【主日礼拝メッセージの要約】                                 2008年120

神を見上げて」 

 
使徒言行録27章27−44節

 

高橋淑郎牧師

  276名を乗せた船は、無理を承知で出港しました。しかし、間もなく突如襲った暴風のために操縦できなくなり、アドリア海を漂流していました。黒雲に覆われた空は太陽も星もさえぎり、船員たちでさえ、船の現在位置を見失い、不安な航海を続けるしかありません。あの嵐の中で、百人隊長も、「良い港」を強引に船出させた人々も、いや、船員たちでさえ、自分のことで頭が一杯になっていました。船が陸地に近付いていることを感じた船員たちは、他の乗客、乗員のことなど考える余裕もなく、ただ自分たちだけが助かりたいと、錨を降ろす振りをして、実は小船を降ろしてそれに乗り込もうとしていました。人間というものは、問題の渦中で絶望の余りパニックになると、どこまでも自己中心になってしまうものです。


 わたしたちは大きな問題に直面したとき、どうするでしょうか。恐らく顔はうつむき加減に、眼も伏目がちになっていることでしょう。表情も冴えません。「困った、困った、どうしよう、どうしよう」と、自分のことで頭が一杯になり、周りが見えなくなります。人の言葉も耳に入らなくなります。そんな時こそ、今日の聖書を思い出して下さい。
あのような状況の中でも一人だけ希望を見失わない人がいました。囚人となった使徒パウロです。パウロには、自分は必ずローマ皇帝の前に立って、イエス・キリストの福音を伝えるのだという確信がありました。それは根拠のない希望的観測ではありません。神ご自身から、「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。一緒に航海しているすべての者を、あなたに委ねる」(24節)と約束されていたからです。


 神への信仰と希望を失わない人と、絶望しかけている人の違いは明らかです。希望を失わない人は神を見上げているのです。神を見上げるといっても、ただ天井を眺めているというのではありません。ただ座して奇跡を待つ人ではありません。「わたしたちをどのように導こうとしておられるのかを見極める目を与えて下さい。」と神に祈る人です。

 

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【主日礼拝メッセージ】                                      2008年120

神を見上げて」 

 
使徒言行録27章27−44節

高橋淑郎牧師

 地中海の真ん中に浮かぶクレタ島の「良い港」という名の港に停泊中、パウロは、「季節柄これから先は、海が荒れる恐れがあるから、出港を見合わせましょう。」と警告しました。しかし、船の航行について実質上の権限を持つ百人隊長は、専門家の判断に従い、パウロたち囚人を含めて276名を乗せた船は、無理を承知で出港しました。しかし、間もなくパウロの言葉通り、突如襲った暴風のために操縦できなくなり、アドリア海を漂流していました。黒雲に覆われた空は太陽も星もさえぎり、ベテランの船員たちでさえ、船の現在位置を見失い、不安な航海を続けるしかありません。14日間もこんな状態が続き、誰もが絶望しかけていました。あの嵐の中で、百人隊長も、良い港を強引に船出させた人々も、いや、船員たちでさえ、自分のことで頭が一杯になっていました。船が陸地に近付いていることを感じた船員たちは、他の乗客、乗員のことなど考える余裕もなく、ただ自分たちだけが助かりたいと、錨を降ろす振りをして、実は小船を降ろしてそれに乗り込もうとしていました。人間というものは、問題の渦中で絶望の余りパニックになると、どこまでも自己中心になってしまうものです。


 わたしたちは大きな問題に直面したとき、どうするでしょうか。恐らく顔はうつむき加減になり、眼も伏目がちになっていることでしょう。もちろん表情も冴えません。「困った、困った、どうしよう、どうしよう」と、自分のことで頭が一杯になり、周りが見えなくなります。人の言葉も耳に入らなくなります。そんな時こそ、今日の聖書を思い出してください。
 あのような状況の中でも一人だけ希望を見失わない人がいました。囚人となった使徒パウロです。パウロには、自分は必ずローマ皇帝の前に立って、イエス・キリストの福音を伝えるのだという確信がありました。それは根拠のない希望的観測ではありません。神ご自身から、「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。一緒に航海しているすべての者を、あなたに委ねる」(24節)と約束されていたからです。
神への信仰と希望を失わない人と、絶望しかけている人の違いは明らかです。希望を失わない人は神を見上げているのです。神を見上げるといっても、ただ天井を眺めているというのではありません。ただ座して奇跡を待つ人ではありません。「わたしたちをどのように導こうとしておられるのかを見極める目を与えて下さい。」と神に祈る人です。その上で冷静に周りの状況を観察し、分析し、このような時に自分にできること、なすべきことは何かを祈り求めている人のことです。

