【主日礼拝 メッセージ 】                                                             2010年6月13日 

『天に宝を積む』

マタイによる福音書6章19-21節 


 「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」21.富とは「お金」「名誉」「仕事」「家族」「命」「知識」「経験」と言う人もいるでしょう。どれも私たちにとって大切なものです。しかし、この富がときに私の心を誘惑し、苦しめ、支配したまま人生を間違った方向に歩ませるのです。

 イエス様のもとに一人の青年がやって来て「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」マタイ19:16と尋ねました。当時、永遠の命を得るというのは最高の幸せをつかむことでした。するとイエス様は、もし本当に幸せになりたいのなら、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい」19:18−19。すると青年は「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか」19:20。本気で求めた青年にイエス様は「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである」19:21−22。

 ところが、それを出来た人がいました。それはペトロです。ペトロは小さい時から漁師をし、大人になってからも、それで生計を立てていました。ある日、一晩中漁をしたが一匹も取れませんでした。そこで網の手入れをして帰ろうとしたとき、イエス様が「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさいと言われた」ルカ5:4。ペトロは自分の「知識」「経験」から無理だと思っていた。しかし、ペトロは「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言って沖に出て網を打ちました。すると魚が網いっぱいになり、網が破れそうになった。ペトロは常識を超えてイエス様に従ったときに、本当に神様の素晴らしさを経験したのです。私たちは今まで自分の常識、経験、すべて自分の納得できる範囲で自分のために富みを蓄えていました。しかし「天に宝を積む」人生とは、自分の納得できない事であっても、イエス様、あなたが仰せになるなら従いましょう、という人生を歩むことです


 

 
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