【主日礼拝メッセージ要約】                         2007年6月10日

「あなたを変える福音」 

使徒言行録19章11-20節

高橋淑郎牧師

  

 神はこの世界とその中に住む人間を創造して以来、奇跡を起こさない時はありませんでした。わたしは信じます。神は今も生きて働き、わたしたちに、その尊い御業を示し続けて下さっているということを。ある人は言うでしょう。神が本当に生きているのなら、どうしてこの地上に悪がはびこり、戦争が絶えないのか。深刻な病や不幸な人が後を絶たないのかと。聖書を読みましょう。神が初めに天と地とそこに住む生き物をお造りになったとき、世界は愛と平和に満ちていました。なのに、何が今日の世界を作り出してしまったのでしょうか。人間の欲望と汚れと傲慢という罪がもたらした結果なのです。神に責任を問う前に、私たちは自分の内にある罪に気付くべきです。世界がおかしくなっているのは神のせいではありません。もちろん他の被造物のせいでもありません。私たち人間のせいなのです。もし、わたしが神であるなら、こんな世界は一時でも早く清算してしまいたいのです。終りにしてしまいたいです。どうして聖書が預言している通り、世の終りは早く来ないのでしょうか。ペトロの手紙二3章8−13節にその謎を解く鍵があります。

 聖書は言います。「神は一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」と。また、それに続いて、「神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。」とも書いています。世界は神の忍耐に甘えていますが、キリストの教会は甘えていてはなりません。「この世界が一人も滅びないで、皆が悔改めるように、イエス・キリストの福音を宣べ伝え」ることに熱心でなければなりません。あなたに言います。礼拝でただ漫然とみ言葉を聞くのではなく、また疑いながら聖書を読むのではなく、私たちのために十字架に死んで甦って下さったイエス・キリストの御前にその罪を悔改めて、この方をあなたの救い主と信じ、受け入れなければなりません。

 実際、エフェソの町に住む人で、パウロのメッセージを聴いた人々は、自分達の悪行をはっきりと告白しました。そしてキリストの福音は彼らを変えました。福音はあなたも変える力があるのです。

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 【主日礼拝メッセージ】                         2007年6月10日

「あなたを変える福音」 

使徒言行録19章11-20節

高橋淑郎牧師

 

 パウロがエフェソの町に滞在していた三年の間に、誰もがイエス・キリストの福音を聞くことができました。それで町中にリバイバルが起ったのです。リバイバルというのは、みんなの心が天地創造の主である神を畏れ敬い、自分たちの犯した罪を告白して、イエス・キリストを救い主と信じるようになったということです。

 同時に、神は言葉だけでなく、パウロを通して目覚しい奇蹟を行なわれました。パウロの前掛けや手ぬぐいを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどでした。

 また、ユダヤ人でありながら、魔術師に果を落としたスケワという人の息子たちも、霊を弄(もてあそ)んだばかりに、ひどい目に遭いました。自業自得という言葉がありますが、神はそのような人を見過ごしにはなさらないということです。今日でもメディアを利用して自分を売り込み、名を成そうとしている占い師や、霊能者と呼ばれる人がいますが、そういう人たちも、神を畏れる心に導かれ、一日も早く目覚めてほしいものです。

 しかし、大抵の人は、聖書のこんな記事を読むと、「そんな馬鹿なことが。これは迷信だ・・・」と、頭から否定する人がほとんどでしょう。しかし、聖書をよく読んでください。これはパウロの業ではないのです。神がパウロの持ち物をさえ用いて、大いなる奇蹟を起こされたのです。イエスはマルコによる福音書19:27で次のように言っておられます。「人間にできることではないが、神は何でもできる」と。

 もし、神が起こされた奇蹟であっても信じない人がいるなら、聖書のどこを読んでも信じられないでしょう。神が心に思い、言葉にされたことは、皆その通りに形造られていきました。それが今日見る宇宙の太陽や月やその他の星々であり、その中に住む全ての被造物です。最後に神は土くれから人間を造り、そのあばら骨から女をお造りになりました。モーセの時代、イスラエルの人々はエジプトの奴隷とされていましたが、神はモーセを通してエジプトのファラオに向かって、「わが民をエジプトから去らせよ。」と命じましたが、ファラオは頑としてみ言葉に従いませんでした。そこで神はモーセとアロンを通してエジプトの王をはじめ、全ての国民の見ている前で、10の奇蹟を起こしました。最後の奇蹟を体験したファラオは、エジプトの民が絶滅するのを恐れて自分の方からイスラエルの民をエジプトから追い出しました。しかし、後になって思い返したファラオはエジプトの精鋭を引き連れて、イスラエルの民を再び奴隷としてエジプトに取り戻そうとしました。しかし、神はモーセを用いて海を二つに分け、イスラエルの民を乾いた地を歩くようにして、無事に向こう岸に導き、エジプトの軍勢を海の中に溺れさせました。幾日も空腹を抱えたまま荒野を旅するこの民の上に、神はマナという不思議な食べ物を降らせてカナンの地に到着するまでこれをもって養ったということです。

