【主日礼拝メッセージ要約】                               2007年2月11日   

聖霊が禁じる道」 

  使徒言行録16章6-10節

富田敬二牧師

  この宣教題を別の言葉に置き換えると『神はあなたの行動を止められた』と言うことです。どんなに神が喜ばれると思うことでも、時として神が『やめなさい』と言われることがあると。そんな出来事が今日の使徒言行録16章の記録なのです。神の考えと人の思いとには違いが存在するのです。

  初代教会の伝道者であるパウロが、現在のトルコ地方に第2回伝道旅行を企てた途中の出来事です。第1回伝道旅行で立ち上げた諸教会を訪ね、その教会を励まし力づけながら、新しい未開のアジア地方に出掛けようとしたが、その道を進むことを神が許してくれなかったのです。そこでビテニヤ州への道を進もうとしたのだが、ここでもその道は閉ざされてしまい、やむなくトロアスに向かったというのです。当初の目的地には進むことが出来ず、いわゆる国境の港にたどりついたのです。もともとアジア州伝道を企てていたパウロ達一行(シラスとルカが同行)だが神のストップが掛かったのです。

  そう言えば旧約聖書の中にも似たような記録がありました。それは民数記22章に記されている人の言葉を話したろばとバラクの物語です。モアブの王がイスラエルの大群衆を恐れバラクに『イスラエルを呪うよう』依頼した。しかし神は『イスラエルを祝福せよ』と命じるのです。バラクは王の命に従うべきか、神に従うべきか悩むのですが、王のところへ出掛ける途中で乗っていたろばが道をそれてしまうのです。怒ったバラクにろばは神のみ使いが道を塞いで進めないのだと。その時バラクは目が開けて神の使いを見ることが出来、以後神の言葉に従ったという記録物語です。

  パウロ達は神のストップによって図らずもヨーロッパ伝道の道が開かれ、やがて全世界への福音宣教となったのです。この私にも開拓のストップがかかった経験があります。1967年に札幌で開拓が終わり、次の場所を選んだその日に関西で働く招きがあり、札幌を離れたくなかったが、札幌の開拓の地が与えられず、関西開拓に移ったのです。しかし神は1994年に再び札幌開拓の手伝いを許してくださいました。神の時には必ず祝福が約束されているのです。感謝

 

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 【主日礼拝メッセージ】                                2007年2月11日   

聖霊が禁じる道」 

  使徒言行録16章6-10節

富田敬二牧師

 

 高橋先生からお電話をいただいて仙川教会の主日礼拝メッセージを依頼され、2月11日にとの指定でした。返事に一瞬口ごもったのですが「ハイ、大丈夫です。2月11日は喜んでお手伝いさせて戴きます」と。実は今日はわたしの81才の誕生日なのです。1926年2月のこの日、東京の豊島区西巣鴨にあったバプテスト教会で産声を挙げたのです。牧師の子ですから81年間どっぷりと神様の愛に守られ養われて育ったのです。大好きな聖書のみ言葉の一つが貴教会の年間聖句の『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。(常時喜悦 不断祈祷 万事感謝)』です。戦争を経験し、兵隊にも取られ、戦災を受け、戦後は焼け跡の開拓伝道から始めて、教会に仕える81年だったのです。必ずしも順風満帆であったわけではありませんが、開拓のお手伝いをさせて頂いた教会が五教会、今日もそれぞれの地で福音宣教のみ業を勧めていることを感謝し、神様のみ業を賛美することです。

