【主日礼拝・メッセージの要 約】                                 2008年7月20日 

愛の眼差しで」 

 
創世記16:1-16節

 

富田敬二牧師


夏休みの季節です。この季節学生生徒だけではなく、大人たちも楽しんだのですが、近年は子達すら塾だ夏期講習だと忙しく、余裕はないようです。

キリスト者には主を賛える特権があります。賛美しましょう『数えてみよ主の恵み』。

【人の属性は】
先月は痛ましい事件の連続で、今尚苦痛と苦悩の中に多くの方々がもがいておられます。秋葉原の事件で現在若者気質がクローズアップしましたが、彼らに希
望がなく、将来のための金集めが特徴と言い切る評論家もいます。今朝のみ言葉は『ハガルの痛み』物語りです。宣教題は『愛の眼差し』痛みに注がれる神の愛
に視点を導かれました。女奴隷の身分を忘れ、女主人を見下す者の当然の報いですが、自暴自棄→現実逃避→身の破滅と言う道を辿る孤独な女の生き様です。

【賛美どころか】
女奴隷と言うと特殊な時代と状況を考えますが、同根の出来事は現代にも当てはめる事ができます。ハガルは自らの立場を忘れてしまいます。女主人の策略は
狭隘な思慮であり悪の萌芽を産みます。主人も又家長の責任を問われつゝ産まず女の妻への愛は女奴隷への肉的愛に変えられたのでしょう。結果は明白です。有
頂天のハガルは自己肯定的に女主人を避け逃亡生活へと選択させられたのです。

【主の使いの声】
荒れ野の真っ只中です。恐怖に孤独が加わり、更に体力の限界も感じたことでしょう。あえぐハガルに突然『主の使い』が現れます。否彼女に会うために主が
遣わされたのです。『ハガルよ』荒れ野のただ中で名指しで呼ばれる奴隷の女です。何年ぶりかで聞く自分の名前は感激です。アブラムも女主人サライでさえも
その名を呼んではくれなかったのです。彼女の心は今平静にされたのです。

【愛の眼差しで】
彼女の目に『泉』が見えました。荒れ野の泉、炎天下の木陰と同意です。孤独
の中の呼びかけ。すべてが整った場面で主は根気よく諭します。『主人の許に帰りなさい』『柔順に仕えなさい』主のご計画は『あなたの子孫を増やす』『男の子
をあたえる。その名はイシュマエル(聴くお方)』と。祝福の礎は主です。

 

    

 

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