【グッドフラデー礼拝メッセージの要約】                                 2008年321

十字架の輝き」 

 
 ヨハネによる福音書19章33−34節

 

高橋淑郎牧師

 英雄の死は永く人々の記憶に残り、神の名の為に殉教した人は、尚更敬愛の念をもって語り継がれることでしょう。但し、私たちがそれらの人について語る時、それは過去形で語ります。しかし、この世でたった一人、死んだ後も現在形で、或いは未来形で語ることのできる方がいます。それはイエス・キリストです。
 イエス・キリストは今から2000年の昔、十字架の上で息を引き取られました。刑の執行人はイエスの死を確認しながら、なおもそのわき腹に槍を突き刺しました。すると、すぐに「血と水」が流れ出ました。聖書はこの「血と水」にわたしたちの注意を促します。「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」(ヨハネの手紙一1:11)とある通り、イエスの血は万民の罪を贖ったというしるしです。イエス・キリストだけが、わたしたちの罪に代わって地獄の苦しみを味わってくださいました。それによってわたしたちの罪は赦され、救われました。誰もがこの十字架の輝きに打たれて、自分こそあの十字架に釘づけられるべき罪びとであると目覚めて、イエスを救い主と信じる者は、誰一人終りの日に裁かれることはないのです。
 またイエスの脇腹から水が流れ出ました。この水は罪からの清め、死と復活を意味するバプテスマ(全身を水に浸める)を象徴しています。罪の悔い改めと信仰を告白した者はバプテスマへと導かれます。バプテスマは、古い罪人のわたしに死んで、キリストにある新しい生命に生まれることを象徴する儀式です。
わたしたちはイエス・キリストを思うとき、過去形で語ることはありません。イエス・キリストの死は、遠い過去の物語ではなく、現在このわたしに深くかかわっていることを知るのです。すべてはここから始まるのです。

 

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【グッドフラデー礼拝メッセージ】                                             2008年321

十字架の輝き」 

 
 ヨハネによる福音書19章33−34節

高橋淑郎牧師

 今日の礼拝の為に、特別ゲストをお招きしています。お名前を藤沢一清先生とご夫人鈴子(すずこ)姉です。ご夫妻は、昨年まで花小金井キリスト教会でお働きでしたが、引退された後も、近くのマンションから同じ花小金井キリスト教会に通い、無牧師の花小金井キリスト教会を支えておられます。先生はいろいろな賜物を神から与えられていらっしゃる優れた牧師の一人ですが、メッセージの素晴しさはもとより、教会音楽に秀でた知識と技能をお持ちです。後ほどたっぷりと新生讃美歌について演奏とお話を伺うことになっています。本来なら先生にメッセージの取次ぎもお願いしたいところですが、5月以降無牧師になる仙川キリスト教会の為に講壇支援をして下さる日を楽しみにして頂きたいと思います。
わたしからは与えられた聖書を通して短くメッセージを取り次がせて頂きます。

 さて、英雄の死は長く人々の記憶に残り、神の名の為に殉教した人は、尚更敬愛の念をもって語り継がれることでしょう。但し、わたしたちがそれらの人について語る時、それは、当然のことながら過去形で語られるのです。しかし、この世でたった一人、死んだ後も現在形で、或いは未来形で語ることのできる方がいます。それはイエス・キリストです。
このお方は今から2000年もの昔、エルサレムの郊外にあるゴルゴタの丘で、二人の死刑囚と共に、十字架にかけられて息を引き取られました。刑の執行人であるローマの兵士はイエスの死を確認しながらも、念には念を入れということでしょうか、そのわき腹に槍を突き刺しました。すると、すぐに「血と水」が流れ出ました。聖書はイエス・キリストのわき腹から流れ出たこの「血と水」にわたしたちの注意を促します。イエス・キリストから流れ出た血は万民の罪を贖ったというしるしです。この福音書を書いたヨハネは、後に書いた手紙のなかで、「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」(ヨハネの手紙一1:11)と書き送っています。イエス・キリストはわたしたちの罪を贖い清めるために十字架にかかって死んでくださったのです。
 最後の審判の日に、全人類はその犯した罪の故に裁かれて地獄に落とされなければなりません。しかし、神の独り子イエス・キリストは、わたしたちの罪に代わって地獄の苦しみを、あの十字架の上で味わってくださいました。それによってわたしたちの罪は赦され、救われたのです。誰もがあの十字架の輝きに打たれて、自分こそあの十字架に釘づけられるべき罪びとであると目覚めて、イエスを救い主と信じるならば、誰一人終りの日に裁かれることはないのです。
またイエスのわき腹から水が流れ出ました。この水は、清めを表しています。罪に目覚めて悔い改めと信仰の告白をした者は、バプテスマへと導かれます。バプテスマとは、全身を水に浸めるという意味ですが、それはわたしの罪の為に十字架に死んでくださったイエスと共に、わたしもひとたび水に浸められて罪に死んで葬られ、水から引き上げられたとき、古い罪びとのわたしに死んでキリストにある復活の命、新しい生命に生まれるのです。
 このように、わたしたちはイエス・キリストを思うとき、このお方を過去形で語ることはありません。イエス・キリストの死は、遠い過去の物語ではなく、現在このわたしに深くかかわっていることを知るのです。すべてはここから始まるのです。 祈りましょう。


天の父なる神さま。御名を崇め讃美します。
 「兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水が流れ出た。」
御言を感謝します。わたしたちの罪の為に罪を知らない方が十字架に挙げられ、死んで下さいました。それによってわたしたちは罪を赦され、救われたのです。「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」とあるとおりです。
主イエスの十字架は、わたしたち罪びとの上に今も燦然と輝いています。あの十字架の上から、わたしたちの罪を完全に贖い取ったことと、清めたことを証明する血と水が、主のわき腹から流れ出たからです。
わたしたちにとって、十字架の出来事は、もはや過去の一事件で終わることはありません。あの十字架なしにこの教会は存在しませんし、わたしたちにとって、来るべき審きの日に耐える道はないのですから。
救主イエス・キリストの御名によって感謝します。アーメン。


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