 素敵な賛美を披露致しましょう。アメィジング グレースです。

1.いかなる恵みぞ かかる身をも 妙なる救いに入れたもうとは

2.この身もかつては 世の闇路に さ迷い出たる ものなりけり

3.救いにあずかり 日々たもたれ かくある事さえくすしきかな

4.み国にいたらば いよよせちに 恵みのみ神をたたえまつらん

 さて今朝は『聖霊が禁じる道』という題でメッセージを導かれました。この題をもう少し解り易く言えば『神様は貴方の行動を止められた』となります。信仰を口にするものが当然のことですが神様に善かれと思って行ったことでも、神様はご自身のお考えで止められることがあると言うことです。福音書の中で悪霊にとりつかれていた人がキリストに癒されて後、イエスと一緒に行きたいと願ったが『イエスはそれを許さないで、…自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい(マルコ5:19)』と。この場合は止められた意図がよく解るのですが、今日の聖書箇所では使徒パウロ自身も神様の意図を深く_むことができなかったようです。使徒パウロは第1回の伝道旅行をした後で、異邦の地域に福音が根付いた様子を見、現状を知るために第2回の伝道旅行を計画したのです。シリアから陸路デルベやリストラの町々を訪ね、そこにあるキリストの教会を励ましたのです。いわゆるガラテヤ地方です(聖書のガラテヤの信徒への手紙の宛て先です)。イコニオンの町(現在コンヤ)が幹線道路の分岐点でしたので、ここから西にむかってアジア州に伝道の矛先を定めたのです。そこには当時世界中から人々が集まってくるエフェソの町がありました。ご存じアルテミスの神殿のあった港町です。この地方には後に長老ヨハネが主の黙示を受けたアジアにある七つの教会が建てられた所です。ヨハネの黙示録1章11節にその教会名が記されています。エフェソ、スミルナ、ペンガモン、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤです(私達夫婦はこの町々に旅しました)。これらの地方がこの第2回の伝道チャンスからは外されていたのは不思議です。聖書にあるコロサイ教会もイコニオンからエフェソに行く中間地点、あのヒエラポリスの近くの町なのです。私たちは新約聖書の他の記事を読むことが出来るので、当時のアジア州が福音の開拓地であったことを知るのですが、主の霊はその道を閉ざされたのです。パウロたちはやむなく幹線道路を北上してビティニヤ州に向かったのです。が『イエスの霊がそれを(も)許さなかった』とのことです。一度ならず二度まで伝道の道を阻まれ、しかも反キリストの霊や勢力にではなく、キリストご自身の霊に阻止されたのです。彼らが何か悪いことをしたと言うのでしょうか。彼らの中にキリスト宣教に不都合な者が居たのでしょうか。そんな気配は感じられません。ある聖書注解者たちはパウロの病気説を主張します。それはこの時から一行に医者ルカが加わったことからの推測です。しかし、パウロたちの伝道旅行が新たな進展をみるとき、確実に人間の都合や問題ではなく、神様のご計画がそこにあるのではないでしょうか。

 旧約聖書の中には、その行く手に神の御使いが抜き身の剣を手にして立ち塞がったという記録があります。民数記22章(旧P251〜)に記されています。それはメソポタミヤの占者バラムの経験です。当時モアブのバラク王は国境にいるイスラエルの大群衆を見、また彼らの旅での数々の事跡を聞き知って恐れを抱き、占者バラムにイスラエルを呪ってほしいと依頼したのです。そのことをバラムは神にたずねたが当然の如く『バラク王の言葉に従うのではなく、神のみ声に従うよう』と答えを得たのです。バラムはバラク王の招きに答えロバにまたがり出発するのですが、その途中ロバが道を外れて横道に逸れるのでバラムは怒ってロバを鞭打つのです。するとロバが人の言葉で語り出します。『わたしがあなたに何をしたと言うのですか。何で三度もわたしを鞭打つのですか』と。そうこうしているうちにバラムの目が開け、彼の目の前に抜き身の剣を手にした神の御使いを見て、その場にひれ伏したのです。神の使いが『ロバを何故打ったのか。あなたはこのまま王のところに行きなさい。でもただ神からの言葉をのみ伝えなければならない』と。心にぶい者の前に神はご自分の意志を示されてその前に立ち塞がれたのです。

 その行く手に神が立ちはだかれた点は一致していますが、新約のパウロの場合と旧約のバラムの場合とでは、神のご意志にはっきりとした相違点があることが解ります。そうです。人間のおもいが先行しているならそのことに関して、神の阻止の御手を読み取ることが出来るのです。・・・もし仙川教会が新しい活動を計画しようとする時、主イエス様から『その計画はやめなさい』とはっきり断られたらどうしますか。もしこんなことが起こったら皆さんと教会はどうなさいますか。大事な決断が必要となるのです。

