【主日礼拝・要 旨】                                        2009年6月28日 

 『与えることがもたらす祝福』 

第二コリント9章6−8節 


 私たちがささげる献金は神様の働きのために用いられます。その思いは神様への感謝のしるしです。しかし、献金には傷みを伴います。私たちが神の働きのためにささげる献金が何の痛みも伴わないとしたら、そこには大きな問題があります。痛みの伴わないささげものによって教会の財政が豊かになっても、教会は退廃していきます。そこで私たちが正しく神に喜ばれる献げものをするために、聖書では献金をどのようにしなさいと言っているか見ていきたいと思います。初めに、どのくらいの献金をすれば良いのでしょうか。「あなたは、毎年、畑に種を蒔いて得る収穫物の中から必ず十分の一を取り分けねばならない。」(申命記14:22) 「十分の一の献げ物をすべて倉に運び、わたしの家に食物があるようにせよ」(マラキ3:10)。
私たちは収入の十分の一を献げる。そして残り物ではなく、収入の最初の部分を捧げるようにと命じています。


 次に、いつ献げるかについてパウロは「週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとにとって置きなさい。」(II コリント16:2) すなわち週の初めの日(日曜日)です。最後に、どのような態度で献げるのか、それは喜びと感謝をもって献げる事です。「喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」 (Uコリント9:7) また、期待を持って献げる「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。」(6) 神の福音伝道のために用いられ、この仙川キリスト教会の会堂が多くの人で埋め尽くされるように神に期待するのです。
 「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。『はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。』」(マルコ12:41‐44) 女は自分の人生そのものを神に献げたのです

 

 

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