【主日(召天者記念)礼拝・巻頭言】                                 2008年10月26日 

 『死は通過点です』  

 
ルカによる福音書23章32−43節

 

山岸 明牧師


 昔から日本では死を口にすることは縁起が悪いと言われてきました。なぜでしょう?死から連想するのは愛する者との別れ、人間の敗北のとき、死は全ての終わりだからです。ロングフェローは、私たちの心臓の鼓動は死への行進曲であると言っています。死は健康であろうとなかろうと、豊かであろうとなかろうと、全ての人に公平に訪れるもので、この死から逃れられる人は一人としていないのです。分かってはいますが、やはり死は怖い、人が死について不安を感じるのは、分からない不安があるからです。イエス様が十字架に付けられたとき、両脇に二人の犯罪人が一緒に十字架に付けられた。その犯罪人の一人がイエスを罵った。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」するともう一人の方が「我々は自分のやったことの報いを受けているのだから当然だ。しかし、この方は何もしていない」そして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してくだい」するとイエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」ルカ23:42−43

この犯罪人は安らぎを得たと思います。死という絶望の中にあった彼にとって、今日、あなたは楽園にいる。十字架の上で苦しむ中で、その御言葉を聞いて「ニコッ」とする安堵の顔が目に浮かびます。もう一人はこのあと自分はどこへ行くのか?どうなるのか?それはどんなところなのか?自分という存在は今ここで全て消滅してしまうのか?不安と恐れ、今、十字架につけられ手と足に釘を打たれている、その痛み以上の苦痛ではないでしょうか。


そんな中で、あなたがこれから向かうところはパラダイス(楽園)ですよ。この強盗にさえも「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。同じように主を信じるならば、あなたにも「今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われるのです。私たちもこの世での残された日々を平安な心で過ごすには、このキリストの愛と恵みを知り、そして主と共にいると言う事を信じるほどに、平安が私たちの心を支配してくださるのです。

 音声によるメッセージ

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 【主日(召天者記念)礼拝・メッセージ】                                   2008年10月26日 

 『死は通過点です』  

 
ルカによる福音書23章32−43節

 

山岸 明牧師


 
 昔から日本では数字の4とか9は忌み嫌われていました。それは「4」は死をイメージさせるから「9」は苦しみを連想させるからです。また、死を口にすることは縁起が悪いと言われてきました。死はとても恐ろしく、悲しい事だからです。そして、人間の敗北のときであり、全てが終わるときだからです。しかし、「死」と言うのは私たちにとって自然の事であり、実はとても大切な事なのです。ロングフェローは、私たちの心臓の鼓動は死への行進曲であると言っています。死は健康であろうとなかろうと、豊かであろうとなかろうと、全ての人に公平に訪れるもので、この死から逃れられる人は一人としていないのです。死については、さまざまな人が、さまざまな事を言ったり、書いたりしていますが、どんなに素晴らしいことを聞いても、それによって死の問題を解決したという人を聞いた事はありません。しかし、死後を保証してくださる確かな方がおられるなら、もはや不安や恐れる必要はありません。

 イエス様が十字架に付けられたとき、両脇に二人の犯罪人が一緒に十字架に付けられました。その犯罪人の一人がイエスを罵った。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」するともう一人の方が「我々は自分のやったことの報いを受けているのだから当然だ。しかし、この方は何もしていない」そして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してくだい」するとイエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒にパラダイスにいる」ルカ23:42−43。この犯罪人は安らぎを得たと思います。死という絶望の中にあった彼にとって、今日、あなたはわたしと一緒にパラダイスにいる。十字架刑の苦しみの中で、その御言葉を聞いて「ニコッ」とする安堵の顔が目に浮かびます。もう一人はこのあと自分はどこへ行くのか?どうなるのか?自分という存在は今ここで全て消滅してしまうのか?そんな不安と恐れの中で、手と足に釘を打たれた痛み以上に苦痛の中にいたかも知れません。そんな中で、あなたがこれから向かうところはパラダイス(天国)ですよ。この強盗にさえも「あなたは今日わたしと一緒にパラダイスにいる」と言われた。同じように主を信じるならば、あなたにも「今日わたしと一緒にパラダイスにいる」と言われるのです。私たちもこの世での残された日々を平安な心で過ごすには、このキリストの愛と恵みを知り、そして主と共にいると言う事を信じるほどに、平安が私たちの心を支配してくださるのです。

 こんな例え話しがあります。それは「天国に入る条件」
昔々、一人のおじいさんが死んで天国の門まで行き、そこで天使ガブリエルに会いました。天使はこう言いました。「さて、この門のルールを説明させてもらうよ。門をくぐって天国に入るには100ポイント必要なんだ。お前がしてきた善い行いを全て報告してくれ。そうしたら私が、お前にそれぞれ何ポイント獲得した事になるかを言ってあげよう。善い行いほど、ポイントが高いからね。それで合計が100ポイントに達したら天国に入れるよ」。「分かった」と、おじいさんは言いました。「私は50年間、ただ一人の女性を妻とし、心の中でも決して浮気をしなかった」。「それは素晴らしい。では3ポイント獲得だね」。「たったの3ポイントかい?」おじいさんは不服そうな顔をしました。
「では、これでどうだ。私は生きている間中、教会の出席を怠らず、献金と奉仕をもって仕えてきた」。「ご立派! それは十分に1ポイントの価値があるね」。「1ポイントだって?」 おじいさんは少し取り乱した声で言いました。「そうか、ではこれだ。私は故郷の町にいるホームレスの為に避難所を開いて、クリスマスシーズンには100人以上の人たちに食事を配ったぞ」。「なかなかいいね。2ポイントだ」。「たったの2ポイントなのかい!」 おじいさんは絶望の余り、「この分じゃ、神の憐れみがなければ、私が天国に入る事は有り得ないよ」と、泣きながら言いました。するとガブリエルは、「その通り。では、お入りなさい」と言いました。

 世の教えでは善行をたくさん積まなければ天国にはいけないと教えられました。しかし、どんなに良い行いをしても、はい1ポイント、はい、それは3ポイント、生涯の全ての善をたしても、天国に足の一歩も踏み入れることは出来ない者なのです。しかし、そんな私たちが永遠のパラダイスに留まれるのは、イエス様が全人類の罪を背負って十字架の上で死んでくださったからです。イエス・キリストはこの永遠の命を与えるために、私たちが永遠に生きる為に、死んでくださったのです。故に死は終わりではありません。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」ヨハネ11:25 永遠に生きる者にとって死は通過点であります。過去も、現在も、未来に向けて通過点、神の憐れみは私たちの罪よりも大きいのです。私たちもいつかは召されます。そのことを思うとき悲しみや不安もあります。しかし、今日、一つの不安が解消されました。それは、イエス様がおっしゃって下さいました。あなたは今日、私とパラダイスにいる。あなた一人で行きなさいではない。私と一緒にと言われます。未来に希望を持ち神様に感謝しましょう。本来なら死の足音ほど残酷に人間の希望を裏切るものはありません。人間の望みは全て絶たれてしまう。しかし、憐れみ深い神様は私たちに最後の望みを残しておいて下さいました。それは「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」ヨハネ5:24



 

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