【主日礼拝メッセージ要約】                                   2007年5月6日   

この世の支配者は誰か 

使徒言行録18章12-17節

高橋淑郎牧師

 

 歴史を支配しておられる主、この世を治めておられる真の神は誰でしょう。ローマの総督ガリオンをしてこのように言わせたのは誰でしょう。わたしたちの主イエス・キリストの父なる神を置いてほかにありません。神は御自分のみ心を成し遂げるために、真の神を知らない不信の者をさえお用いになることがあります。例えば、救い主イエス・キリストのお生まれはユダヤのベツレヘムであるという旧約聖書の預言(ミカ書5:1)が、ローマの皇帝アウグストゥスの勅令によって成就されました。神がそのように導かれた結果です。また主イエスが十字架につけられることについても、主ご自身、それは異邦人の手によって成就すると予告されましたが(マタイ20:18−19)、果たしてそれは、時のローマ総督ピラトによって成就しました。

 今朝示された御言葉はもう一つ別の角度にも目を向けよと教えています。それは、キリストの教会はこの世の法律に守られなければ、生きて行けないのかということです。ダニエルという預言者は異教の国にあって、権力者に都合の良い法律があり、しかもそれは唯一真の神を信じる者には極めて息苦しいと言うか、厳しいものであったにもかかわらず、彼は普段となんら変わりなく、彼の信仰姿勢を貫き通しました。当然彼は逮捕され、死罪を言い渡されました。勿論そのまま息絶えても彼の霊は天の御国へと引き上げられたことでしょう。しかし、神は、神に忠実な者を用いて為政者の目を開き、真の神に帰依させました(ダニエル書6章)。

 神の御心に沿わない法律が作られようとしているなら、わたしたちキリスト者は沈黙していてはなりません。しかし、万一数の力でそのような法律が作られてしまったとしても、教会はそれで終りを迎えるのではありません。キリスト者の信仰がそれで無力になるものでもありません。たとい暗黒が支配する悪い時代であっても、キリストの光は輝き続けます。天地を治める真の王なるキリストは、わたしたち主の教会を世の光として用いてくださいます。なぜでしょう。神はこの世(あなた)を愛しておられるからです。

 

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 【主日礼拝メッセージ】                          2007年5月6日   

この世の支配者は誰か 

使徒言行録18章12-17節

高橋淑郎牧師

 

 神は、「あなたを襲って危害を加える者はない。」と約束してくださったはずなのに、間もなくユダヤ人の巻き返しに遭い、ローマから派遣された地方総督ガリオンの前に引き出されて裁判にかけられそうになりました。これまでフィリピやテサロニケで長官や民政官に訴えられたことはありますが、この度は地方総督とは言え、ローマを代表する総督の前に引き出されました。一都市の長官や地方行政官とは違って、もしそこでパウロに対する何らかの判決が下された場合、その効力はアカヤ州全体に影響を与えますし、他の州の総督も皆この判例に倣うことになるのです。事実、ユダヤ人たちは、かつてこの手口で主イエスをローマの総督ピラトに訴えて、十字架刑の判決を引き出したことがあります。ガリオンの時代から20年も前のことです。あの日、主イエスを訴えたユダヤ人たちは総督ピラトに向かって、イエスを告発した理由を巧に政治問題化し、もしイエスを赦すなら、それは皇帝に逆らうことを意味する、とピラトを脅して有罪を引き出しました。ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか。」と応酬しましたが、ユダヤ人たちは、「わたしたちには(ローマの)皇帝のほか王はありません。」と言ってのけたことから分かります(ヨハネ18:15)。

 今度は真正面から自分たちの宗教問題を前面に、パウロを訴えたように見えます。しかし、実際は今度も根っこは一つです。律法を前面にパウロを訴えておきながら、総督ガリオンの出方次第で、「パウロという男は、皇帝に逆らうような仕方で異教の神を伝えているのですよ。」とガリオンを脅すつもりであったのです。というのは、当時ユダヤ教はローマ政府公認の宗教として、礼拝も布教も許されていましたが、パウロの伝える宗教は非公認の新興宗教だから、ローマ政府の手でしっかり取り締まってほしいと言っているのです。しかし、こういうやり方は、結局はユダヤ人にとって、自分で自分の首を絞めることになることに気付いていません。なぜかということはもう少し後でお話したいと思います。

 この点でガリオンという人は、裁判官である前に賢明な政治家です。ユダヤ人の手口を相当心得ていたからでしょうか。パウロが弁明しようと口を開きかけたとき、ガリオンはそれを制して、「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」と一蹴して、彼らを法廷から追い出してしまいました。ローマ政府は宗教問題に対する政治不介入、つまり政教分離を明言したわけです。これは小さなことと読み過ごしてはなりません。

 ガリオンのこの言葉がなければ、いや、もしもローマ政府を代表するガリオンが、この機会に乗じてユダヤ教とキリスト教の間に生じた軋轢(あつれき)を解決するという名目で介入してきたら、パウロの伝える福音宣教だけでなく、ユダヤ人自身の宗教活動もどうなったか分かりません。もう一度、復活の主イエスが弟子たちを福音宣教と教会形成のために派遣するにあたって命じられた御言葉を思い起こしましょう。

