【主日礼拝 】                                       2011 年2月13日 

『自己中心からの脱却』

ローマの信徒への手紙8章1-11節 

山岸 明牧師

 自己中心な人は神を無視し、神を畏れません。故に自らを正しい者とし、他者を悪いと決め付けてしまいます。そして、最後には人間関係を破壊していきます。「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和です」(5−6)。
 では「肉」とは何でしょう。それは神から離れ、罪の支配の中にある人間の物の考え方、価値観、生き方を指しています。具体的に言うと、「肉の業は、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです」 (ガラテヤ5:19-21)。この「肉」の働くところには、愛も、平和も、一致も生まれてきません。

 私たちはいつまでも「肉」の思いに留まり、自分を支配させていてはいけません。では、どうしたら良いのでしょうか。

 そのための第一歩は「霊によって生まれる」ことです。主イエスは「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれた者は霊である。あなたがたは新たに生まれなければならない」(ヨハネ3:6-7)と仰せられました。古い自分にどんなに磨きをかけても、新しい者にはなれません。イエス・キリストを信じる時、聖霊が私たちのうちに働いて、私たちは新しく生まれ変わることができるのです。この「生まれ変わり」が無ければ、私たちは肉のままです。

 第二のステップは「霊の人」へと成長することです。「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」(ガラテヤ5:16)。とあります。しかし、霊に導かれているからと言って「肉」との戦いがなくなるというわけではありません。かえって霊と肉との戦いを強く体験することでしょう。だが、キリストを信じて歩む者は素晴らしい実を結びます。それは「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ5:22-23)です。私たちは「霊の人」への成長を目指していきましょう。そして、霊によって始めたことを肉によって仕上げる事がないように祈っていきましょう。


 
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