【主日礼拝メッセージ/証しの要約】                                 2008年427

「病を治す」 

ヨハネの黙示録22章2節

 

 

 

安部かおり姉

マレーシア、ボルネオ島パパールでの「子どもの家」建設プロジェクトがいよいよ始まりました。
 2月から3月にかけて、日本人青年キャンパー25人を迎えました。
 このプロジェクトを始めるにあたって、大きな恵みの一つに、私たち夫婦だけの力では到底このプロジェクトを実行するには難しいと思っていましたが、神様は2人の働き人をお与えくださいました。神様は、現地の言葉を話すことができる熱心なクリスチャン(以前アルコールやドラッグ依存症の方のリハビリの支援をしていました)と、日本人の25歳の青年ボランティア(彼は今年1月にバプテスマを受け、これから神様のために働く決心をして来ました)との出会いを下さいました。お二人とも、このプロジェクトは神様のプロジェクトであることをすぐに信じ、献身的に働いてくださっています。神様は共に働く素晴らしい仲間をまず用意??してくださっていました。
 キャンプの前は、本来ならばキャンプサイトにスタッフルームが出来ているはずだったのですが、建設が大幅に遅れた為、私たちが住む家で4人の共同生活を始めることになりました。その期間は、生活水が不足したり、車が故障、工事がうまく進まないなど、毎日何らかのハプニングがあり、翻弄されましたが、その都度4人で話し合い、祈り合う機会を多く与えられることによって、困難な状況を乗り越えていく力を与えられました。
 今考えてみると、この期間がなければお互いのことを深く知り得ませんし、4人の絆が強められることはなかったと思います。当然にキャンプを準備したり、実行したりも危うかったかもしれません。
 神様は、工事や準備をそう簡単に進めないという形で私たちの絆を強めて下さり、忍耐することを教え、御霊による一致をなさせて下さったのだと思います。そして、キャンパーが来る30分前に工事は終わり、キャンパーを迎えられるに至ったのでした。ハレルヤ、感謝。

 

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【主日礼拝メッセージ/証し】                                  2008年427

「病を治す」 

ヨハネの黙示録22章2節

安部かおり姉   音声によるメッセージ

 今朝、このように証の機会を与えて下さった神様に感謝いたします。私にとって、故郷教会のみなさまに現地の様子をお伝えし、私が受けた多くの恵みを共に分かち合ってくださることは大きな喜びです。ありがとうございます。教会では、この度開催したワークキャンプを広報して頂きました、また、献金、そして何よりお祈りくださっていることに感謝しております。
まずは、現地の様子を写真で見て頂けたらと思います。前回証させていただいた時との大きな活動の変化は、2月から3月にかけて2回のワークキャンプを開催したことです。キャンプは初めてのことですし、果たしてどうなるのかと思っておりましたが、結果的には、日本の大学生や社会人が25名、現地の青年6名の参加を得ました。この人数は、開催側としましては初めてのキャンプであり、プログラムの進行に試行錯誤の要素が多いことを考えると多過ぎず、そして、キャンプの醍醐味であるグループ活動を行うには少な過ぎず、丁度よい人数の参加がありました。特に、日本人のキャンパーにとっては、民族、宗教、生活状況が全く違う現地キャンパーとの交流は意義深いものであったようです。


12日間のキャンプでは、毎朝6時半からモーニングデボーションで聖書を読み、夜にはその聖書の個所に関連したセミナー、「子どもの家」建設の為のワーク、近隣の村へのホームステイ、戦争体験者の話を聴くピースセミナー、マレーシアを知るミニスタディツアーなどを行いました。盛りだくさんな内容でしたが、2回のキャンプとも事故や怪我人もなく、皆、帰国する際には、現地の人との別れに涙するほどでしたから有意義な12日間であったことを思います。
私は、キャンプ中はキャンパーの食事のボランティアを行いました。ここは亜熱帯気候ですので、日本人キャンパーが体力を維持し、元気にワークできるように食事メニューの選択や衛生面に充分注意しなければなりません。現地のキッチンスタッフも初めてのことで緊張しておりましたので、彼女が楽しく仕事ができるように手伝いました。また、ワークの疲れなどで体調を崩すキャンパーのお世話係をさせていただきました。このボランティアを通して、私は参加者の様々な声を聞き、彼らがキャンプ中にどんどん変わって行く様子をみることができました。

