【主日礼拝メッセージ要約】                                   2007年6月17日                                                   

「真の神か、偽りの神か」 

使徒言行録19章21-40節

高橋淑郎牧師

 

 フェソに住むデメトリオという銀細工師は、大勢の職人達を使って、アルテミス神像の模型を作り、かなりの収益を得させていた一人ですが、パウロがこの町にきてから、キリスト者が増え、収益が次第に落ちていることに気付きました。しかし、大衆にはもっともらしい理由で人々の心を反キリストへと巧に誘導しました。人々は激昂し、ガイオとアリスタルコを捕えて野外劇場へと雪崩をうって駆け込んで行きました。エフェソはアジア州の首都で、ローマ政府から自治権を与えられていましたので、手続きを踏めば、「市民集会」、或いは「議会」として認められるのですが、非合法な集会は当然ローマ駐留軍に目を付けられ、これを口実に自治権さえ取り上げられかねません。そこで、町の「書記官」が群集をなだめ、また鎮(しず)めようと説得し、群衆を解散させることができました。

 デメトリオとその一派、そして町中の人々は、この不道徳な宗教に酔いしれていました。パウロとその仲間、エフェソ教会の信者達だけが、この経済的には豊かであっても、乱れた生活にどっぷりと浸りきっている町の人々の生活態度に心を痛めていました。彼らはこの町のために、ますます熱心に祈る必要を感じました。

 今日、教会の周囲に住む人々は表面上何の問題もないように見えても、その内側には様々な不安を抱えているかもしれません。

 主イエスは言われました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11:28)と。この町の救いのために祈り、福音を宣べ伝えましょう。

 この国の行く末を思うと、心が痛みます。エフェソの町の人々は、アルテミスの神を、「天から降ってきた御神体」と呼びました。私たちの国でも同じように、多くの人々は真の神を知らず、偽りの神に心が支配されています。私たちの住むこの国でも一時代、九州南部の高い山に、神々が降臨された。その子孫が現在の天皇であると、本気で信じている人々が、政治や軍隊の中枢にいました。

 イエス・キリストは言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書14:6)

 

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 【主日礼拝メッセージ】                               2007年6月17日                                                   

「真の神か、偽りの神か」 

使徒言行録19章21-40節

高橋淑郎牧師

 

 先週学びましたように、エフェソ伝道において、魔術師までが回心して、イエス・キリストを信じていることの証しとして、銀貨5万枚にも上る魔術のための書物を焼き捨てました。当時の銀貨は、デナリオンというローマ銀貨と、ドラクメというギリシャ銀貨で、交換レートは1対1でした。1デナリオンまたは、1ドラクメは自由労働者の日当でしたから、1年の実働労働日数を310日として計算しますと、実に161年分に相当します。現在の日本円に換算していくらになるでしょうか。よくもまあ、こんなに沢山のまやかしの書物があったものです。それはともかくエフェソ伝道は大成功です。

 21−22節を見ると、パウロは早くも次の宣教計画を立てていることが分かります。それは、第二回伝道旅行の時に生まれたマケドニア州とアカイア州の諸教会(ギリシャはこの南北二つの州で構成されていました)を訪ねて指導する一方、諸教会から献金を預かってエルサレム教会に届けることです。その後ローマにも行きたいと願っています。しかし、さしあたってはテモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、パウロ自身はしばらくここに留まることにしました。そのわけはコリント書簡に書かれていますが、マケドニアの諸教会を巡っていては間に合わないほど、コリント教会の中に起っている複雑な問題について、手紙を書く必要に迫られたからです。このことは、使徒言行録19章を学ぶ上で関連性が薄いので、この程度にしておきます。

 

 神はパウロを通してエフェソに住む多くの住民を救いに導いて下さいました。誕生して間もない教会ですが、大いに祝福されました。しかし、光が強ければ強いほどその向こう側に映る陰も濃くなります。この町には紀元前8世紀に建造され、同5世紀に大規模な改築をしたアルテミス神殿がありました。同4世紀に放火の為に焼失しましたが、約30年後には建て直し、以来紀元3世紀にゴート人に焼かれるまで存続しました。考古学者の発掘の結果、神殿の敷地面積は2,800坪以上、建造物の面積は1,300坪以上で、白色の大理石でできた屋根までの高さは16mもあり、それを直径1.8mの円柱大理石100本で支えていたということです。ご神体は等身大の女神像で、黒色です。35節に「天から下ってきた御神体」とあるので、隕石ではないかという学者もいます。「豊穣の神」ということですが、実態はかなり不道徳な宗教であったといわれています。

 