 

 「良い港」を出て2週間目の真夜中ごろ、船員たちは船が陸地に近づいていると感じて、海面からの深さを測ってみると、約37m、もう少し進んで測ると、約27mであることが分かりました。みんなの安堵した表情が目に浮かびます。それでもパニックに陥った人は周りが見えていませんから、このような時、自分だけは何とか助かりたい、とそればかり考えて責任を放棄してしまいます。船員たちがそうでした(30節)。パウロはそれを見逃さず、百人隊長に船員たちが逃げていかないようにと進言しました。27−29節や、39−40節のようなことは彼らでないとできないからです。


 更に、乗り合わせた全ての人々に、食事を摂るようにと勧告しました。21節でも書かれていたことですが、パウロは勧めます。「今日で14日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」(33−34節)と言い、自からパンを裂き、一口食べ始めると、ようやくみんなも食べてみたいと思うようになったのです。
確かにストレスがたまると、食欲もなくなります。食欲がなくなると、余り良いことを考えません。考えが前に行かず、何を見ても悲観的になって、ひどい時には、いっそ死んでしまったほうが楽になれるのでは、と考えてしまうものです。しかし、命の神を見上げるパウロは、このような人間の弱さをよく知っていましたから、みんなの心を整える必要を感じました。心を整える手がかりとして、十分に食べることが一番と考えたのです。神の守りに絶対の信頼を置いているパウロだからこそ、人々の肉体的な必要に対しても十分の配慮を忘れなかったのです。神を仰ぎ見て生きることは、神の約束を信じて、現在の生活を整えることであると教えられます。


 こうして一同は元気を取り戻しました。食事を共にすることで、みんなの心も一つになったと言えるでしょう。何よりも百人隊長の心の変化には著しいものがあります。彼はシリアの総督からパウロの人となりをある程度聞かされていたからでしょうか、彼に好意を持っていました。しかし、この船旅を通してパウロに対する「好意」は、「信頼」に変わり、信頼は「尊敬」の心になっていました。船が座礁して破船の危険に曝されたとき、兵士たちが囚人全員の殺害を目論んだ時、百人隊長はその計画を退けました。パウロを助けたい一心からです。囚人たちは知らなかったでしょうが、彼らが命拾いしたのは、実にパウロという神の人の存在があったからです。

 わたしたちは今日の聖書テキストから、困難な問題に直面したときの処世術を学びました。それは小手先の方法論でも、小ざかしい知恵によるのでもありません。ふさぎがちな心に語りかけてくださる神の御言である聖書に聴き、神を仰ぎ見ることです。


詩人ダビデは言います。
  「主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ わたしの足を岩の上に立たせ しっかりと歩ませ わたしの口に新しい歌を わたしたちの神への讃美を授けてくださった。人はこぞって主を仰ぎ見、主を畏れ敬い、主に依り頼む。いかに幸いなことか、主に信頼をおく人 ラハブを信ずる者にくみせず 欺きの教えに従わない人は。」(詩編40:1−5)
 「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう 『御顔こそわたしの救い』と。わたしの神よ。」(詩編42:6,12,43:5

祈りましょう。

天の父なる神さま。御名を崇め讃美します。
使徒パウロの警告にもかかわらず、目先の利益しか考えない人々の声が、それを無視して危険な地中海の航海に出ました。そのために、危うく276名もの命を犠牲にするところでした。
 しかし、使徒パウロはどこまでもあなたに忠実でしたから、あなたを見上げることを忘れませんでした。あなたはパウロの信仰と祈りに応えて乗り合わせた全ての人の命を救って下さいました。
 わたしたちは、今日の御言葉から、この新しい年をどのように過ごすべきかを学ぶことができました。あなたから目を離したとき、わたしたちは問題に勝利することができず、人のことよりも自己中心的になり、他の人を犠牲にすることもいとわなくなります。いつも、どのようなときも、あなたに聴くもの、あなたを見上げるものであることができますように、弱いわたしたちをお導きください。
救主イエス・キリストの御名によってお願い致します。アーメン。


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