【主日礼拝 】                                           2010年9月19日 

『あなたは変えられる』

ローマの信徒への手紙12章1-2節

山岸 明牧師

 
 今、多くの人たちが自分は変わりたい、また、自分を変えたいと思っています。その裏にはこんな自分では駄目だ、こんな自分は嫌いだ、そんな思いがあるからです。私たちは常に人の目に映っている自分を見て、人と比較して、もっとこうならなければいけない、こんな自分では駄目だとなるのです。しかし、どんなに努力しても人は簡単には変われないのです。
 
 聖書には「あなたがたはこの世にならってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が善いことで、神に喜ばれ、また、完全であるかをわきまえるようになりなさい。」(12:2)とあります。それは、自らの力ではなく、神によって変えていただくのです。教会には重荷を負って来る人がいます。最初は険しい顔をしていた人が、悲しい顔をしていた人が、徐々に眉間のしわがゆるんで、笑顔になり、優しくなっていく、そんな変えられていく姿を目のあたりにします。それは、今まで人の目に映る自分を見ていたのが、神の目に映る自分を見るようになるからです。
 
 神の目に写る自分を見ることは、自分の罪も見ることになります。それは自分がいかに汚れた者であるか、愛されるに値しない自分を見ることになります。神は私たちの隠していること、知られたくないことなど、その全てをご存知の上で、それでも「わたしの目にはあなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4/新改訳)と仰せられるのです。人の目に映っている自分が本当の自分ではなく、神の目に映っている自分が本当の自分の姿なのです。
 
 それでも、わたしはあなたを愛していると言ってくださるので、私たちは今のままの自分を生きる事ができるのです。イエス様に会って新しく造りかえられていくとは、神につくられた本当の自分を取り戻していく事です。私たちの人生の出発は愛されているというところから出発するのです。皆さんの人生はここから出発しているでしょうか。自分の欲望からでしょうか。それとも愛と赦しからでしょうか?


 
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