【主日礼拝メッセージの要約】                                   2007年114

恵みの分け前」 

使徒言行録26章12−18節

高橋淑郎牧師

 今日は召天者記念の礼拝をささげる日です。もちろんわたしたちは故人となった方々を、今後とも尊敬することに変わりありません。しかし、わたしたちは彼らを神のように崇める者ではありません。彼らの冥福を祈る日でもありません。彼らとわたしたちに命を与えてしばしの間この世に生かし、再び主権の内に取り戻された永遠の主なる神にこそ栄光があるようにと祈るのです。
 あなたは今その手に何を握っておられるでしょうか。お金でしょうか。それは尊い神からの賜物のひとつです。それを無駄に遣わないで、世のため、神の喜びのためにこそ用いてください。地位や名誉でしょうか。それは素晴しい神の賜物です。どうかそれをもってますますこの世の人々の模範となる人生を送ってください。深い知識、また清い品性と幅広い教養でしょうか、それはあなたにこそ与えられた賜物です。どうかそれをもって多くの迷える人生の道しるべとなって上げてください。余人の追随を許さない特殊技能でしょうか。何とうらやましい賜物を委ねられていることでしょうか。どうか、その技能を用いて、不正もごまかしもない科学技術の発展に寄与してください。
 しかし、考えてください。それらは皆尊いものですが、よく見ると、どれひとつとっても全てわたし達が息を引き取るとき、この地上に遺していかなけらばならないものばかりです。これでは余りに寂しい人生の結末ではないでしょうか。人々の賛辞を受けながら肉体が灰となってしまうだけの人生で良いのでしょうか。あなたの魂があなたの人生の終りと共に、露と消えてしまってよいものでしょうか。いいえ、あなたが本来受けるべき恵みの分け前は、死んでなお灰となって消えないものでなければなりません。それはこの地上にあってはキリストの教会に加えられるキリスト信仰であり、御国にあっては永遠の神と合間見えることのできる復活の命、永遠の命という相続財産でなければなりません。どうか、今あなたを捕えて放さない暗闇の支配者であるサタンの縄目から解放して戴くために、罪の悔い改めとキリスト・イエスを信じる者となってください。

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【主日礼拝メッセージ】                             2007年114

恵みの分け前」 

使徒言行録26章12−18節

高橋淑郎牧師

 皆さんにお配りしましたように、今年は先に召された故人を記念して主に礼拝をささげています。幸いなことにこの方々はその多くが生前主の招きに答えて主イエスを神の子キリスト、救い主と信じることができました。また幾人かの方は主を信じる家族の祈りに支えられ、見守られながら息を引き取ったことです。それで本日の召天者記念礼拝としては今年点に召された方々を含めて20名の方々を心に留めて記念し、ご遺族・ご親族と共に礼拝をささげたいと思います。但しお名前のご紹介については割愛させていただきます。
 さて、今朝この記念礼拝の為に与えられた中心聖句は特に18節です。先に召された信仰の先輩方を思うとき、この御言に心惹かれるのです。また、この御言はコロサイの信徒への手紙1章12−14節(p.368)を思い出させてくれます。ご一緒に読んでみましょう。この18節を含む前後の言葉は使徒パウロが復活のキリストに出会って回心に導かれるきっかけとなった証ですが、同時にコロサイの信徒への手紙と共に、パウロとパウロに続く伝道者、及び全てのキリスト者など、福音の証し人を通して、また、先に召された人々の信仰を記念することの中で、キリストが人類の為に何をして下さったかということを学び取る箇所でもあります。パウロは言います。「あの時、強い光に射されて、一度は肉の眼を塞がれましたが、それによって、罪びとであったわたしの霊の目を開き、今まで見えなかった神の真理を見ることのできる光を与えて下さいました。それによって、暗闇の支配者であるサタンの縄目からわたしは解放し、悔い改めに導き、神の御許に立ち帰る道を開き示してくださったのです。」と。クリスマスの日によく歌われる讃美歌のひとつに、「悪魔の力を打ち砕きて 捕虜(とりこ)を放つと 主は来ませり」(讃美歌200番の2節)という歌詞があります。主イエスが人としてお生まれ下さった喜びが伝わってきます。
パウロはこの経験を通して、神に感謝して言います。「イエス・キリストはこの世にあって、わたしに罪を悔改めてご自身を救い主と信じる信仰へと導いてくださったこと、聖霊の宮である教会の一員として加えて下さったことだ。」と。これが地上における約束された恵みの分け前であり、コロサイ1:12の御言に従えば、「光の中にある聖なる者たちの相続分」です。それだけではありません。パウロは続けて言います。あの時、復活のキリストに出会い、悔い改めに導かれたことによって、この世で救われて教会員として戴いたのみか、この地上の命が尽きるとも、天の父なる神の御許に召され、永遠の命という、究極的な恵みの分け前、相続分に与ることが約束されているのだと。

