【主日礼拝 】                                            2010年12月26日 

『生きるとは愛すること』

第一コリント13:1-13

 私たちには愛されたい、愛したいという欲求がありますので、それが満たされなければ生きるのも辛くなり、愛のない生活は耐えられなくなっていきます。人は愛されるために生まれ、そして、愛するために生かされているのです。生きるとは愛すること、そして愛されることは生かされる事なのです。故に、私たちが、この地上で学ぶべき最も大切なレッスンは、いかに愛するかという事です。「神は御自分にかたどって人を創造された」(創世記1:27)とあります。
 
 私たちが神に似た者となる時はどんなときでしょうか。それは、愛を実践している時なのです。「山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなけれが、無に等しい。全財産を貧しい人のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」(コリント(一)13:2-3)とあります。見返りを期待しないで人を愛するのは大変なことです。大体、私たちが人を愛するときにはどこかで何らかの見返りを求めているものです。見返りを求めない事は、自己中心的な私と真っ向から衝突するものです。ですから、この事は一生かけて学ぶべき事です。
 
 では具体的に「愛」とはどういうものでしょうか。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(4-7) どうでしょうか。こんな難しい「愛」を行えと言われても、私たちが生きるとは、このような事だと言われても、なかなかできません。今「愛」はこうだと言いました。皆さんはこの中でいくつできますか?
 
 実はこの「愛」をキリストに置き換えて読んでみるとよく分かります。「愛は神から出るものです」(ヨハネ(一)4:7) 私たちは自分から出る愛で相手を愛そうとするから苦痛になるのです。愛することが出来ないのです。「愛」は神から出るものなのです。つまり、神の愛に生かされたときに初めて、私たちもそのような愛に生きる事が出来るのです。「信仰と希望と愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である」(コリント(一)13:13) 私たちがこの世の最後に求めるものは、財産でも、名誉でもない、私が愛し、関係を築いてきた人々です。私たちは人との関係こそ人生のすべてであったことを知ることになります。


 
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