【主日礼拝 】                                  2011年9月4日 

『世に打ち勝つ信仰』

ヨハネの手紙(一)5章1−5節

山岸 明牧師

 世に勝つ信仰というのは一体どういうことでしょうか?この世は暗いことが多くありますが、私たちがそういう世界の中だけに目をとめていれば、失望・落胆してしまうのはしかたありません。悲しいことですが、それが世の常であります。「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇を好んだ」(ヨハネ3:19)とあるように、闇は光を嫌い、イエス・キリストを十字架につけて暗闇に葬り去りました。しかし、イエス様は復活をされました。復活によってこの世に勝利されたのです。そのお方が、「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)。この御言葉を信じるならば、私たちは失望・落胆しなくて済むのです。これが世に勝つということです。

 私たちはただ、このイエス・キリストの愛の中に包まれる事によって、慰めと励ましを受けて、この辛い世の中、冷たい暗い世の中に勝っていく事ができるのです。時々、これが主の御心なのかと疑う時があります。それでも「私は、あなたたちのために立てた計画をよく心にとめている。と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ29:11)と、仰せられる約束は信仰によって実現されるのです。

 教会は逃避した人の集まりだと言う人がいます。では、そういう人は逃避していないかと言えば、そんなことはありません。皆、逃避しているのです。ある人はお酒に逃避したり、自分の世界に逃避したり、人は逃避する事なしには、この世に生きていく事はできないのです。教会は、その逃避した者が、そこから立ち上がって、再び自分の立つべき所、生きるべき所に進んでいく力を与えるものであります。教会は逃避してきた者を、もう一度送り出していくのです。「主に望みを置く人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:31)。


 
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