【主日礼拝 メッセージ 】                                                   2010年8月15日 

『愛の確認』

ルカによる福音書23章34節 



 私たち人間の愛がどれほどもろいものであるかはご承知の通りです。それは、永遠に変わる事のない本物の愛が私たちの内には無いからです。また、愛が薄れてくると不安が増してくるのも、それは愛なしで人は生きられない存在だからなのです。故に人は愛のもろさを知りつつも愛を求めて生きるのです。
聖書では、私たちの人生は「神の愛」から始まっていると教えます。そして、イエス・キリストを通して、人はその愛に帰る事ができ、人生の回復をすることができるのです。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(コリント(二)5:17) クリスチャンになるとは新しく生まれ変わる事です。それは、愛されている事を喜びとし、愛する者へと生まれ変わるのです。
 私たちは自分のルールの中で、人に愛されること、受け入れられる事だけに心を使ってきました。しかし、そこにあるのはいつも受身の自分です。ある人がイエス様に尋ねました。最も重要な掟は何ですか。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」それから「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:36)でした。神の国は愛される事がルールではなく、愛する事がルールなのです。
 さて、私たちはどうしたら愛する者として生きる事ができるでしょうか。
初めに、神を第一にする事です。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい、そうすればこれらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6:33)とあります。神を求めるならば、私たちに必要なものは全部与えられるという約束です。しかし、神を第二、第三にしたら、神様より優先したものは失っていきます。

 次に赦しを経験する事です。自分がどれだけ赦されている者か知る事です。赦しと愛は同じです。私たちは自分が罪人であるとどこかで分かっています。しかし、それを認めようとしません。プライドでしょうか、自分の正しさばかり主張して、自分の弱さ、自らの罪深さを認めないのです。イエス様は、そんな私たちのために十字架につかれ、自らの命と引き換えに「主よ彼らをお赦しください」(34)と神に執り成し、私の罪を赦してくださったのです。これを本気で受け止めるとき、本物の愛が十字架を通して私の心の中に注がれるのです


 

 
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