【主日礼拝 メッセージ 】                                          2010年5月30日 

『人生は大胆に』

創世記12章1-4節  


 
 人は先行きが不安になると、恐れたり、過去に囚われくよくよしたり、一時的な事で気を紛らわせようとします。しかし、不安から逃れる事は出来ません。不安は克服していかなければいけないのです。よく将来の事で悩んだりしますが、それはいくら考えても未来のことは分かりません。分からなければ、思い切って自分の未来を委ね預ける先を持つことです。皆さんは自分の未来をどこに委ねていますか?財産でしょうか、信頼の置ける人でしょうか、それとも自分自身でしょうか。正直、どれもあてにはなりません。私たちは「ぶれる」ことのない確かなものに希望を置く時、不安があっても今までとは違った大胆な人生を歩むことができるのです。

 聖書に出てくる人たちは皆な大胆な人生を歩んでいます。アブラハムは75歳で生まれ故郷を離れた人でした。神はアブラハムに語りかけられました。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」創世記12:1。アブラハムはどこに行くかも知らされないまま、立ち上がり、歩み出せたのは一体何故でしょう。何故そのような大きな決断ができたのでしょうか。「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」ヘブライ人への手紙11:8節

 何の保証もない神の約束を確信できるのは「信仰」の力です。今までアブラムは自分自身を拠り所として人生を歩んできました。しかし、それを捨てて、神の約束を自分の人生の拠り所として歩む決心をしたのです。アブラハムは自らの手に中に望みを置かずに、神に望みを置いたのです。これがアブラハムの人生を大きく変えたのです。私たちが大胆な喜びの人生を味わいたいのなら、自分を拠り所とする生き方から、神の約束を拠り所とする生き方に方向転換する事なしに、それを得ることができないのです。「恵みにあずかって、時宣にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」ヘブライ人4:16とあります。信仰とは神様の支えの中で大胆に神に近づくこと、大胆な人生の歩みはそこから始まるのです。
 

 
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