【主日礼拝メッセージ要約】                               2007年2月4日   

悪霊よ、出て行け」 

  使徒言行録16章16-24節

高橋淑郎牧師

 パウロたちは祈り場へ行く途中、占いの霊にとり憑かれた女奴隷に出会いました。この出会いは彼女にとって、この世的には不幸の始まりですが、霊的には占いの霊から解放され、救われる機会となりました。不幸というのは、人を占う力を失った彼女は主人にとって何の価値もなくなったので、見捨てられてしまったであろうということです。彼女はその晩から夜露を凌ぐ場所をなくしてしまったかもしれません。救われる機会を得たというのは、もうあんないんちき商売の片棒を担ぐ必要が無くなり、占いの霊(悪しき霊)から解放されて、真の神を信じる機会を得たことです。

 しかし、このことは結果としてパウロたちの伝道が妨げられることになりました。今までこの女奴隷によって金を儲けていた主人たちは、格好の収入源を失ってしまった腹いせに、ありもしないでっち上げの罪状を並べ立てて、更には群衆までも巻き込んで当局に訴え出たからです。パウロたちは不当な取り扱いを受けて、大怪我を負わされた上に投獄させられることになりました。

 教会の中でも外でも神に仕える者は、しばしばありえない理由で苦しみに遭遇することがあります。人々を愛し、人々に神の御言葉をもって関わろうとしても、それを受け入れるどころか、誤解されることさえます。しかし、わたしたちはその人を憎んではなりません。ましてや復讐の爪を研ぐなどということをしてはなりません。復讐は神さまのなさることだからです。パウロはこの後もしばしばひどい目に遭いながら、ある教会に宛てた手紙の中で、「わたしたちの戦いは、血肉(つまり人間)を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」(エフェソ6:12)と書き送っています。悪魔とその配下の悪霊どもに支配されていたのは、あの女奴隷だけではありません。彼女を金儲けの道具にしていたあの主人たちも、更には何も分からず、一緒になってパウロを捕えて当局に訴え出た群集も、皆悪霊どもに操られていたのです。わたしたちはそのような人のためにこそ祈る者でなければなりません。そして心の内で、「悪魔とその配下の悪霊どもよ、この人から出て行け!」と大胆に宣言しましょう。

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 【主日礼拝メッセージ】                              2007年2月4日   

悪霊よ、出て行け」 

  使徒言行録16章16-24節

高橋淑郎牧師

 

 パウロが立てた伝道計画は、聖霊によってことごとく禁じられました。しかし、それは聖霊がこの伝道旅行の真の指導者であることを思い起こす良い機会となりました。わたしたちも信仰生活、教会生活を長く続けていると、時々自分が中心になってしまっていることがあります。そのような時、神は聖書を通し、このような礼拝を通して、聖霊であるキリストこそが、この教会の主であり、教会活動の計画を立てさせ、その全てに指示を与える方であることを思い起こさせてくれます。

 パウロたち一行は、このフィリピの町に来てリディアとの出会いと、彼女の身に起こった救いの出来事を目の当たりにして、真に救いは主の御手の業であることをはっきりと教えられました。彼らは心底、主の導きに従って良かった、フィリピにきて良かったと思ったことでしょう。しかし、その喜びもつかの間、聖霊はパウロたちがフィリピ伝道最初の成功によって有頂天にならないようにひとつの試練を経験させます。リディアの家で数日間過ごす間にも、彼らは祈り場に行って、集会を持とうとしていました。その途中、占いの霊に取り付かれた奴隷女に出会いました。出会ったというよりも捕まったという方が良いかもしれません。いつの世にも需要は供給を生みます。怖いもの見たさで自分の運命を占ってもらう人が絶えない以上、占い師も無くなりません。しかし、この女性の場合は気の毒です。人の運命を占い、言い当てて得た収入の大半を彼女は奴隷ですから、主人に取り上げられてしまいます。

 しかし、この日、パウロに出会ったことは彼女にとって、この世的には不幸の始まりですが、霊的には占いの霊から解放され、救われる機会となりました。不幸というのは、人を占う力を失った彼女は主人にとって何の価値もなくなったので、見捨てられてしまったであろうということです。彼女はその晩から夜露を凌ぐ場所をなくしてしまったかもしれません。救われる機会を得たというのは、もうあんないんちき商売の片棒を担ぐ必要が無くなり、占いの霊(悪しき霊)から解放されて、真の神を信じることができたことです。

 「占いの霊」と訳されている言葉は、「プネウマ・ピュ−トナー(ピュートーンの語尾変化)」と書かれています。プネウマとは「霊」という意味ですから、「ピュートーンの霊」ということになります。ピュートーンとは、ギリシャ神話に出てくるデルフォイの神殿で神託を守っていた龍ですが、アポロがこれを退治してそこに新たな神殿を開いたとされています。ローマ時代になると、ピュートーンは腹話術師を指すようになりますが、ここでは悪霊に取り付かれた状態と見て書かれています。このことから分かるように、世がどれほど占いというものに寄りすがろうが、またこれを利用する占い師がどれほど活躍しようが、聖書は彼ら占い師の存在を、「悪霊にとりつかれた人」とみなし、偶像礼拝と同様に七つの大罪のひとつに数えています。教会に出入りする人は卑しくも、このようなまやかしに運命を託してはなりません。とはいうものの、悪霊は実に巧妙に人の心を揺さぶる術を心得ています。この占いの霊に支配された女奴隷はパウロたちに幾日も付きまとって、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」と宣伝しました。これは一見有難いことのように聞こえます。周りの人々は一斉にパウロに対しても注意を払うでしょう。「そうなのです。わたしたちが皆さんに救いの道を宣べ伝える者なのです。」と、切り出しやすいように考えます。しかし、パウロはこの宣伝を少しも有難いとは思いません。それどころか迷惑しています。困り果ててさえいます。なぜでしょうか。

