【主日礼拝 メッセージ】                                        2010年4月25日 

『自由への扉』

イザヤ書57章18節 


 神は男と女をつくられエデンの園に住まわせた。誘惑するものが言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」女は答えた。「わたしたちは園の木の果実は食べても良いのです。でも、中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」すると誘惑するものが言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ。」(創世記3:1-5) 人は誘惑に負け、神のようになる事を願った。

 それ以来、人は罪の性質を持ち、神を演じるようになりました。例えば、人にどう思われるかを気にして、人目に映る良い自分にイメージコントロールしていきます。そして本当の自分を装い、自分を偽り、一面だけを見せて、それ以外は隠し良い自分を演じるのです。 

 また、人をコントロールしようとします。親は子どもを、子どもは親を、妻は夫を、夫は妻を、その他周りの人たちを、私たちはあらゆる手段をつかって互いに相手をコントロールしようとします。罪意識に訴えたり、恐れを抱かせたり、賞賛の言葉を用いたり、沈黙という手段を用いたりするのです。

 さらに自分で自分をコントロールします。「大丈夫、何とかなる、たいした問題ではない、助けなど必要ない、助言などいらない。自分はその気になればいつでもできる。」こうして神を演じるのです。これからも、このように神を演じ続けるならば、最後には疲れ果て偽りの人生を歩むことになるのです。

 今こそ、私たちは世の思い煩いから解放されなければなりません。そして、私たちを自由にしてくださるのはイエス様を信じる信仰です。どうか、勇気を持って、そしてへりくだって自由の扉を開けてください。そして、抱えている思い煩いから解放されましょう。信仰を持って主に委ねましょう。


 

 
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