【主日礼拝 】                                            2011年1月23日 

『癒しの鍵』

ヨハネによる福音書 5:31-39  

 

 聖書を知っていれば私たちは変えられる、聖書を学び真理を知れば問題は解決され、そして癒されると思っています。でも、本当に聖書を読み、真理を学ぶだけで問題解決になるでしょうか?当時の指導者たちは聖書の中に永遠の命があると考えて聖書を細かく研究していました。しかし、イエス様は「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」(ヨハネ5:39)と仰せられました。彼らは毎日、聖書を朗読し、暗記し、一生懸命に聖書のことを学びました。その結果、永遠の命を得られたのでしょうか、平安を得られたでしょうか、答えは「イイエ」です。逆に永遠の命そのものであるイエス様と対立して、最後には十字架に追いやっていきました。自分たちが求め手に入れたかったものを追い払う結果になったのです。

 つまり、聖書を学び真理を知れば、それですべてが“良し”となるわけではありません。聖書が教える真実は、神が人となって私たちのもとに来てくださった。私たちと同じように、食事をし、労働し、眠られ、笑い、涙を流されました。そして、私たちの罪のゆるしのために十字架で命を捨てられました。私たちの信じる神は頭の中だけ、教会の中だけ、日曜日だけの神ではないのです。この大地にしっかりと根をおろされ、私たちの生活の中にいて喜びのときも、苦しみ、悲しみのときも共にいて働いてくださる神なのです。私たちは、その事をしっかりと知らなければなりません。

 聖書の勧めは実生活の中での真理の実践です。「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません」(ヤコブ1:22)。ヤコブは聖書を置いて実践しなさいと言われました。また、イエス様も同じ事を仰せられています。「わたしを主よ、主よと呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。」(ルカ6:46) ただ、聖書を学び、御言葉を暗記し、真理に慕っていれば良いというものではありません。人は御言葉の実践を通して謙虚を学び、許す心を身につけ、癒され、愛を知って変えられていくのです。


 
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