【主日礼拝・要 旨】                                        2009年8月23日 

 『敵意という壁を取り壊せ』 

エフェソ2:14−16 

  

 「規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました」15律法とは、人間が正しく生きる道を定められたものです。(偶像を神としてはならない、殺してはならない、盗んではならない、人のものを欲してはならない・・・など、十戒)そして、この律法を要約すると「神である主を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい」マタイ22:37となりますが、なぜ、この律法が廃棄されたのでしょうか。そこには二つの原因があります。

 ユダヤ人は、律法が与えられたのは自分たちが特別に選ばれた民族だと考えたことです。選ばれている、選ばれていない、愛されている、愛されていない、彼らの判断基準はいつもそこにありました。差別はそこから始まるのです。「あなたがたもご存知のとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは律法で禁じられています」使徒10:28

 与えられた律法をもって他人を裁きました。なぜ、あなたは神を愛さないのか、なぜ、隣人を愛さないのかと言って、相手を責め、裁くのです。「他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか」ローマ14:4  ここに、ユダヤ人と異邦人との間に大きな壁ができ、敵意がうまれたのです。しかし、イエス様が来られ「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」16教会ではユダヤ人も異邦人も救われ、今まで敵対していた二つのものが一つとなり、共に神を賛美する家族となりました。「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」19  十字架は弱さの象徴でもあります。しかし、その弱さを通して私たちは救われ、頑なな心が打ち砕かれ癒されたのです。

 今、私たちが他者との間に壁や敵意があるならば、どこかに“私は強い、私は正しい”という、自分を絶対化した心があるのではないでしょうか。“あなたのここが悪い、あなたのここが駄目だ”と責めるのではなく、私たちが十字架の弱さによって救われ、和解したように、私たちもキリストの十字架を共に担いながら弱さを誇り、キリストの愛によって敵意という壁を打ち砕きましょう。
   

 

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