 かつてフィリピでも同じような事件がありました。あの時は悪霊に支配されて占いをしていた女奴隷が、パウロを通してイエス・キリストに出会い、救いに与ったことで、その主人は金儲けできなくなったので、パウロを訴えて投獄させたことがありました。今度の場合はもっと大掛かりな事件に発展しました。しかし、事件の性質としては今度も同じです。毎年3−4月頃をアルテミスの月と呼び、この時期にはアジア州全域から熱心な参詣人が集まり、盛大な祭が行なわれていました。いわば、エフェソはアルテミスの女神を抜きに考えられない町です。住民のほとんども何らかの形でこの神殿にかかわりを持っていました。デメトリオという銀細工師は、大勢の職人達を使って、アルテミスの模型を作らせて、かなりの収益を得させていた一人ですが、パウロがこの町に入ってきてから三年の間にキリストを信じる者が増え始め、その分収益が次第に落ち始めていることに気付いたようです。これでは商売が行き詰まってしまうと危機感を抱きましたが、大衆の心を反キリストへと巧に誘導しました。彼の雄弁に、人々は激昂し、マケドニア人ガイオとアリスタルコを捕えて野外劇場へと雪崩をうって駆け込んで行きました。騒ぎを聞きつけてやってきたパウロは自分のせいで二人が巻き添えを喰ったという責任感から、群衆の中に割って入ろうとしましたが、弟子達がやっとのことでそれを思い留まらせました。劇場は2万5千人も収容できるほどの広さを持っていました。エフェソはアジア州の首都であった上に、ローマ政府からかなりの自治権を与えられていましたので、正式な手続きを踏めば、「市民集会」(ギリシャ語でエクレーシアと呼ばれていました)、或いは「議会」として認められるのですが、今回は一部の人を除いて大半が、自分たちは何のためにここにいるのかさえ分からない、ただの烏合の衆に過ぎませんでしたから、非合法な集会は当然ローマ駐留軍に目を付けられ、下手をすると、これを口実に自治権そのものさえ取り上げられかねません。そこで、町の「書記官」が群集をなだめ、また鎮(しず)めるために説得を試みました。試みは見事成功して群衆を解散させることができました。

 

 騒ぎはこれで収まりました。しかし、本当にこれでよかったのでしょうか。もう一度、今回のエフェソにおける騒動について考えてみたいのですが、デメトリオとその一派、そして町中の人々は、この不道徳な宗教に酔いしれていました。よそ者のパウロと同行のガイオとアリスタルコ、そして後に救われたエフェソ教会の信者達だけが、この経済的には豊かであっても、乱れた生活にどっぷりと浸りきっている町の人々の生活態度に心を痛めていました。彼らはこの町のために、ますます熱心に祈る必要を感じました。それが、エフェソの信徒への手紙6:10−20の意味なのです。

 キリスト者にとって第一の使命は、この教会がこの町に建てられていることの理由を心に留めることです。この町の人々は表面上何の問題もないように見えますが、その内側にはさまざまな不安を抱えているのです。  イエス・キリストは言われました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11:28)と。

この町の救いのために祈り、福音を宣べ伝えましょう。

 第二に、わたし達はこの国の行く末を思い、心を痛めているでしょうか。エフェソの町の人々同様に、私たちの国に住む人々の圧倒的多数の人々は真の神を知らず、偽りの神に心が支配されています。エフェソの町の人々が、アルテミス神殿に祭られていた神を、「天から降ってきた御神体」と呼んでいましたが、同じように、私たちの住むこの国でも、一時代、九州南部の高い山に、神々が降臨された。その子孫が現在の天皇であると、本気で信じている人々が、この国の政治や軍隊の中枢にいました。

 はるか昔、預言者イザヤは、唯一の神の御言葉を取り次いでこう言いました。「わたしはあなたの老いる日まで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。お前たちはわたしを誰に似せ 誰に等しくしようとするのか。誰にわたしをなぞらえ、似せようというのか。袋の金を注ぎ出し、銀を秤で量る者は 鋳物師を雇って、神を造らせ これにひれ伏して拝む。彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き 据え付ければそれは立つが そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず 悩みから救ってはくれない。背く者よ、反省せよ 思い起こし、力を出せ。思い起こせ、初めからのことを。わたしは神、ほかにはいない。わたしは神であり、わたしのような者はいない。わたしは初めから既に、先のことを告げ まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り わたしは望むことをすべて実行する。」(イザヤ46:4−10)と。

 そして、真の神であり、人の子として天から降臨してくださったイエス・キリストは言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書14:6)

 第三に、来週は神学校週間です。わたしたち日本バプテスト連盟が、その発足当初から目標にし、祈ってきたことは、「全日本にキリストの光を」ということでした。もしわたしたちが本当にこの国を愛するのであれば、もっと多くの献身者が起こされて、もっと多くの人が真の神に目覚めて立ち返り、そして救われ、もっと多くのキリスト教会が誕生し、もっと広くキリストの光が行き渡るように祈り、また献げ、そして宣教に励んでまいりましょう。

 

祈ります。

天の父なる神さま。あなたの御名を崇(あが)め、讃美します。

 エフェソで起ったことはいつの時代にも多くの国々、町々で繰り返されています。手で造った神、物言わぬ神に手を合わせ、膝を屈める者が絶えません。偶像は既にあなたに反抗する者の心に出来上がっているからです。

 実にリバイバルの火は、あなたに反抗するエフェソの町の直中で燃え盛りました。しかし今日、この国に選ばれ、立てられたキリスト教会の弱さを、わたし達の信仰の在りようをあなたの前に悔改めます。わたし達の信仰があなたの口から吐き出される、生ぬるいものであるなら、どうしてこの世で悪の霊との戦いに勝利できるでしょうか。わたし達を今一度奮い立たせてください。この町の人々、この国の迷える羊を正しく導く愛と熱心をお与えください。

 わたしたちの救い主イエス・キリストの御名によって。アーメン。


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