例えば、このような様子です。
・聖書のことばに触れ、「もっと読んでみたい」と聖書を持ち帰った人
・教会に行って思いきり讃美歌をうたい「感動した、神様を賛美する意味がわかったような気がします」と言った人
・「神様はいるのかもしれないと思えるようになった」と言った人
・聖書の言葉を聞いて、うまく関係がとれない人をどうすれば受け入れられるか、愛せるかを考えるようになった人
・これから社会で働く怖さを決して恵まれているとは言えない生活状況の現地青年との交流を通して、勇気に変えることができた人
・仲間とのシェアリングを通して自分自身を受け入れ、自信を持てるようになった人
・友だちを得て、孤独から解放された人
・家族の大切さを知った人
・自分のしあわせに気づいた人
・どうすれば戦争のない平和な世の中になるのかを積極的に考えるようになった人
・普段当たり前に与えられているものに感謝をするようになった人
・自分の人生の目的のヒントを得た人
などなど、素晴らしい方々と出会うことができました。

はじめ、参加者一人ひとりが何らかの重荷を背負っており、目に見えないものの価値を求めていることがわかりましたが、キャンプの間、神様は一人ひとりに色々な形で触れて下さっていました。それも、それぞれの霊的な求めに応じて答えて下さっていることを感じました。この2回にわたるワークキャンプでの経験を通して、私たちはプログラムを用意はしましたが、神様が私たちの計画や思いをはるかに超えてあの土地に集まった一人ひとりを愛してくださっていることを強く感じました。今年度の仙川教会の聖句、箴言16章9節の通りです。「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である」。本当にアーメンです。
そして、改めて、神様のこの土地へ祝福を確信することができました。その事を証させていただくには、このヨハネの黙示録22章1-2節があまりにもふさわしいと感じています。今まででしたら、この箇所を読み、「なんて御国はすばらしいのだろう」と頭の中でイメージを膨らませるのみでした。ヨハネの黙示録の内容は、全体を通じてイエス・キリストの再臨と御国の到来・新天新地が、確実に実現するものということが中心となっています。この黙示録に書かれている御国の光景が特に、この1,2節で実感として迫ってくるのです。先ほどは共同訳聖書を読みましたが、今度は新改約聖書を読んでみたいと思います。少し表現が違います。「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。」とあります。「命の水」、「12種の実がなり」、「諸国の民は癒された」とあります。神様の御国はこんな風に素晴らしいのだという思いに心が躍り、そして大きな安らぎを覚えます。ヨハネによる福音書6:40では、イエス様は、「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることである」と言われていますから本当に感謝なことです。


話は戻ります。その土地には先ほど写真で見て頂いた川が流れており、私たちも周辺の村人と同様、今回その恩恵にあずかることができました。「水」について、マレーシアに行ってからまさに「水」は「命の水」、「水」があることの有り難さを肌で切々と感じるのですが、この土地には泉が湧いている事がわかりました。この泉も先ほど写真でみていただきましたが、水質検査をしたところ良質の水だということでした。また、「いのちの木」とありますが、この土地には果樹や野菜に溢れていました。キャンプ期間は、丁度ジャックフルーツの収穫の時期でしたので、収穫していただくことができました。また、その「木の葉は諸国の民を癒す」とあります。実際多くの薬草が取れることがわかりました。キャンプ中、現地の方のアドバイスにより、はしかや便秘になったキャンパーへ煎じて飲ませることができました。そして、建物が立ち、先ほどお伝えしました様に人が生活し、働きはじめるようになると、神様がさらに働かれて、人が神様を知り、慕い、感謝するものに変えられて、癒されていくのです。同じく黙示録7章17節には、「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである」とあります。この記述のように、悲しみが喜びに、不満が感謝にという具合に、この土地が用いられることを祈ってやみません。22章の1節では、「(命の川の水は)神と子羊(イエス・キリスト)の御座から出る」とあります。それは水晶のように美しいものとありますが、その「命の水」を常に慕い求める者でありたい、その神様からの命の水によって、私たちは本当の意味で生きられると信じることができます。私は、この土地は神様からの私たちへのプレゼントであり、素晴らしい癒しの土地だと思うのです。現在、「子どもの家」を建てる準備も同時に始まっていますが、近い将来、様々に傷ついた子どもたちが入ってきます。何よりまず、神様のこの土地で、子どもたちが癒されること、神様の安心の中で、神様によって豊かに成長する「子どもの家」づくりを目指したいと思います。


