【主日礼拝 メッセージ】                                       2009年12月27日 

『天にある喜び』 

ルカによる福音書15章1-7節
    

 ルカによる福音書15章には、3つのたとえ話が記されています。最初に「見失った羊のたとえ」これは羊を100匹持っている人がいて、1匹を見失ったとすれば、99匹を野原に残して見失った一匹を見つけるという話です。次に「無くした銀貨のたとえ」10枚の銀貨をもっている女が一枚の銀貨をなくし、それを見つけるまで探すという話です。最後に「放蕩息子のたとえ」です。これは放蕩の限りを尽くし財産を無駄使いした息子を見つける話です。
  この3つの話には、共通したテーマがあります。それは、失われたものに目が向けられている事です。もう1つは失われていたものが見つかった喜びです。羊飼いの喜び、女の喜び、父の喜び、それは皆、神様を指しています。そして、失われていたもの、迷い出た1匹の羊、1枚の失った銀貨、放蕩息子というのは、神様から離れ、神様との関係を見失ってしまった人間です。皆さんはこの一年を振り返り、神様との関係はどうだったでしょうか?しっかりと結ばれていたでしょうか、単に神様とそれぞれの部分的な関係だったでしょうか。それとも迷い出た羊のように、更には、放蕩息子のように神様から離れて生きていたでしょうか。
 神は、人が悔い改めて神のもとに立ち帰ること、神から離れていた者が神に立ち帰ること、そして神様との関係を回復する事を望まれています。羊飼いにしても、この女の人にしても、どうしてそれ程までして見つけようとしたのでしょうか。それは羊飼いにとってその羊は本当に大切なものであり、この女性にとってその銀貨は大切なものだからです。神様が、私たちを捜し求められるのも同じです。私たちは神様のものなのです。だから、神様は私たちを求めてやまないのです。また、何度も「一緒に喜んでください」という言葉が繰り返されているのも、神様はご自身だけが喜ぶのではなく、私たちと一緒に喜ぶ事を望まれているのです。

 
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