【主日礼拝 】                                       2011年8月7日 

『魂のホームレス』

マタイによる福音書9章35-38節

山岸 明牧師

 「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(35−37)。

 我が国においてクリスチャンの人口は全体の1%であると言われています。長い間日本の教会の課題となっている数字です。日本の人口の99%の人たちに、福音が伝えられていないのかも知れません。しかし、それは数の問題ではなく、むしろイエス様を信じるクリスチャンの姿勢の問題なのかもしれません。

 イエス様が群集を見られると、彼らは「飼い主のいない羊のように弱り果てているのを見て、深く憐れまれた」(36)。それは、私たちが背負っている、苦しみ、悲しみ、痛みを、イエス様は、ただ頭で理解し、可哀想だと思ったのではなく、私たちの苦しみのすべてを共感してくださいました。それは腹の底からともに、その苦しみを味わって下さったという事です。イエス様が言葉や、頭だけでないという証拠は十字架です。十字架こそ、イエス様の深い憐れみの心なのです。

 イエス様は弟子たちに言われました。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(38)。私たちも伝道の事では悩みます。なぜだろう、どうしてだろう。でも、イエス様は仰せられます。収穫は多い。もう準備は出来ている。足りないのは働き手だ、この働き手とは牧師になれ、伝道者になれという事ではありません。皆がイエス様と同じように、憐れみの心を持って人を見る事ができるように、そして、イエス様の手となり、足となり、イエス様のために時間を使う人、その働き手が必要とされているのです。イエス様からご覧になると、もう収穫のときなのです。さあ、働き手が起こされるように収穫の主に願いましょう。

 


 
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