【イースター主日礼拝 】                                       2011 年4月24日 

『イエス様は生きておられる』

ルカによる福音書24章13-35節

山岸 明牧師

 エマオに向かう二人の弟子がいました。彼らは「この一切の出来事について話し合っていた」(14)。そこにイエス様が近づいて来て、一緒に道を歩き始められながら「その話は何のことですか」(17)と聞きました。彼らは暗い顔をして立ち止まって、あなたはここ数日起こったこと(十字架と復活)を何も知らないのですか、と言いつつも、それがイエス様だと分かりませんでした。
 確かに、イエス様は体をもって復活をなさいました。そして、その体をもって弟子たちを訪ね、近づき、語りかけ、彼らの道を一緒に歩いてくださいました。弟子たちの目は、復活された主の姿を見ていたし、復活の主の声を聞き、会話もしました。「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」(16)。故に、彼らの心には何も起こりませんでした。
 彼らの心を遮っていたのは何でしょうか?それは、あまりにも大きな絶望と悲しみです。それが、見えない神の事実を認める信仰の目を曇らせてしまったのです。私たちも悲しみで胸が一杯になるときがあります。悩みが心から離れない時もあります。激しい怒りで頭が燃え盛るとき、そんなときは心が盲目となって、目の前にある事実をきちんと見る事ができなくなってしまうのです。
 イエス様が十字架に付けられ殺されたとき、彼らはすべて終わったと思いました。しかし、イエス様は復活され、彼らをなおも弟子として愛し、教え、導こうとなさるのです。「わたしはあなたを固くとらえ、地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕、わたしはあなたを選び、決して見捨てない」(イザヤ41:9)。私たちの生活の中で、辛くて、悲しくて、涙が止まらない事もあります。悔しくて、どうしようもないときもあります。でも、いつのまにかイエス様が私たちの傍らに立ち、いつのまにか、ひそかに声をかけてくださいます。気がついて振り返ってみると、自分は一人ではなかったというしるしが現れてきます。それは、復活された主が今も生きて働かれているからです。


 
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