 その意味で、今わたしたちが捧げている召天者記念礼拝の意義は深いものがあります。もちろんわたしたちは故人となった方々を、今後とも尊敬することに変わりありません。しかし、わたしたちは彼らを神のように崇める者ではありません。彼らの冥福を祈る日でもありません。彼らとわたしたちに命を与えてしばしの間この世に生かし、わたしたちより少し早く、この召天者リストに名を連ねる人々を、再び主権の内に取り戻された永遠の主なる神にこそ栄光があるようにと祈るのです。忘れてならないのは、ごく最近召された兄弟も、この教会のメンバーの中で最もはやくに召された兄弟も皆、彼の日、御国において受けるべき恵みの分け前、彼らの相続分は同じだということです。それは、何度も繰り返して申し上げますが、「永遠の命」なのです。
いかがでしょうか。あなたは今その手にどのようなものを握っておられるでしょうか。お金でしょうか。それは尊い神からの賜物のひとつです。どうか、それを無駄に遣わないで、世のため、神の喜びのためにこそ用いてください。


 地位や名誉でしょうか。素晴しい神の賜物です。どうかそれをもって益々この世の人々の模範となる人生をお過ごし下さい。
深い知識、また清い品性と幅広い教養でしょうか。それこそあなたにこそ与えられた賜物です。どうか、それをもって多くの迷える人生の道しるべとなってあげてください。
余人の追随を許さない特殊技能でしょうか。何とうらやましい賜物をあなたは委ねられていることでしょうか。どうか、その技能を用いて、不正もごまかしもない科学技術の発展に寄与して下さい。
しかし、考えてください。それらは皆尊いものであり、軽くみなすべきものではないのですが、よく見ると、どれひとつとっても全てわたし達が息を引き取るとき、この地上に遺していかなければならないもの、後進に道を譲るべきものばかりです。これでは余りにさびしい人生の結末ではないでしょうか。人々の賛辞を受けながら肉体が灰となってしまうだけの人生で良いのでしょうか。問題はあなたの魂があなたの人生の終りと共に、露と消えてしまってよいものでしょうか。いいえ、そうであってはなりません。あなたが本来受けるべき恵みの分け前は、死んでなお灰となって消えるものではないものです。それはこの地上にあっては、キリストの教会に加えられる「キリスト信仰」であり、御国にあっては永遠の神と相見えることのできる復活の命、永遠の命という相続財産でなければなりません。どうか、今あなたを支配して止まない暗闇の支配者であるサタンの縄目から解放していただくために、罪の悔い改めとキリスト・イエスを信じる者となってください。   祈りましょう。

 天の父なる神さま。御名を崇め讃美します。
今朝私たちはこの教会に関わりのある20名の故人を覚えて記念の礼拝をささげています。ご遺族にとっては勿論ですが、わたしたちにとっても懐かしいお名前です。その親しい故人が、今は神の御許にあって、この世では得られない永遠の命という恵みの分け前に与り、慰めと平安の内にあることを信じて感謝します。
地上にあるわたしたちもまた、今はこの世にあってこの世に属する者ではなく、主の教会の一員として召され、罪の赦しと信仰という恵みの分け前に与っています。そして主の日毎に礼拝に招かれ、み言葉を頂いて、再びこの世に遣わされようとしています。あなたの御心は全ての人があなたを信じて救われることだからです。どうか、このメッセージを聴く全ての人に、御救いが及びますように。
私たちの救主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン。

 


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