 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:19―20)

 

 歴史を支配しておられる主、この世を治めておられる真の神は誰でしょう。ローマの総督ガリオンをしてこのように言わせたのは誰でしょう。わたしたちの主イエス・キリストの父なる神を置いてほかにありません。このように、神は御自分のみ心を成し遂げるためには、折にかなって真の神を知らない不信の者をさえお用いになることがあります。たとえば、救い主イエス・キリストのお生まれはユダヤのベツレヘムであるという旧約聖書の預言(ミカ書5:1)が、ローマの皇帝アウグストゥスの勅令によって成就されました。決して偶然の産物ではありません。神がそのように導かれた結果です。また主イエスが十字架につけられることについても、主ご自身、それは異邦人の手によって成就すると予告されましたが(マタイ20:18−19)、果たしてそれは、時のローマ総督ピラトによって成就しました。これも、たまたまこのような巡り合わせになったというのではありません。

 

 もう一つ、今日の聖書箇所から大切なメッセージが語られていることに注意しましょう。使徒パウロをはじめ、キリストに忠実であろうとする者は、皆この世の人々からの抵抗や妨害を覚悟しなければならないということです。迫害という試練をかいくぐって教会は初めて勝利するのだということを忘れてはなりません。ステファノのように、抵抗され、妨害され、石打たれながらでも、大胆に福音を語り、石打つ者の為にさえとりなしの祈りをささげ続けなければならない時があります(使徒言行録7:54−60)。また、今朝の箇所のように、弁明したくても、沈黙して神の導きに委ねなければならないときもあります。

 最近私たち日本バプテスト連盟の中に、差別やさまざまな障害を負わされている人々の人権問題に熱心な働きをしてくださっている方々がおられます。また靖国問題、憲法問題や信教の自由の為に先頭を切って運動を進めている方々を見ます。昨年の連盟総会でも、また先日招集された東京地方連合の総会でも、「日本国憲法改正案に反対」の決議がなされました。

 安倍晋三首相の「戦後レジーム(体制)からの脱却を」という声によって、60年もの間、基本的人権と、この日本を悲惨な戦争から守ってきた日本国憲法に手が加えられようとしています。特に、自由民主党が提案しようとしている「新憲法草案」の20条第3項を見ると、言葉巧みに現行法を逸脱し、信教の自由を前提とした政教分離の原則が歪められ、靖国をはじめ、各都道府県での神社参拝を是とする道が再び開かれようとしています。これは、戦前戦中の、「神社は宗教にあらず」という、超法規的な取り扱いがなされかねないということなのです。確かにこうしたことにキリスト者は沈黙してはならないのです。それが神の御心に悖(もと)る法律であるなら、それをやめさせるために声を上げることは大切です。

 

 同時に、今朝示された御言葉はもう一つ別の角度にも目を向けよと教えているのです。それは、キリストの教会はこの世の法律に守られなければ、生きて行けないのかということです。ダニエルという預言者は、異教の国にあって、権力者に都合の良い法律が巧みに作られ、施行されたにもかかわらず、しかもそれは唯一真の神を信じる者には極めて息苦しいと言うか、厳しいものであったにもかかわらず、彼は普段となんら変わりなく、彼の信仰姿勢を貫き通しました。当然彼は逮捕され、死罪を言い渡されました。勿論そのまま息絶えても彼の霊は天の御国へと引き上げられたことでしょう。しかし、真の神は奇蹟を用いて、神に忠実な者を用いて為政者の目を開き、真の神に帰依させました(ダニエル書6章)。

 繰り返します。御心に沿わない法律が作られようとしているなら、わたしたちキリスト者は沈黙していてはなりません。しかし、万一数の力でそのような法律が作られてしまったとしても、教会はそれで終りを迎えるのではありません。キリスト者の信仰がそれで無力になるものでもありません。たとい暗黒が支配する悪い時代であっても、キリストの光は輝き続けます。天地を治める真の王なるキリストは、わたしたち主の教会を世の光として用いてくださいます。なぜでしょう。神はこの世(あなた)を愛しておられるからです。

パウロは言います。

 「御言葉を宣べ伝えなさい。折がよくても悪くても励みなさい。」(テモテ4:2)と。   祈りましょう。

 

天の父なる神さま。あなたの御名を崇(あが)め、讃美します。

 パウロは、コリントの町でも伝道が妨げられて、危うく一命を落としかねない状況に追い込まれました。しかし、あなたはあなたを知らず、あなたを信じていない異邦人を用いてパウロを守ってくださいました。パウロを守ると共に、キリストの教会を守ってくださいました。キリストの教会はいつもぎりぎりのところに立たされながら、倒されることはありませんでした。

 今日、政治家が提案しようとしている「新憲法草案」を見ると、基本的人権と、信教の自由の原則が歪められようとしています。しかし、わたしたちにとって一番大切なのは、「あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない」という、あなたの戒め(出エジプト記20:3)です。あなたこそ歴史を超えてこの世界を支配し、導いておられる主であり、王でいらっしゃいます。どうか、わたしたちキリストの教会が、誰一人この基本から踏み出すことのないように、わたしたちをお守りください。

わたしたちの救い主イエス・キリストの御名によって。アーメン。


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