【主日礼拝 メッセージ 】                                                             2010年7月18日 

『困難な中での喜び』

使徒言行録 5:33 - 42 


 「幸せ」「不幸せ」は、それぞれが持っている自分の基準によって決まります。例えば、夫婦でも、一方が今の生活に十分幸せだと感じているのに、相手は全然幸せを感じない。その逆のパターンもあります。また、あの人はきっと幸せだろうと思っていたが、まったく違う人生を歩んでいることもあります。イエス様の人生は、神を愛し、隣人を愛し続け、最後には皆に裏切られました。それでも私たちの罪のために十字架に付かれ命をささげてくださいました。これはだれが見ても不幸な人生だと思います。しかし、イエス様は「私が歩んできた道は不幸であった」などとは一言も仰せられていません。それどころか、あの十字架の上から「成し遂げられた」と満足感さえ感じます。イエス様が最後まで人を愛せたのは豊かで幸せだったからです。
 私たちの幸せの基準が自分の基準ではなく、イエス様の基準になったら、私たちが今まで「こんな不幸な人生」とか「また、この人生がやり直せたらな」と思っていた人生が、実は幸せな人生だと言えるのではないでしょうか。そして、今も私は幸せな人生を歩んでいることに気がつくのです。私たちはどんな人間であってもいいのです。大事なことは、その中に何が入っているかです。外見がどんなに高価な器でも、中に泥水が入っていたら駄目なのです。そこから出るのは泥水で人を生かすことができません。御言葉という新しい水を入れて、その水で自分も生き、また人をも生かしていくのです。触れれば壊れるような土の器であっても、そこに、キリストという宝があるなら、素晴らしい人生になるのです。
 皆さんの人生の中心は何ですか?皆さんの人生を導いているものは何ですか?私たちが人生を歩んでいくときに必要なものは何か、それは神に従うことです。それは一見何の保証もない無謀なことと思われますが「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33) このお方を信じて従うことです。「だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(ローマ8:35)。この神の約束が、私たちが苦難の中にあっても喜びの人生を歩む保証です。
 

 
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