【主日礼拝 】                                           2010年9月26日 

『永遠の命に至る水』

ヨハネによる福音書4章1-15節 

山岸 明牧師

 
 『永遠の命に至る?』
ヨハネによる福音書4章1-15節 
イエス様は「ユダヤを去って、再びガリラヤへ行かれた。しかし、サマリアを通らねばならなかった。」(3) 当時、ユダヤとガリラヤを行き来する通常のルートはサマリアを通ることでした。しかし、ユダヤ人はサマリアを迂回して通っていきました。それは、ユダヤ人とサマリア人は仲が悪く、互いに敵意を持っていたからです。しかし、イエス様と弟子たちは危険を犯しながらもサマリアに入っていきました。それは「サマリヤを通らねばならなかった」とあるように、ここには、やむを得ず、強いられて、何か特別な事情があったのです。サマリアを通られた理由とは。
1、出会いのため。
 それは、サマリアの一人の女性に出会うためです。彼女の心は飢え渇いていました。この女性は5回の結婚に失敗しました。「この人と結婚すれば幸せになれるだろう。」そう思ったに違いありません。しかし、理想とは違っていた。すると別れて他の人を探す。自分の思いを満たしてくれる相手を見つけることしか考えていませんでした。もしかしたら、この女性はとても孤独で、淋しかったのかも知れません。愛情に飢えていたでしょう。そんな彼女にイエス様から出会いを求めたのです。「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだ」(ヨハネ15:16) 。
2、福音を伝えるため。
 イエス様はこの女性に「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(14)と仰せられました。イエス様の与える水とは、霊であり、御言葉です。この永遠の命に至る水は、礼拝を通して満たされていくのです。私たちのすぐ近くに渇きを覚えている人はいないでしょうか。渇くことのない水を必要としている人はいないでしょうか。それは、すぐ近くにいる人かもしれません。しかし、身近な人ほど伝道するのが難しいものです。でも、私たちはそこに情熱を注ぎ込んでいかなければなりません。触らず、何も起きないようにと、いつまでもサマリアを迂回していたのでは福音を伝えることはできません。身近にいる愛する人の救いのために、それぞれのサマリアを通りましょう。「父はこのように礼拝する者を求めておられるからです」(23)。


 
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