 わたしの伝道活動の実話をいたしましょう。北海道札幌で開拓伝道をしていたときのことです。2番目の開拓が終わりに近づいたときです。そうです教会員が30名程になり、毎回の集会も40名を越していました。当然のことながらそろそろ教会組織の準備にかかってわたし自身は次の働きを祈っていた時です。札幌市外地にあらたな造成地があると聞いて一人出掛けたのです。1967年9月でした。かつて原始林が続いていた場所に造成のダンプが響いていました。その時心にひびくものを感じて自動車から降り、ひざまづいて祈ったのです。『主よこの土地に新しい教会を建てさせてください』と。札幌で二つの教会を育て、二人の子どもも与えられ、充実した40代の張りきり伝道者には大きな希望と、主にある幻が与えられたのです。心をふくらませて牧師館に戻ったとき、一通の手紙を受け取ったのです。封を開けて驚きました。一宣教師からの手紙でした。内容は『大阪で開拓伝道を始めます。先生に来てほしいのです。よい返事を待っています』と。神様わたしは今、札幌の造成地で『この場で開拓をしたいので、この土地をください』とお願いしたばかりではありませんか。その答えがまさかこの手紙ではありませんよね。はっきり教えてください。この手紙の返事はノーにきまっていますね。それからの三ヵ月は必死に祈り続けました。『札幌ですよね。大阪ではないとはっきり答えてください』毎日毎日おなじ祈りの繰り返しでした。北海道連合にたずねました。連盟理事会にもたずねました。札幌に開拓のよい土地があります。もう一度開拓伝道をやらせてください。札幌に有力者にも希望を披瀝しました。しかし神様からの答えは聞こえませんでした。『先生、一緒に働きましょう。先生が必要です。お返事を祈りつつ待っています』2回目の手紙でした。上の子どもは四月から小学校ですし、今の伝道所にも後任人事の選定時期があります。決断の時が刻々と迫って、祈りの中で導かれた聖書がこの使徒言行録16章だったのです。『主が禁じておられるなら札幌に止まるべきではないのだ、たとえ大阪がわたしたちに未知の地であっても……』当時関西は社会派牧師たちの拠点でもあったのです。一大決意をもって一家四人、心地よい札幌を離れる決断をしたのです。もう二度と札幌に来ることはないと心に決め、大阪への移動日を利用して、数日の北海道めぐりを計画、1月末の送別会を後に札幌に別れを告げ、自動車で走りだしたのです。5分もたたないのに自動車のエンジンの様子がおかしくなり、先日まで入庫していた整備工場に直行したのです。結果は前日迄の工場の整備ミスが原因でエンジンオイル漏れが判明、自動車での北海道めぐりはおじゃんとなり、急遽飛行機で東京経由2月2日大阪入りとなったのです。札幌開拓だけでなく北海道めぐりもだめとなり、軽自動車も札幌に残したまま、新しい伝道地に赴任したのです。42才の春のことでした。

 あんなに恐れ嫌っていた大阪東豊中の開拓伝道はすごく恵まれ教会成長も祝されたものでした。札幌での開拓を主は拒み続けられ、不本意な東豊中の開拓に召されたのですが、祝福が一杯でした。神様のなさることはすべて素晴らしいことです。しかも更に驚くべきことが計画されていたのです。ご存じの方もおられると思いますが、大阪東豊中からわたしは東京第一教会の牧師となりました。ここは父の開拓した教会でわたしも青年時代を過ごした所です。そこで牧師と附属幼稚園の園長を兼務し68才で牧師引退を決意したのです。『教会の牧師職は引退しますが、主よあなたのご用は健康がゆるされる限りお従いします。お導きください』 引退牧師に再就職の道があるのに驚きました。ミッションスクールからの聖書教師の誘い、ブライダル関係の誘いなどなど。しかし家内は息子の牧会の手伝いをしたいと申し、その場所が北海道札幌なので転居をきめて引っ越しました。あの27年前に札幌で別れた2人の教会員がわざわざトラックを持って東京まで迎えに来て引越荷物を運んでくれたのです。それだけではなく教会のすぐ近くにアパートが用意され、教会の中に私の執務室まで用意されていたのです。されに札幌でわたしを待っていた仕事は開拓伝道の協力でした。息子の教会の伝道所で宣教師の手伝いをする働きが待っていたのです。使徒言行録の記録はトロアスからマケドニア伝道に発展しています。しまも、やがてエペソやコロサイに教会ができ、アジア州の他の町に7つもの教会が設立され福音宣教が進められたのです。

 1967年に聖霊は札幌での開拓伝道を禁じ拒まれたのですが、1993年に再びこの小さな伝道者を用いあの札幌と言う土地の開拓伝道に当たらせてくださったのです。二千年前の初代キリスト教会のごとくに、主キリスト・イエスは今も生きて働きたもうお方です。1967年当時札幌にはバプテスト教会が三教会でしたが現在は七教会になり、北海道全土に十六教会が福音宣教に当たっています。

 聖書の本文にもどりましょう。パウロ一行は港町トロアスで一泊したのですが、その夜パウロは主からのメッセージを幻としてあたえられるのです。『その中で一人のマケドニア人が立って「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った』と。パウロとその一行は『マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信』したと記している。聖霊の拒みを越えて新しい招きを聞くことが出来た彼らは躊躇することなく主の言葉に従ったのです。その前途は必ずしも平穏であるなどとは思われませんが、主のみ言葉に従うことを優先したのです。仙川教会の皆さん、たとえ主の拒みに遭遇しても、その先に備えられた主のみ言葉を聞いて、躊躇することなく導きに従いましょう。そこに豊かな祝福が備えられているのです。

 


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