 その後も、神はしばしば不思議な御業をもって、この民を愛する余り、時には懲らしめ、時には罪を悔改めるようにと導かれましたが、ユダヤの北部にある、ガリラヤのナザレに住む乙女マリアの胎内に聖霊による命を宿しました。そのころ、ローマの皇帝アウグストは支配下の国々に対して人口調査の勅令を出しましたので、彼女は許婚のヨセフと共に登録をするために、南部の州、ユダヤのベツレヘムへと旅立ちました。ベツレヘムに到着したその夜、マリアは家畜小屋で赤ちゃんを産みました。この赤ちゃんこそ世の救い主キリストで、地上にあってはイエスと名づけられました。この知らせは天使によって、まずベツレヘムの郊外で羊の番をしていた羊飼いにもたらされ、世界史上最初のクリスマス礼拝がささげられました。また天使は、はるか東の国で天体の観測をしていた博士達に、ひと際大きく瞬く星を示して救い主のお生まれを告げ、彼らをユダヤへと旅立たせました。おおよそ30歳になったイエスは、神の御国を宣べ伝えるために立ち上がり、多くの弟子を作り、特にその中から12人の弟子を使徒として選ばれたのです。イエスは言葉でもって神の国の福音を知らせただけではなく、沢山の不思議な業をもって貧しい人や弱い人を助け、病人を癒し、死人さえ生き返らせて下さいました。しかし、傲慢で自分の内にある罪を認めない宗教家たちは、イエスの慈しみ深い教えと御業をかえって疎ましく思い、ついにローマの総督ピラトという異邦人を用いて十字架に釘付けて死に至らしめました。しかし、イエスは神さまです。神は永遠の命をお持ちですから、死んで葬られても三日目に復活して、弟子たちの前に現われ、彼らを慰め、力づけて、「世の人々の救いのために遣わす。」と、派遣の言葉を与えると共に、「この後は聖霊として、いつまでもあなた方と共にいる。そして、エルサレムから始まって全世界にキリストの教会を建てさせる。」と約束を与えて、天の父の御許に昇って行かれました。果たしてイエスが甦られて50日目、天に昇られて10日目に、約束どおり弟子たちの上に聖霊が降られて、エルサレムに最初のキリスト教会を誕生させてくださいました。使徒たちは聖霊によってつみを清められ、福音を語る言葉と勇気と力を受けて、伝道に立ち上がり、今パウロもその一人としてこの尊い奉仕に加えられているのです。

 こうして聖書を静かに読み返してみるとき、神はこの世界とその中に住む人間を創造なさって以来、奇跡を起こされない時はありませんでした。わたしは信じます。神は今も生きて働き、私たちに、その尊い御業を示し続けてくださっているということを。ある人は言うでしょう。神が本当に生きているのなら、どうしてこの地上に悪がはびこり、戦争が絶えないのか。深刻な病や不幸な人が後を絶たないのかと。だからこそもう一度聖書を読み返しましょう。神が初めに天と地とその中に住む一切の生き物をお造りになったとき、世界は愛と平和に満ちていました。何が今日の世界を作り出してしまったのでしょうか。人間の欲望と汚れと傲慢という罪がもたらした結果なのです。神に責任を問う前に、私たちは私たち自身の内にある罪に気付くべきです。今日世界がおかしくなっているのは神のせいではありません。もちろん他の被造物のせいでもありません。私たち人間のせいなのです。もし、わたしが神であるなら、こんな世界は一時でも早く清算してしまいたいのです。終りにしてしまいたいです。どうして聖書が預言している通り、世の終りは来ないのでしょうか。このことについては聖書にこう書いてあります。少し長いですが、読みますから、聴いてください。

 「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」(ペトロ3:8−13)

 聖書は言います。「神は一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」と。また、それに続いて、「神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。」とも書いています。世界は神の忍耐に甘えていますが、わたしたちキリストの教会は甘えていてはなりません。神の日の到来、即ち終わりの日を待ち望むからこそ、この世界が一人も滅びないで、皆が悔改めるように、イエス・キリストの福音を宣べ伝え」ることに熱心でなければならないのです。礼拝でみ言葉を聞く人々も、ただ漫然と聞くのではなく、また疑いながら聖書を読むのではなく、あなたのために十字架に死んでよみがえってくださったイエス・キリストの御前にその罪を悔改めて、この方をあなたの救い主として信じ、受け入れなければなりません。

 今日、今までの生活が続いても明日は分からないのです。その日、そのときは盗人のように来ると主は言われました。実際、エフェソの町に住む人で、このメッセージを聴いた人々は、自分達の悪行をはっきりと告白しました。彼らは変えられたのです。キリスト・イエスの福音は彼らを変えました。

 福音にはあなたの人生、あなたの生き方、あなたの心を清める力、あなた自身を変える力があります。今、神を畏れ敬う心に立ち戻り、主イエス・キリストの御名を大いに崇めましょう。

 

祈ります。

天の父なる神さま。あなたの御名を崇(あが)め、讃美します。

あなたはパウロの奉仕を通して、エフェソの町に大きな恵みを注いでくださいました。人々はあなたの具体的な御業によって、癒しを経験し、み言葉を通して人々に内に隠されていた罪の自覚を与え、悔い改めへと導き、その霊を救ってくださいました。

主よ、今この教会にもリバイバルを起こして下さい。高慢な思いを打ち砕いて下さい。今、自分の内にある罪過と罪を認めることができ、それを告白する勇気を与えて下さい。あなたはこのような罪びとの私たちを愛して、罪を清め、救いに引き上げ、永遠の命のみ国へと引き入れようとして、独り子イエス・キリストをこの世に与えてくださいました。今、あなたの大いなる恵みと愛を感謝します。あなたを信じ、あなたの弟子として従う決心を致します。今、悔い改めますから、私たちの罪を赦し、バプテスマへとお導きください。

わたしたちの救い主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

 


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