【主日礼拝 メッセージ】                                        2010年1月 31日 

『失敗は成功への道』 

ルカによる福音書22章31-34節

    

 私たちは失敗を恐れ、失敗を恥とし、失敗を許せない時があります。失敗を考えるあまり一歩を踏み出す事が出来なくなります。しかし、聖書に出てくる人たちの多くは大きな失敗をしています。ペテロもその一人でした。イエス様はペテロに「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。」(31)と仰せられたとき、「主よ、ご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております。」(33)と豪語しました。

 しかし、イエス様が捕らえられたとき、あなたのためなら火の中、水の中と言っていたペテロたちは皆、逃げ去りました。更にペテロはイエス様との関わりを三度も否定するという大失敗をするのです。しかし、イエス様の目はいつも失敗をした人に向けられています。「主は振り向いてペトロを見つめられた」(61)「ペトロは激しく泣いた」(62)ペトロは大きな失敗をし、また、泣くことによって悔い改め本当の姿に帰る事ができました。

 その後、ペトロが多くの人々から尊敬されるようになったのは失敗という体験をしたからです。人は失敗を糧として成長するのです。失敗によって心に深い傷を受けた。顔から火の出るような恥ずかしい思いをした。重要なところで大失敗をしてしまった。神の子イエス様が人間の手によって殺されたことも、人間の目から見たらこれは失敗そのものです。

 神は失敗を失望として終わらせずに、失敗を通して成功へと導きます。そして「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(32)と仰せられます。失敗の淵から立ち直らされた者は、他の兄弟の悲しみ、孤独、絶望、失敗に無関心ではいられません。また、イエス様にすべてを赦され、十字架の命に預かった者は、ああ良かった、これで平安、感謝で終わりにはならないのです。自分の救いの体験は自分だけの救いに留まらず、隣人の救いのために、赦しを必要としている人の所に、希望の光を求めている人のところへ向かうのです


 
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