【主日礼拝 メッセージ】 召天者記念礼拝                                       2009年10月25日 

 『永遠にある住みか』 

コリントの信徒の手紙(二)5章1−10節 

 
  私たちは普段の生活の中で深く死を考える事はありません。昔から死に関する事は縁起が悪いと言って語る事も考える事も避けてきたのです。しかし、現実には死は健康であろうと、豊かであろうと、すべての人に公平に訪れ、この死から逃れられる人は一人もいないのです。人生に初めがあるように、終わりもあるのです。それを思うと悲しみや、寂しさ、人生のはかなさを感じずにはいられません。

 それと同時に、死のあと自分はどこへ行くのか、どうなってしまうのか、不安や、恐れとともに、また、永遠へのあこがれなどを持ちます。それは「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」(伝道の書3:11) からなのです。故に、私たちは本能的に死のあとの永遠を願う者となったのです。

 いつか、私たちの心臓も停止します。それは、この肉体が地上における時間が終わったことを意味します。しかし、決して落胆することはありません。それで終わりではないからです。「地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられている、それは天にある永遠の住みかです。」(1) とあるように、神が私たちに永遠の住まいを用意してくださっているからです。

  更に、神はそこに行く道をも備えてくださいました。それは、私たちのために十字架について復活されたイエス・キリストを信じる信仰による道です。「はっきり言っておく、わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」(ヨハネ5:24) イエス様を信じる者は、罪が赦され、永遠の住みかで、悩みも苦労もなく、そして、先に天に召された愛する人たちと再会し、永遠に平安の中で過ごすのです。イエス様は仰せられます。今この御言葉を信じ、私を受け入れるなら「あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいる」(ルカ23:43)

 

 

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