【イースター礼拝メッセージの要約】                                 2008年323

キリストと一つに」 

 
ローマの信徒への手紙6章3−11節

 

高橋淑郎牧師

  イエス・キリストが復活されたことと、このわたしがいったいどういう関係があるのか、と多くの人は疑問に思うでしょう。大いに関係があります。その理由は、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12:24)と語られた御言によって明らかです。主イエスは一粒の麦として死んで葬られました。ご自身何一つ罪を犯したことはなかったのですが、罪びとの一人として扱われて十字架に処刑されました。このことについては既に主イエスご自身が二度も三度も弟子たちに予告なさっていたことでした。それだけではありません。死後三日目には復活すると断言しておられました。例えば、
「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」(マルコによる福音書10:33−34他)というようにです。


 主が予告されたとおり、ユダヤ人の指導者たちはイエスを捕らえて侮辱を加えた後、ローマの総督ピラトの手に引き渡し、死刑の判決を勝ち取った後、エルサレムの郊外で十字架に釘付けて殺してしまいました。それにもかかわらず、主はその十字架の上で、この人々の罪を赦してあげてください。と天の父に執り成してくださいました(ルカによる福音書23:34)。そして、三日目には死人の中から甦り、弟子たちの前に姿を顕して、「十字架に死んで甦られたイエスを救い主と信じる者は誰でも罪の赦しと永遠の命が約束されているという福音を告げ知らせ、信じる者にバプテスマを授け、主の教えを守るように導け。わたしは世の終りまであなたがた(教会)と共にいる。」と言われました。確かに主の死と復活の出来事は、今なお世界中に多くの実(教会)を結びつつあるのです。


 今日はめでたいイースターです。主イエス・キリストが死人の中から甦ったことを記念し、お祝いする日です。イエス・キリストを信じてこのお方に従う人は、もはや孤独な人生から解放されて、キリストと一つにされるのです。神に感謝し、讃美しましょう。

 

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【イースター礼拝メッセージ】                                             2008年323

キリストと一つに」 

 
ローマの信徒への手紙6章3−11節

高橋淑郎牧師

 今日はめでたいイースターです。今日の聖書テキストは豊かな内容を持っているので、お伝えしたいことが沢山ありますが、一つのポイントに絞ってお話させて頂くことにします。

 「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」と、パウロは書き送っています。この手紙のあて先であるローマの教会は、主イエス・キリストが復活し、天に昇って行かれた後、無名のキリスト者によって、かなりの年数を経て生まれた教会です。それで、パウロはこの教会の人々に、聖書の教えるところの意味を詳しく丁寧に書き送りました。それがこの手紙です。この6章では、キリストが復活されたことによって、わたしたちは死の恐怖から解放され、罪から自由にされたのだと教えています。
多くの人はイエス・キリストが復活されたことと、このわたしがいったいどういう関係があるのか、と疑問に思うでしょう。実は大いに関係があります。疑問を解く鍵は、「キリストの死の姿と復活の姿にあやかる」という言葉にあります。国語辞典を見ると、「あやかる」とは、「感化されて似る。幸せな人に似て自分も幸福を得る」と解説しています。
神は御自分にかたどって、男と女に創造されました。しかし、人間は神に背き、罪を重ねたために、神のかたち(神の聖い性質)から遠く、醜い者となってしまいました。どのように醜くなったかというと、人間は神の似姿であることで満足できず、自分を創造主以上のもの、神そのものになろうと思い上がりました。このように思いも言葉も振舞いもますます汚れ、偽善、高慢、偶像崇拝へとエスカレートして行きました。このままでは終わりの日、わたしたちは審きの座に立たされたとき、地獄に落とされるのです。しかし神は、そんなわたしたち人間をもう一度神の聖さに似る者となるように、愛と恵みを注いでくださいました。それがイエス・キリストの十字架です。醜くなったわたしたちを清めるために、主イエスは十字架刑という最も醜い犯罪者の汚名を着せられて下さったのです。アンデルセン童話の一つに、「みにくいアヒルの子」というお話があります。あのお話の本当の意味は、この世界に醜い者とみなされる姿でお生まれ下さったイエス・キリストの物語なのだそうです。


 主イエスはまた、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12:24)と言われました。主は、ご自身何一つ罪を犯したことはなかったのですが、罪びとのように扱われて十字架に処刑されました。このことについては、既に主イエスご自身が二度も三度も弟子たちに予告なさっていたことでした。それだけではありません。死後三日目には復活すると断言しておられます。 例えば、新約聖書の一節に、
「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」(マルコによる福音書10:33−34。他に8:31,9:12)というようにです。


 果たしてそのとおり、ユダヤ人の指導者たちはイエスを捕らえて侮辱を加え、ローマの総督ピラトの手に引き渡し、死刑の判決を勝ち取り、エルサレムの郊外で十字架に釘付けて殺してしまいました。それにもかかわらず、主は十字架の上で、わたしたちの罪を赦してあげてくださいと天の父に執り成してくださいました(ルカによる福音書23:34)。そして息を引き取り、墓に葬られましたが、三日目に死人の中から甦った姿を弟子たちの前に顕して、次のようにお命じになりました。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終りまで、いつもあなたがた(教会)と共にいる。」(マタイによる福音書28:19−20)と。
確かに主の死と復活の出来事によって、今なお世界中にキリストと一つにされた多くの実(教会)を結びつつあるのです。

 今日はめでたいイースターです。主イエス・キリストが死人の中から甦ったことを記念し、お祝いする日です。
今日はめでたいイースターです。イエス・キリストを信じてこのお方に従う人は、もはや孤独な人生から解放されて、キリストと一つにされるのです。神に感謝し、讃美しましょう。 祈ります。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を心から崇めます。
 今朝、イースターの恵みを心から感謝します。あなたの独り子主イエス・キリストはわたしたちの罪のために贖いの死を遂げてくださったばかりか、黄泉の世界から復活してくださったことにより、わたしたちは罪と死と滅びの恐怖から救われて、永遠の命を持つ者としていただきました。わたしたちはこの世にあって生きるに必要な体が与えられて生かされていますが、また来るべき世にあっては、御国に相応しい栄光の体が与えられることを信じて感謝します。
 あなたは欺瞞と虚飾、不信の渦巻くエルサレムではなく、素朴なガリラヤに帰れと仰せです。どうか、わたしたちの傲慢な心を打ち砕いて頂き、謙った心、御言葉を素直に受け入れる柔らかな心を与えてください。私たちの家族、友人、近隣をあなたの愛で愛する者と造り替えてください。
わたしたちの尊い主イエス・キリストの尊い御名によって。アーメン。


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