを救い主と信じる兄弟姉妹の群れ、「共同体」を形成することを言います。ほとんどの人は一度もこの福音を耳にしたことがありません。だから聖霊はまずこの二人を選び、この仕事のためにお遣わしになりました。この世で最高の仕事は福音(神の愛)を伝えることです。

 主イエスは、「疲れた者、重荷を負(お)う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28−30)と約束して下さいました。たまの休みの日曜日だからと、家の中でごろごろしていても、本当の骨休みにはなりません。主イエスのもとに来て礼拝をささげてこそ、からだも心も魂も安らぎが得られるのです。今こそあなたの内に隠された罪を認めて悔い改めてください。イエス・キリストをあなたの個人的な救い主として受け入れ、バプテスマを受ける決心を言い表してください。そして祝福された人生を送ってください。

 
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【 主日礼拝メッセ−ジ】                            2006年8月20日   

 「 仕 事 に つ く」
 使徒言行録13章1-3節
高橋淑郎牧師

 

 使徒言行録の著者は、13章から教会の伝道活動が新しい段階に入ったことを伝えています。当時ユダヤの国は政治、経済、軍事、文化などいろいろな面で中東から西の国々の影響のもとに置かれるようになり、必然的に伝道の対象も西アジアからヨーロッパの国に住む人々に向けられて行きます。このような事情を受けて、伝道の拠点がユダヤ人を中心としたエルサレムの教会から異邦人が大勢いるシリアのアンティオキア教会へと移って行きました。それでも使徒時代はまだエルサレム教会の影響を全く排除しているわけではなく、信仰の根幹に関わることはエルサレム教会の指導を必要としていました。

 

 アンティオキアの教会には様々な人種の人が集められていましたから、教会を指導する人々もキプロス出身のバルナバ、ニゲル(黒人)と呼ばれるアフリカ系のシメオン、キレネ(リビア)出身のルキオ、ガリラヤとペレアの領主ヘロデ・アンティパス(紀元前4−紀元後39年在位)と乳兄弟(ちきょうだい)であったマナエン(ヘブル名「メナヘム」のギリシャ語読み。意味は「慰め手」)、タルソ出身のサウロなど、地中海を取り巻く国々からキリストに呼び集められて回心した人々でした。「預言者」とは、神のみ言葉を、聖書を通して解き明かす人。「教師」とは、聖書を系統立てて教える人で聖書学者のことです。彼らはその日も主に礼拝をささげ、断食していると、彼らを導いておられた聖霊が、「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」とお命じになりました。もちろん聖霊が見える姿かたちで語られたのではありません。聖書を通して、教会の指導者である預言者を通して語られたのです。

 では、いったい彼らに与えられた新しい仕事とは何でしょうか。この世界は天地創造の神によって造られ、守られ、導かれているのに、人間はこの神を知らず、それぞれ自分勝手に、人生の意味も目的も知らずに罪深い生活をしています。このままでは終わりの日、神に裁かれて地獄に堕(お)ちて行かなければなりません。しかし、神は人間が罪を犯したまま死んで滅びることのないように、独り子イエス・キリストを救い主としてこの世に与え、十字架の上に一切の罪を解決して下さったので、わたしたちは犯した罪の数々を悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じてバプテスマを受けるなら救われます。そして誰でも神の子とされたしるしとして永遠の命を与えられるのです。これを福音と言います。もっと多くの人がこの福音を聴いてイエス・キリストの救いに与ることができるように、この世に「教会」というものを形成させるのが神の御心です。教会といっても建物のことではありません。イエスを救い主と信じる兄弟姉妹の群れ、「共同体」を形成することを言います。この世のほとんどの人は一度もこの福音を耳にしたことがありません。だから聖霊はまずこの二人を選び、この仕事のためにお遣わしになりました。

 皆さんもアンティオキアの教会の人々のように、毎週礼拝をささげるためにこの教会に通っておられます。ご存知のように、礼拝とは、神のものを神にお返しする時なのです。皆さんもこの世に生きるひとりとして、それぞれ人生の重荷を背負っておられます。家族間の問題、職場の人間関係や仕事上のトラブル、経済的な行き詰まり、健康上の不安など数え上げればきりがないことでしょう。そうした疲れを癒してほしい、悩みを解決して頂きたいとそこに座っておられるのかもしれません。確かに今朝、ここに来られたことはあなたの為に幸いでした。主イエスはあなたに、「疲れた者、重荷を負(お)う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28−30)と約束して下さいました。たまの休みの日曜日だからと、家の中でごろごろしていても、本当の骨休みにはなりません。主イエスのもとに来て礼拝をささげてこそ、からだも心も魂も安らぎが得られるのです。神に礼拝をささげることによって、主イエスが与えてくださる軛を負い、主イエスが与えてくださる荷を担う元気をいただくことができるのです。

