【主日礼拝メッセージ要約】                                   2007年5月20日   

「大いに助けた」 

使徒言行録18章24-28節

高橋淑郎牧師

 

 迫り来る神の怒りからどうすれば救われるのかと、そればかりを考えて、日々罪の悔い改めに明け暮れていたアポロでしたが、敬虔なキリスト者であるアキラとプリスキラ夫妻に出会ったことで、「わたしは、もう罪と死と滅びから自由にされているのだ。古い罪びとのわたしは十字架のキリストと共に死んだのだ。今のわたしは復活のキリストによって新生させられたのだ。これからは、自己中心の生き方ではなく、わたしの罪のために十字架に死んで甦ってくださった方のためにこの身を献げ、人々に仕えて行けば良いのだ。」という確信に導かれました(コリント5:15−17)。

 アポロはこの経験を通して神から勇気を得、諸教会で大胆にメッセージを取り次ぎました。相変わらず情熱いっぱいに語りますが、その語る表情は全く違います。かつては、「悔い改めよ!」と眉間(みけん)に縦皴(たてじわ)を刻みながら、厳しい口調で語っていたでしょうが、今は違います。破顔一笑、目を細めて、内におられる聖霊による喜びに満ち溢れて語るのです。当然メッセージの内容も以前とは全く違います。かつては神の怒りと審判を語り、人を脅すような説教でしたが、今では、神の愛と救いの福音を取り次ぐメッセージによって、会衆を大いに助ける者と変えられたのです。

 愛する兄弟姉妹、あなたにはこのような喜びがありますか。豊かであっても、貧しくても、健康であっても、病気であっても、全てが主イエス・キリストのお心のままに導かれているという確信があなたにはありますか。また、あなたは自分を愛していますか。あなたはあなたの家族を、友人を、職場の人を、隣近所の人を愛せますか。もし、あの人だけはどうしても愛せないというなら、あなたはあなた自身を本当に愛し、赦すことができていないのです。人を愛せない、赦せないということは苦しいことです。あなたは神に愛されているということを知らないか、それとも確信がないからです。

 イエス・キリストがあなたのために何をして下さったかを静かに思い起こしてください。もう、眉間に縦じわを寄せる生き方をやめましょう。あなたのために死んで甦ってくださったイエス・キリストを思い、額に横じわを寄せながら、感謝する生活に変えて頂きましょう。

 

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 【主日礼拝メッセージ】                                   2007年5月20日   

「大いに助けた」 

使徒言行録18章24-28節

高橋淑郎牧師

 

 パウロは第二回伝道旅行を終えてエルサレム教会に帰り、挨拶をしてマケドニアの諸教会から預かった献金を届ける傍ら、この二度目の伝道旅行でも、主がどんなに素晴しい御業をもって異邦人を救いに導いてくださったかを報告しました。しかし、彼はそこに長く留まることをしません。思いは早くもアジア州や、マケドニア州、アカイア地方の諸教会に残してきた信徒と同労者のことです。それで、第二回伝道旅行に出発の折、祈りの内に送り出してくれたシリアのアンティオキア教会に戻り、そこにしばらく滞在した後、直ちに第三回伝道旅行へと出発しました。彼はまず第一回と第二回伝道旅行の時に開拓したガラテヤ、フリギア地方(13:13−14:27,16:1−5)を訪ね、弟子達を力づけました。これが18:23までの記録です。

 今日与えられた聖書箇所は、パウロがるすをしていた間にエフェソで起った出来事についての記録です。エフェソではまだこの教会を牧会してくれる献身者が与えられていませんでした。いわば無牧師の教会でしたから、いろいろな伝道者・牧会者が講壇を守っていました。今日はその一人であるアポロという伝道者を通して導いてくださった聖霊のお働きについて学ぶことができます。

 アポロはエジプトにある大都市の一つ、アレキサンドリア出身のユダヤ人です。アレキサンドリアは、当時ギリシャのアテネ、キリキアのタルソと並んで三大学問都市としても知られていました。ここには昔から沢山のユダヤ人が住んでいて、会堂を持っていました。紀元前3世紀から2世紀にかけて、この地で旧約聖書のギリシャ語訳(七十人訳聖書とも言われています)が完成したことでも有名です。アポロは聖書に詳しい人で、しかも雄弁家でした。

 メッセージを取り次ぐにも、人によってそれぞれ個性があります。静かに淡々と、聖書の言葉だけを逐一説き聞かせる人、世の中のさまざまな動きをよく把握して、このような時代の中で聖書は、神は何と仰っているか、と語り伝えてくれる人、あるいはユーモアたっぷりに子どもにもわかる話し方で、人々の心をイエス・キリストへと導くことのできる人もいます。アポロの場合はどうかというと、時には水差しがひっくり返るほどの勢いで説教壇を叩きながら、煮えたぎる情熱をそのまま顔に、言葉に出して、「イエスのことについて」語る人でした。語る内容に間違いはありません。正確です。しかし、何かが足りないのです。

 そのころ、この教会にはつい最近までパウロと同行していたアキラとプリスキラ夫妻がいました。たぶんパウロから、無牧師のエフェソ教会を導くようにと頼まれ、この教会の責任者として留まっていたと思われます。この夫婦が礼拝の後、アポロを自宅に招き、労をねぎらい、もしかして食事を共にしながら、諄々(じゅんじゅん)と神の道を説き明かしました。ヨハネのバプテスマしか知らないアポロ、つまり悔い改めのバプテスマを受けたものの、そのバプテスマの持つ本当の意味を知らなかったアポロに、アキラとプリスキラは多分こう言ったと思われます。「アポロさん、あなたがかつて受けたバプテスマこそ、実は、父なる神と子なるキリストと聖霊なる三位一体の神がその罪を赦し、救ってくださった徴(しるし)です。アポロさん、あなたはもう救われているのです。だから、神の最後の審判を恐れおののくことも大切ですが、これからは十字架のキリストによる罪の赦しと、復活のキリストによる新しい命を受けた恵みを確信して日をお過ごしください、また、そのように人々にも証をしてあげてください」と。

