【主日礼拝 】                                           2010年10月24日 

『弱さを用いる神』

コリントの信徒への手紙(二)13章1-5節 

山岸 明牧師

 私たちは皆、弱さを持っています。例えば肉体的な弱さ、精神的な弱さ、霊的な弱さです。しかし、自分は弱い者であると分っていても、それを素直に認める事ができません。それどころか、こんな弱い自分ではダメだ、もっと強い人間にならなければと自分に言い聞かせているのではないでしょうか。私たちは弱さをマイナスと捉えるために、弱さを認めず隠すのです。しかし、神様は私たちの弱さに対して、私たちとは違ったお考えを持っておられます。それは、この世で何の役にも立たない、私の弱さを用いたいと思っているのです。では、私たちの弱さを用いて頂くためにはどうしたら良いのでしょうか。
 初めに、自分の弱さを認め受け入れること。 
神は私の弱さを用いたいと思っておられるのに、自分自身が弱さを認めないで“私は弱くありません” “弱さを持っていません”・・・これでは神様のお働きを妨害することになってしまうのです。
 次に、自分の弱さを分かち合うこと。 
パウロは手紙の中で「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」(コリント(一)2:3)と告白しています。パウロはその他にも、自分の失敗、恐れ、弱さをあらゆるところで打ち明けました。私たちは信頼している誰かのところに行き、自分の寂しさを打ち明けられるでしょうか。心配なとき、苦しいとき、怒りが湧いてくるとき、信頼できる誰かに、それを打ち明けられるでしょうか。きっとこんな事で相手を煩わせてはいけない、また、自分のことを理解してくれるか心配になって打ち明けられず、行き詰ってしまうのです。すべてを受け止めることはできませんが、でも、共に分かち合い、共に祈りあうことはできます。
 最後に、弱さを通して神のご栄光が現れること。
パウロは言いました。自分は弱いので神の恵みを十分に受けることができた。そして「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(コリント(二)12:9)。パウロはイエス様と出会い自分がいかに弱い者であるかを知りました。その弱さゆえに、キリストに信頼しました。それによって強かったときの自分では考えられない、測り知れない力を体験するようになったのです。


 
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