 わたしは自分のささやかな経験からパウロが迷惑したということを理解できます。前にも証しましたが、わたしが25歳になったある日、母に神の召命で献身して牧師への道を歩むことになったと話しました。母はしばらく泣いていましたが、やがてわたしの決心の堅いことを知ってあきらめたのか、こんなことをぽつんと切り出しました。「あんたがまだ小さい時、あんたを連れて占い師に観てもらったことがあるが、あの時の占いは本当だった。」と言うのです。詳しく聴くと、その占い師が母に言うには、「あなたの一番上の息子さんはどこか遠くへ行ってしまいます。そしてこのぼん(大阪では他人の子どもをおだててそう呼びます)は宗教家になるでしょう」と。果たしてわたしが中学生の頃、一番上の兄は急死してしまいました。そしてわたしはキリスト教の牧師になろうとしているのです。注意しないと、あの占いの霊につかれた女性の宣伝と同じように、わたしの母も危うく聖書よりも占い師の言葉に感心させられてしまうところでした。皆さんも聖書に、「悪霊どもも神は唯一だと信じておののいている」(ヤコブ2:19)という一節があることを忘れないでください。悪魔は人間以上に聖書を熟知し、人間以上に神を信じておののき、怖がっています。ただ人間と悪魔の違いは、人間は自分の罪と弱さを認めて悔改めることを知っていますが、悪魔は悔改めることをしないので、一人でも多くの人を地獄への道ずれにしようとして、悪霊どもを用いて、聖書をもって人を脅す武器にしているのです。

 あの占い師の女性も、母をたぶらかした占い師も、悪霊どもに踊らされて、神の言葉を用いながら、或いは神を宣伝しているように見せかけながら、「この占いはすごい!」と人に思わせて、実は神よりも自分たちの力を見せ付けて、人をひきつけようとしているに過ぎないのです。パウロはそのことを知っていたので、悪霊どもに向かって、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」と厳しく命じました。一人の女性が悪霊どもの呪縛から解放された瞬間です。彼女は実に何年ぶりかで、いや、もしかしたら生まれて初めて人間性を取り戻すことができたのです。これほど嬉しいこと、めでたいことはありません。あの瞬間悪しき霊は彼女から追い出されて、聖霊なるキリストが彼女の心に宿ってくださったからです。

 しかし、このことは結果としてパウロたちの伝道が妨げられることになりました。今までこの女奴隷のおかげで金儲けを楽しんでいた主人たちは、格好の収入源を失ってしまった腹いせに、パウロたちをありもしないでっち上げの罪状を並べ立てて、更には群衆までも巻き込んで当局に訴え出たからです。このように、イエス・キリストの弟子であるわたしたちは、魂の救いの為に神に仕え、人々に奉仕をしても、世の中は必ずしも正当な反応を示してくれるものではないことを覚悟しておかなければなりません。パウロたちは不当な取り扱いを受けて、大怪我を負わされた上に投獄させられることになりました。

 教会の中でも外でも神に仕える者は、しばしば不当な理由で苦しみに遭遇することがあります。人々を愛し、人々に神の御言葉で関わろうとしても、それを受け入れるどころか、誤解されることさえあります。しかし、わたしたちはその人を憎んではなりません。ましてや復讐の爪を研ぐなどということをしてはなりません。復讐は神のなさることだからです。18日の主日礼拝で学ぶ予定ですが、パウロはこのようなひどい目に遭いながら、ある教会に宛てた手紙の中で、「わたしたちの戦いは、血肉(つまり人間)を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」(エフェソ6:12)と書き送っています。悪魔とその配下の悪霊どもに支配されていたのは、あの女奴隷だけではありません。彼女を金儲けの道具にして良心が痛まないあの主人たちも、更には何も分からず、一緒になってパウロを捕えて当局に訴え出た群集たちも、皆悪霊に操られていたのです。

 教会の伝道活動、また個人個人キリスト者の信仰生活は戦いです。しかし、戦いの相手を見誤ってはなりません。わたしたちの戦うべき相手は心を開かない人でも、危害を加える人でもありません。彼らも悪霊の手の内で踊らされている哀れな罪びとに過ぎないのです。わたしたちはそのような人のためにこそ祈る者でなければなりません。そして心の内で、「悪魔とその配下の悪霊どもよ、この人から出て行け!」と大胆に宣言して、悪霊を追放していただき、聖霊なるキリストをこそ、心の王座に迎えさせなければなりません。  祈りましょう。

 

天の父なる神さま。あなたの御名を崇(あが)め、讃美します。

 今日は哀れにも、奴隷として鎖に繋がれていただけでなく、悪しき霊から占いの霊を送り込まれ、主人たちに良いように利用されていた一人の女性の解放の福音を学ぶことができました。

 彼女はイエス・キリストの僕であるパウロとの出会いを通して救われました。少なくとも人の心を惑わす仕事から解放されました。しかし、彼女の主人たちはその解放の福音を携えてきたパウロたちを捕えて投獄させてしまいました。いつの世にもこのような人が絶えません。一方では占い師の一言で自分の運命を切り開いてほしいと願う人があり、他方ではそのような人の弱みに付け込んで金儲けをたくらむ人がいます。しかし、どの人も良く見ると、等しく悪霊どもの支配に本当は操られ、地獄への道連れにさせられているのです。どうか、この教会を彼らの救いの為に用いて下さい。愛する者の解放の為にわたしたちを福音の使者としてお用い下さい。

わたしたちの救い主イエス・キリストの御名によって。アーメン。


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