 アポロはどんなに喜んだことでしょう。迫り来る神の怒りからどうすれば救われるのか、そればかりを考えて、日々罪の悔い改めに明け暮れていたアポロが、この日を境に、「わたしは、もう罪と死と滅びから自由にされているのだ。古い罪びとのわたしは十字架のキリストと共に死んだのだ。今あるのは復活のキリストによって新生させて頂いた結果だ。これからはわたしの罪のために十字架に死んで甦ってくださった方のためにこの身を献げ、人々に仕えて行けば良いのだ。」という確信に満たされたのです(コリント5:15−17)。

 こうして恵みを分かち合った後、アキラとプリスキラ夫妻は、アポロに今後の予定を聞いたところ、アカイア州に行って福音を伝えたいということです。アカイア州にはコリントやケンクレアイの諸教会があります。それらの教会はアキラたち夫婦もかつてパウロと共にいたことがあります。知っている人も沢山います。ですから、彼らは早速アポロの為にとりなしの手紙を書きました。アポロは先行き何の不安もなく旅立つことができます。この夫婦の優れた福音理解と、暖かく、また行き届いた配慮を見ると、さすがにひとつの教会を預かるに相応しい牧会者であり、信仰の人です。こういう記事を読んでいると、何だかわたし達まで嬉しくなってきます。と同時に、キリスト者とはかくあるべしという模範を示されます。

 

 アポロは、このような経験を通して新しい勇気を得ました。アカイア州の諸教会で大胆にメッセージを取り次ぎました。相変わらず情熱いっぱいに語りますが、その語る表情は全く違います。かつては、「悔い改めよ!」と眉間に縦皴(たてじわ)を刻みながら、厳しい口調で語っていたでしょう。しかし、今は違います。破顔一笑、目を細めて、内におられる聖霊による喜びに満ち溢れて語るのです。当然メッセージの内容もエフェソ教会のときとは全く違います。かつては神の怒りと審判を語り、人を脅すような説教でしたが、今では、神の愛と救いの福音を取り次ぐメッセージによって、会衆を大いに助ける者と変えられたのです。ただ罪の悔い改めのメッセージを取り次ぐだけではありません。「メシアはイエスである」と、ユダヤ人を前にして公然と語りました。

 今日わたしたちキリスト者は軽い気持ちで、「イエス・キリスト」の名を呼びますが、ユダヤ人にとっては大変なことです。ナザレのイエス、大工の息子イエス、犯罪人として十字架に死んだイエスをメシア、キリスト、主なる神と認めることは、とてもできないのです。しかし、アポロはかまわず、公然と語りました。もはや、語っているのはアポロでも、語らせておられる聖霊が、御霊なるキリストが、愛なる天の父が、会衆の口を閉ざし、反論を封じてしまわれたのです。

 

 愛する兄弟姉妹、あなたにはこのような喜びがありますか。豊かであっても、貧しくても、健康であっても病気であっても全てが主イエス・キリストのお心のままに導かれているという確信があなたにはありますか。あなたは自分を愛していますか。あなたはあなたの家族を、友人を、職場の人を、隣近所の人を愛せますか。もし、あの人だけはどうしても愛せないというなら、あなたはあなた自身を本当に愛することができていないのです。人を愛せない、赦せないということは苦しいことです。あなたは神に愛されているということを知らないか、それとも確信がないからです。

 あなたも今、このアポロのように、思い切って、大胆に、「わたしにとってメシア、キリストはイエスである。」とあなた自身の口に出して言ってみてください。そしてイエス・キリストがあなたのために何をして下さったかを静かに思い起こしてください。もう、眉間に縦じわを寄せる生き方をやめましょう。あなたのために死んで甦ってくださったイエス・キリストを思い、額に横じわを寄せながら、感謝する生活に変えていただきましょう。

 もし、今イエスをあなたの救い主、キリストと信じることのできる人がいたら、今でも、この後でも、いつでもわたしのところに来てください、わたしはあなたのために祝福の祈りを献げたいのです。

 

祈りましょう。

天の父なる神さま。あなたの御名を崇(あが)め、讃美します。

 今日もまたあなたの聖なる御言葉を感謝します。あなたはパウロの留守中、エフェソ教会を預かっているアキラ・プリスキラ夫婦とアポロを出会わせ、アポロに福音の真理を学ばせる機会としてくださいましたから、その結果、アポロは新生の恵みを確信し、喜びに満たされました。このようにあなたはアキラたちを通して、その後の福音宣教のためにアポロを大いに助けてくださいました。そして、アポロもまた、行く先々で大胆にイエス・キリストの福音を宣べ伝えて、諸教会の信徒を大いに助ける者としてお用い下さいました。

 主よ、どうぞこの仙川キリスト教会を顧みてください。あなたのみ前にひれ伏しているこの兄弟姉妹にも、等しい恵みを注ぎ、臆することなく、大胆にあなたの救いの御言葉を、主イエスによる福音を家族に、職場の人々に、友人に、隣近所の人々に証する必要を自覚させ、聴く人々を愛し、大いに助けることのできる者としてくださいますように。

 わたしたちの救い主イエス・キリストの御名によって。アーメン。


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