【主日礼拝 メッセージ】                                        2010年3月14日 

『教会という家族』

テモテヘの手紙(一)3章14-16節  


 教会はギリシャ語でエクレシア(神に呼び集められた者の集い)と呼ばれ、イエス・キリストを中心として一つの群れ(家族)を形成していきます。「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」(エフェソ1:22-23)。

 弱い私たちは、キリストの体である教会から離れるときに、つまり、定期的な礼拝から離れ、その他の集まりから遠ざかるとクリスチャンは霊的に下降線をたどり始め、霊的な命は生気を失い、最終的には息絶えてしまいます。だから、私たちには教会という家族が必要なのです。

 教会という家族は、私たちが自己中心的な孤立主義に陥るのを防いでくれます。教会は礼拝を献げ、また御言葉を実践していく場です。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」(コリント(一)12:27)故に教会の中では個人プレーはありません。家族である教会は、共に泣き、共に喜ぶ場です。

 教会という家族は、私たちの霊を成長させてくださいます。聖書の中には「互いに」という言葉がたくさん出てきます。互いに愛し合う、祈り合う、励まし合う、忠告し合う、仕え合う、許し合う、献身し合う・・などが、神が私たちに教会を通して果たすように望んでおられることです。これこそが「家族の一員としての責任」です。私たちが成長していくためには他者との関わりが必要なのです。

 教会という家族は、私たちが信仰から落ちないように支えてくれます。私たちの中で、誘惑をのがれる事のできる人は一人もいません。状況が整えば、私たちはどんな罪にも陥ってしまいます。「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい」(へブライ3:13)と仰せられる通りです。

 私たちはこの教会の家族の中で豊かに成長し、そして社会に遣わされていくのです。「それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい』」(マルコ16:15)

 

 
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