【主日礼拝 】 アドベント第二週                                           2010年12月5日 

『決めつけはだめ(ヨセフの信仰)』

マタイによる福音書1章18-24節

山岸 明牧師

 ヨセフはマリアと婚約し幸せなときを迎えていました。そんなときにヨセフは天国から地獄に投げ落とされました。それは、愛するマリアが赤ちゃんを身ごもっていることが分ったからです。ヨセフにはまったく身に覚えがありません。答えはただ一つ、マリアが自分を裏切ったことです。ヨセフは苦しみ、悩みました。なぜ、このようなことになってしまったのか・・・。
 聖書には「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」(1:19)。当時の掟では、このような不貞を働いた者は「石をもって打ち殺せ」(申命記22:20)とされていました。ヨセフは正しい人でしたので、マリアの犯した罪をうやむやにする事はできません。かといって彼女を訴える事もできませんでした。ヨセフは考えに考えて「ひそかに縁を切ろう」お腹が大きくなる前に縁を切ろうと苦渋の決断をしたのです。
 状況的には問題は解決されました。しかし、ヨセフの負った心の傷は解決された訳ではありません。一生この重荷を負っていかなければならない。そんなとき、ヨセフのもとに主の天使が現れて「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」(1:20)。と仰せられました。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったという御言葉によってヨセフは本当の問題解決と納得が与えられました。ヨセフが神様のみ言葉を聞く事ができた要因はどこにあったのでしょうか。それは、縁を切ろうと決心しましたが、その後も考えながら思い巡らしていたので、そのときに、主の御言葉が語られたのです。
 思い巡らすとは、出来事と出来事をつなぎ合わせるという意味があります。今まで起きた一つ一つの出来事(点)が、つながって線になるのです。点だけを見ていったら、たまたま偶然に起こっただけ、つながったという事は、そこに意味があったという事です。ヨセフの点と点がつながった線は救い主誕生と言う喜びにつながっていきました。私たちも人生で「これしかない」「だめだ」「無理だ」と決めつけてしまいますが、神さまが介入するスペースを空けておくことが大切です。


 
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