 まだイエス・キリストを信じていない人がいたら、今こそあなたの内に隠された罪を認めて悔い改めてください。そして、イエス・キリストの十字架があなたの罪を贖い、赦しを得させるためであったと信じ、イエス・キリストをあなたの個人的な救い主として受け入れ、バプテスマを受ける決心を言い表してください。

 更に、アンティオキア教会の人々がささげた礼拝の記事をもう一度読みましょう。「断食をした」と二度も書かれています。彼らは「こうしてください。ああしてください」と、自分の要求をぶつけるだけの礼拝ではなく、胃袋を空っぽにしてひたすら神の御心を求める祈り、御言葉に聴くことに集中しました。それが断食の意味です。そのとき聖霊はバルナバとサウロに新しい仕事をお与えになりました。まだ福音に接した事のない人々の所に行って神の愛、悔い改めの必要、救いの道を伝えるという仕事です。福音を伝える。世の中にこれほど貴い仕事があるでしょうか。だから、この仕事のために断食して、聖別と祝福と派遣の意味を持つ按手をしてもらった上で送り出しました。

 確かにバルナバとサウロは素晴しい信仰の人たちです。しかし、彼らを特別な人として見るのは間違いです。聖霊が彼らにこの使命を与えられたのは、それが彼らにしかできないことだからではなく、あくまでも神の側の一方的な選びであったということです。残された教会の人たちには、それぞれ別の仕事につかせたでしょう。

 この世の勤めはどうして疲れやすく、ストレスがたまるのでしょうか。それは目標が見えないからです。いったい何の為に、誰の為に働くのか、何の為に子どもを育て、また教育を受けさせるのか、本当の意味が分からないのです。しかし、今朝聖霊はわたしたちに人生の本当の目標を教えて下さいます。聖書は言います。「あなたがたは、食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光をあらわすためにしなさい。」(气Rリント10:31)と。神の栄光とは、この世の一人でも多くの人が神に立ち帰り、救われる者が起こされることです。

 ゴールのないレースは走り甲斐がありません。目標のはっきりしないこの世の勤めは疲れるばかりです。だから、主イエスは、「わたしのもとに来なさい」と招き、聖霊は皆さんをそれぞれ生活の場に再び遣わして最も貴い仕事につかせようとしておられるのです。それは決して特別なことをさせようというのではありません。あなたの生活の場は昨日までの延長のように無味乾燥な場ではないということをあなたに気付かせたいのです。あなたの家族、あなたの職場、あなたの友人こそ、あなたに与えられた福音宣教という仕事場だということをあなたに思い起こしてほしいと願っておられるのです。その仕事を成功させることができるために、聖霊はあなたを助けたいのです。終わりの日が近づいています。

礼拝の後、皆さんは散らされて行きます。聖霊は教会の牧師を通して、父・子・聖霊の名による祝祷をささげさせ、あなたがたを導き出そうとしておられます。さあ、みなさんもこの貴い仕事のためにお出かけ下さい。  祈りましょう。

 

天の父なる神さま。あなたの御名を崇(あが)め、讃美します。

 わたしたちは毎日忙しく働いていますが、いったいそれが何のために、誰のためか分からず、ただ目の前の事柄に追われていました。

 しかし、今朝あなたはこの週の初めにまず礼拝へと呼び集め、わたしたちの子育ても家庭の営みも、学びも職場での仕事も本当はそれが第一の目的ではなく、神の栄光を表すための手段に過ぎないことに気づかせてくださいました。

 わたしたちがしなければならない第一のことは、あなたの福音を伝えて、一人でも多くの人が救われて永遠の命の御国へと導くことだったのです。あなたはこの世で最も貴いこの仕事につかせるために、わたしたちをこの世に生かし、家庭を与え、学校や職場へと遣わしておられるのでした。どうか、わたしたちをあなたの栄光のために用いてください。

私たちの救い主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

 


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