【主日礼拝 】                                           2010年10月10日 

『愛の境界線』

ガラテヤの信徒への手紙6章1-10節

山岸 明牧師

 私たちが人と仲良くつながっていくときに境界線が必要になります。境界線とは自分の責任の範囲を明らかにする線のことです。私の責任はここまで、ここから先はあなたの責任です。「めいめいが、自分の重荷を負うべきです」(5) 私たちにはそれぞれ自分が負うべき責任があるのです。自分の責任範囲の境界線を越えて人の責任範囲に入っていくときにトラブルが起こります。また、自分でやらなければならない事をやらないで、それを人に押し付けることを「責任転嫁」と言います。

 神様が人間をお造りになったとき、「神は御自分にかたどって人を創造された」(創世記1:27)と仰せられました。私たちは、神のかたちに似せてつくられた者なのです。これが他の動物と違うところです。神のかたちに似た者とは、神のご性質、神様らしさを人間に映し出されたという事です。では、神に似た人間がなぜこのような自己中心的な人間になってしまったのでしょうか。

それは人類最初の人間であるアダムとエバが神を捨てたときから堕落が始まりました。その原因を神に問われたとき、アダムはすぐにエバに責任転嫁をしました。エバも神に問われたとき周りのものに責任転嫁をしました。神様「ごめんなさい」が言えず、自分の責任を人のせい、過去のせいにする。それはアダムとエバから始まり、このときから神様との関係、人間同士の関係は崩れてしまったのです。

 でも神様は私たちを愛して、私たちの救いのために御子イエス様を遣わし、壊れてしまった神様との関係を修復する和解の道をつくってくださいました。神様との関係が回復されるということは、人間関係の回復も始まっていくのです。神様との関係を修復しないで、人間関係を修復しようと思っても、これはできないのです。何故ならば、私たちにはそんな力が無いからです。結局は悩み苦しむだけです。まずは神様と和解をすること「神様、ごめんなさい」これなくして夫婦であれ、親子であれ、友達であれ、愛の修復はないのです。


 
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