【主日礼拝 】                                           2011 年2月6日 

『招きに応えて』

ルカによる福音書14章15-24節

山岸 明牧師

『』
私たちは、この世に偶然に存在しているのではありません。私たちが生まれたのは、何かの間違いでも、自然のいたずらによるものでもありません。もっと言いますと、私たちがどこで生まれ、どこに住むのかも神のご計画のうちにあって、神は私たちの人生を勝手気ままに決定されたのではありません。もし、神がおられないとしたら、私たちは皆「偶然」の産物です。それでは、人生に目的も意味も重要性もなくなるのです。そして、偶然にこの世に誕生したのなら、勝手気ままに生きたほうがよいのです。事実、多くの人が自己中心に勝手気ままに生きています。しかし、聖書はそのような生き方は間違っている。そのような生き方では幸福な人生を歩むことは出来ないとはっきりと仰せられています。
 私たちは、神につくられたものとして意味のある人生を送らなければなりません。それは「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3:16-17)。この世に救いが来た。私たちのもとに救いが来た。この不条理な世に真実が来てくださった。イエス様はあなたの救いのために来られたのです。しかし、人々はその招きに応じず、ある者は「畑を買ったので見に行かなければなりません」(18)。ある者は「牛を買ったので行けません」(19)。ある者は「結婚したばかりなので行けません」(20)と、口実をつけて断っていきます。三人とも自分の用事、自分の計画、自分の価値観を優先して、招きを受け入れていません。
 今、神様を求めておられる方がいれば、ぜひ神様の愛を受け入れて、イエス様の救いを信じて、信仰の歩みへと進み出て頂きたいのです。それは決断のときです。もう少し自分の行いが立派になってから教会へ行くとか、もう少し善行を積んでから信仰に入るという人がいますが、そんな手土産は必要ありません。親にとっては、見失っていた子供が返って来るのに、そんな手土産は必要ないのです。親にとっては、手土産を持って帰るより、一刻も早く自分の所へ帰ってくれることのほうが嬉しいのです。ぼろを着ていても構わない、帰ってくれさえすれば喜ぶのです。私たちは皆、神様から招待されています。その招きに素直に応えましょう。まし


 
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