もう一つ、「水」に関してのエピソードをお話しさせていただきます。第1回のキャンプの時でした。現地は亜熱帯気候ですので、大概午後には激しい雨が降ります。しかし、その日は降りやまず、午後3時を過ぎたころに現地の現地スタッフが血相を変えて話し始めました。その内容は、私たちは電気がないため食材保存用の冷蔵庫を近所の家の1Fに置いてもらっていたのですが、「これからその家の1F浸水するので冷蔵庫が壊れないように2Fに上げてきた方がいい」と言うのです。男性のキャンパーにその家に行って貰いましたが、その時は少し雨が一時的に弱まっていたので、まさか浸水するなんてことはない、と判断してしまい一旦引き揚げてきてしまいました。しかし、雨は降りやまず、次第にどんどん激しくなってきます。再度その現地スタッフから詳しく話を聞くと、「この調子の雨だと、たとえ雨が止んだとしても山の水が川に下ってくる、そして、(私たちの土地と冷蔵庫を置かせてもらっているその家の間の)川が氾濫してしまう、渡れなくなる」と言います。それを聞いて慌てて雨の中、もう一度その3人男性キャンパーに冷蔵庫を階段に上げに行ってもらいました。予測したように、帰る頃にはもう川の水があふれ始め、もう少し遅ければ危うく橋が渡れない状況になるところでした。3人の男性キャンパーは、傘をあきらめ、全身びしょびしょになって中腰でタックルを組み、ほんの7,8mをゆっくりと蟹歩きで帰って来ました。それから10分後にはあっという間に橋は水で見えなくなり、水かさが上昇し、バンブーハウスの20m位先のところまで水が上がってきました。現地の人も、「近年まれに見る洪水だ」とびっくりしていていました。残念なことに、水が上がって来た所は、キャンパーがその日の午前中まで、一生懸命に道づくりをしていた所で、その道が全く見えなくなってしまい、みんな、ただただ、そのもの凄い光景を茫然と眺めていたのでした。
この経験を通して、私たちは、万物をお造りになった神様の前には、ほんの小さき者にすぎない、神様の知恵ではなく人間の知恵に頼る事の愚かさと、私たち人間は神様に依り頼まなければ何もできない存在であること、先ほど賛美をしましたが、神様の御手の中で生かされている存在であることをまざまざと教えて頂いたように思います。それも初回のキャンプにおいて起こったものですから、私たちとってその意味は大きかったです。また、洪水の対処の仕方は私たち外国人にはわかるはずもなく、現地の人やコミュニティーとの関わりの中でこのプロジェクトが進められ、成り立っていることに感謝することを教えられました。
いただいた時間の中でこの2カ月の恵みのすべてを語ることができないのですが、これからも、不思議な導きで示されたこの土地がどのように活用されているかをお伝えしたいと思います。引き続き、このプロジェクトが神様の栄光を表すことのために進められるようにお祈りいただければ幸いです。ありがとうございました。

(お祈り) 天の父なる神様、御名をあがめます。日々の生活の中で、いつも私たちと関わろうとしてくださり、愛してくださっていることを覚えて感謝いたします。そして私たちの必要なものをすべて与えて下さって、ありがとうございます。「あなたの御心を行う事が私の幸せであり、喜びでありますように」「あなたの定めに従う道を喜びとしますように」と詩編の作者は祈っています。日々、あなたの御心がわからなくなったり、受け入れられなかったり、選択肢があって迷ったりすることもありますが、どうぞ、御心を求め、それに従う者にしてくださいますようにどうぞ助けて下さい。その為に、一人で悩むのではなく、兄弟姉妹との交わりをも豊かにしてくださいますように。
イエス様の御名を通して、アーメン。

 


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